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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2025年8月
682/723

2025年8月31日 +どく

 晦日である。本来の意味で使っているわけではないのだと、いまさらながらに気付いたのだが。

 どういう意味か? 朔であるということ。つまり、新月である。和暦は太陰暦であるから、月末が新月になるわけだ。ということは、私が先月まで使っていた「月末」という意味での、”晦日”は少々意味が異なる。まあ、旧暦に合わせればの話ではあるが。


 どうにも落ち着かないのは、うつうつさんが在室中だからというわけでは、なさそうだ。

 何事にも中途半端な私は、たぶん自分の中に引き起こしていることも、中途半端なんだろう。愛情がわからないと思いながらも愛を知っているし、無性に親に甘えたくなるのにバカバカしいとあざけってしまうし、独りを求めていながら隣に誰かのぬくもりを求めてる。

 どこまでが正常な人間の、正常な行動なのだか、判断がつかない。

 家族と価値観も、ものさしも、基準値も、速度も違いすぎるとわかっていながら、それを埋めるための行為をひどく面倒だと思う。

 他人に頼れるほど、自分を愛せているのであれば、もうどうということもないのだろう。

 他人にすがれるほど、自分を好いているのであれば、過去の出来事だったろう。

 他人に助けを求めることが出来るほど、自分を見捨てているのであれば、もうここにはいなかっただろう。

 どれも中途半端な感情が、ぐるぐると漂っているものだから、何も変わらない。

 ここにもきっとずっと同じことを書き続けるんだろう。

 そうなる前に、すべてを消し去って、すべてをなかったことにして、”私”をあきらめるだろう。

 そんな日が遠くないことを祈ろう。

 こんな文章につきあってくださっている方々が、同じ苦しみに落ちる前に、私は逃げ出そう。

 わからないけれども、誰がどんなふうに読んでいるか、なんて。

 でもどこかで、知ってしまったなら、私は逃げ出そう。

 ここから、この社会から、この世界から、この自分から。

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