2025年8月12日 どく
今日は七十二候、寒蝉鳴。
田んぼの草取りは、服が汚れるだけならましなのである。ぬかるみに足を取られて、足が抜けないとか、こけそうになるとか、体力が奪われるので、体力のない人間にとっては、つらいのだ。
とはいえ、やらねば、稲が草に喰われるのだ。やらねばならぬ、やるしかないのだ!
やりたくないといったところで、雑草だけ食べてくれる害虫もいなけりゃ、雑草だけ枯らしてくれる農薬もないし、雑草だけ無くしてくれる技術もないし、まして魔法なんぞ存在しない・・・・・・。
機械が入れられないからこそ、手作業である。
政府がお米の増産を打ち出しているが、生産していくすべての工程を知らないのだろうとしか思えない。
よくもまあ、足りないから増産させよう、などと簡単に言うものだ。
農薬を使わず、機械を使わず、雑草を生やさせない方法を、技術を考えもせずどうしろというのか。
手間をかけていることに、正当な対価を払おうというのは、当たり前の話である。が、それはもう、一度横に置いておくしかないだろう。
どれほどの働き手を必要としているか知らないくせに。どれほどの労力がかかるかわからないくせに。どれほどの費用がかかるか知らないくせに。
・・・・・・八つ当たりではある。その自覚はある。だが、言わせてほしい。3Kから抜け出せない農業を、どれほど改革できるのか。それがどれほど現実に即しているか。やれるものならやってみろよ。と。
AIを使ってとか、機械を多用してとか、それはどれほどの金額がかかるのか?
その費用を出せるほど、農家が儲かってると思うなら、馬鹿にしてんじゃねぇぞ。と。
そこまで金額が揃えられるなら、そも人を雇ってまで頑張ってるよ。
雇うことすら出来ないから、やめていくんだよ。
ま、この意見も本業にしていない人間の、壱側面からしか見ていない意見だ。
正しくはない。間違ってもいない。そんな意見だ。
そう、意見でしかない。現状でも発信でもないのだ。