2025年7月2日 どく
他力本願な生き方しか、私には出来ないのかもしれない。
・・・・・・いや、それは、ただの、逃げ口上だとわかっているのだけれども。
自殺できる人がどれほど苦しみ、どれほどもがき、どれほどあがいたのか、私にはわからない。わかりたくもない。
だが、自殺できる勇気を、その弱さを、その醜さを、その潔さを、その残酷さを、私は称賛したい。
なぜ己のことだけに生きられたのか。
なぜ残す者の苦労を考えずにいたのか。
なぜ死ぬ以外の逃げ道をふさがれてしまったのか。
なぜ死を怖れずにいたのか。
死者から答えは返らない。
だから生者は考える。
答えるなら、誰にもわかってもらえないと思い込んだからだろうか。
答えるなら、誰かのことを考えられる余裕などなかったからか。
答えるなら、助けを求める誰かなど存在し得るわけがないからだろうか。(苦しみを分かち合えるとは思えないから)
答えるなら、今の苦しみのほうが、何もない死よりも怖ろしかったからだろうか。
こうやって考えられてしまう私はまだ、死には辿り着かないのだろう。
死に行くことが出来ない私は、当分言葉を書き散らして、後悔と妄想の中で生きるのだろう。
とりあえず今は、大きめのGに「こんばんは」してしまって、寝るに寝れなくなってしまっている。姿は見えなくなったので、寝られないわけではないけれども。