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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2023年12月
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2023年12月20日 どく

 私はあまり結婚願望は強くないほうだと思う。長女で第一子の為、婿を迎えるという昔ながらの結婚観に囚われているせいで結婚しなければならないとは思うが、そんな価値観は古いものだと理解しているからかもしれないが。

 恋愛もしたことはない。年齢イコール恋人なしの期間だ。恋に恋をしたことはあっても、たぶん真剣に人を愛することはできないのではないかと思っている。

 自分を愛せていないから、というのもあるが、相手を傷つけてしまったことがあるので、そんな自分が誰かを愛するとかしてはいけないんだ。と思っているのもあるだろう。

 とはいえ、この時代である。結婚したいと思えばいくらでも相手は見つかるだろうし、相手を選択する自由さえあるだろう。もちろん、相手にだって選択をする自由はちゃんとあるから成り立つことではある。

 ゆえに、願望さえあれば、行動すれば、叶うことを一切の行動を起こしていない時点で、自分の願望など高が知れているのだ。

 ただ、無性に寂しいと思うことはある。隣に誰かいてほしいと願うことがある。まあ、さすがに慣れてしまっているので、どうやったら自分の気分が感情が動くかなんぞわざわざ考えるまでもない。

 そんな結婚願望の強くない私なのだが、最近昔ながらの結婚観が自分の首に手をかけてきていて困っている。結婚などしなくてもなんとかやっていけるだろうとは思うし、将来孤独死でもかまわないくらいには今から覚悟ができているわけで、昔ながらの結婚観に対し、唾を吐いて追い払うのも問題ないくらいだと思うのだが、なぜか隙あらば寄ってくるのだ。

 つまり、私自身が結婚に対し、願望を持ち始めたというわけだ。

 さて、ここで問題が発生する。私は常に動きたくない人間なわけで、どちらかというと結婚をしようとはおもっていないわけで、それでも相手を探すというのは、相手にとって最悪な人間にしかならないのではないか。ということだ。

 ここでトラウマなのだ。私は他人の感情を思いやることができない。思いやった時には大いに空振りするので、ぶっちゃけた話、家族とすら上手くいかないのである。

 そんな人間を受け入れられる人間がいるのか。ということだ。確率は低いと思うので、やはり結婚なんていいや、とも思う。

 まあつまり、ここ最近は「結婚したほうが良い」と「でも結婚なんてできるわけがない」との感情のやじろべいにいるのだ。

 そういうことは誰かに相談したほうが良い。と読んでいる方々は思うかもしれないが、残念ながら私にはこういうことを相談できる相手などいないのである。

 なにせ私が私自身を信用していないのだから。

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