2023年12月15日
食事というものが栄養をとるもの、又は空腹を埋めるもの。という認識しか実はしていなかったのではないのかと、そこはかとなく無意識の恐ろしさを感じているところだ。
どういうことか?夕飯に家族が外食に行き、私は面倒だったので、家で食べることにしたのだが、有り合わせで食べられることに、不満でも満足でもない感情を抱いたのだ。
一人暮らしをしていたので、一人で食事をすることに抵抗はない。時間も速さも誰かに合わせる必要がないので、好きと言ってもいい。だからと言って、数人で食べる食事や大人数での食事が嫌いなわけではない。むしろ、賑やかに食べるのもそれはそれで楽しい。
だから、今の今まで食事というもの、つまりは食べることについて好きなんだと思っていた。
だがしかし、食べることが好き。と言いながら食べ物を作ること、つまり料理をすることはいっこうに好きになれない、やる気がなかった。何故か?よく聞く話では食べる事が好きだから料理をする。片付けとかが面倒でも、簡単料理は出来る人はいる。本当に何故私は全く料理に手が出ないのか?食べることが好きだと言いながら、特に飲食店を開拓するでなく、食事を食べられないなら、抜けばいいや。と思ってしまうのか。
食事をすることはそれほど好きなわけではなくて、その空間、または一時空腹が紛れるということが大切だったのではないか。
そう考えるといろいろと腑に落ちることがある。食べられれば何でもいいと思うこと、味付けにこだわりが薄いこと、毎食同じでもあまり気にしないこと、ゲテモノと言われるものでも嫌いでなければ食べてしまうこと、等々。
自分の身体にとって最良のものを。という食事の仕方もしないし、美味しいものを食べたいとも思わない。
ここまでわかってて、今まで気が付かなかったのか。というツッコミは甘んじて受けよう。
まったくもって、私は自分の嗜好を理解していなかったわけだ。
日常の一幕である。なんら変わらない生活のなかで、ふといつもと違う琴線に触れてしまったからこそ気付けたことである。
気付いたからと言ってなにかするわけでもないが、何ともおかしな琴線に触れてしまったものだ。としみじみしているだけなのである。