2025年4月6日 +どく
「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」展へ母に誘われて行ってきた。今日が最終日だからだそうだ。
私は美術館に到着して、企画展のポスターを見ても、さっぱりわからなかった。
展示内容を見ていても、「へぇ、こんな作家さん(?イラストレーターさん?どちらが正しいのだろう)もいるんだぁ」程度である。
ただし、一つだけ、一連の作品だけ、見たことがあったのだ。内田康夫先生の浅見光彦シリーズ、文庫本の表紙絵である。古い本と言えば、古い本になるので、「この絵、知ってる!」と知っていることに、嬉しくなってしまった。
私が作品から受け取ったのは、作品の中にある狂気。それは、タッチが変わろうと、平面から立体になろうと、現れる。生きていることのアンバランスさ。性へのあこがれ。
作者の意図はまったく違うだろう。
夕食前、低血糖になったのか、手のふるえと意識の違和感に襲われた。薬はきっちり数値通りだったのだが。
とりあえず、食事を取って事なきを得たが、大変久方ぶりの突然の不調に、平素を装うことが出来ていたのかと、心配している。
身体の不調くらい、家族に伝えてもいいのではないのかと思われるが、いかんせん、私の家族は私を信じていない。いや、信じていないというより、別段気にしていない。が故に、私は家族に不調時に頼るということをあまりしない。
私の受け取り方が悪いことは、自覚しているのだけれどもね。どうにも、家族を信じきれない私が存在する。
困ったものだ。




