2025年3月29日
昨日の夏に近づいた気温から一転、冬の終わりの気温の一日である。身体がついていけるものではない。
とはいえ、自然に物申したところで(以下略)。
冬の支度を片付けておかなくてよかったと思う。黄砂やら花粉やらが飛んでいる中で、仕舞い込まなければならないものを、洗濯して片付けるには、抵抗がある。それが、吉と出るのは、とても楽だ。
季節外れの雪が降って、寒さに凍えるわけではないのが、ましなことだろう。
ただ、平地の人間だからこそ、のんびりしているだけだ。山地に暮らす方々は、雪と氷とが日常を脅かすわけだから、その苦労は計り知れない。
まあ、雪が降らないと助かるだけではなく、夏に水不足になるかもしれないという、どうあっても天秤が平行にある状態をつくるのだから、自然の恐ろしさとは(以下略)
自然災害があちらこちらで起こるが、すべてがすべてあってはならないことではない。
人間にとって災害なのであって、自然にとっては調和の一部である。
それでも、人間は喪失してしまったモノに対して、”悲しみ”を感じて涙するのだ。
己が心を癒すためであり、感情の共有のためであり、次に進むためのエネルギーを蓄えるためだ。
ああ、私は”それ”を捨てようとしているのか・・・・・・。
どうあっても私は私であることを、私に対して認められないまま認めているらしい。
愚か者は、ただひたすら、己が言葉を吐き出しているだけだ。




