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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2025年1月
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2025年1月13日 どく

 死ぬまでにやりたい100のことリストは、一切埋まらない。片付けは遅々として進まず、欲求不満のイライラで暴食し、ストレス解消と言い訳して物が増える。

 悪循環もいいところである。

 自分に対して言い訳をしているのだから、して良いこととして悪いことの区別はついている・・・ついていると思いたい。

 区別がついている(はず)だから、してはいけないことをしないよう、行動を起こさねば良いだけなのだ。それでも、行動してしまうのは、自分に甘々なのだ。

 自分に厳しくしなければならない。思いつめるほどではなくとも、ある程度は自分に対して厳しさは必要だろう。

 言葉が間違っているだろうか? 自分に対する厳しさ、というよりも、自分を制御し続けるというほうが、私の現状を言い表すには正しいだろうか?

 ま、どちらを言うにしろ、どう言い表すにしろ、私は私の良好な未来のために行動はしていない。

 死ぬために生きている。それが私の根底にあるせいだろうか?

 人間として底辺と呼ばれる生活になりはしないと高をくくっているせいだろうか?

 とりあえず、シーソーのような未来を行きそうな行動をとっている。

 でも時々、生活している中で、自分の行動が、本当にどこまでが自分のためで、どこまでが人のために、と言い訳をしているのだろう、と考える。

 死に逝くための行動ならば、現状のすべてを放棄するべきで、生き抜くためなら、現状の不安さを解消するべきだ。

 私はいったい”誰”に言い訳しているんだろう。

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