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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2024年11月
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2024年11月15日 どく

 発熱した幼子を抱えていると、今日のような冷たい空気の中では、湯たんぽを抱いているかのようだ。

 しかし、重いのだ。命の重さである。

 通常時、懐いてくれるのは素直に嬉しい。ただ、今日はしんどかった。幼子は起きている間中、私から離れようとしなかったのだ。

 そりゃ、母親が帰ってきたら、すぐさま母親の膝の上と行きましたけれども。

 いない間は、ある程度熱が下がるまで、ぐずって寝れないわ、抱っこしろと言わんばかりに、床に立たせると泣き出すわ、寝たら寝たでいつ起きるやらわからないし、寝言なのだか本当に起きたのだかわからないくらいに泣くのだった。

 私としては、自分の子どもでないから面倒を見ているが、もし自分が産んだ子どもだったら、世話をせずに放り出しているだろうなぁ。

 自分が子どもを産んだとして、育児放棄や暴力をせずに、まっとうに育てるだろうとは、私はまったく思わないのだ。

 いやはや、今日みたいなことを、まっとうに365日している母親の方々は、なんとまあ、忍耐強いというか、愛情深いというか、少しは休める場所や時間はありますか? と聞きたくなる。

 私がまっとうな子育てをしない自信があるのは、私自身がそうやって育てられたからではない。

 ただ、私の思春期に母に「私の教育失敗したでしょ?」と質問してしまったからだ。馬鹿なことをしたな、と心底思っている。答えが「失敗したね」だったから。

 失敗作が成功作を育てられるとでも?

 私の中に巣くってしまった疑念は、一生消えないと思う。

 だから、一部とはいえ、甥っ子姪っ子の面倒を見るのは、子育ての疑似体験でもある。

 本番をやることは、今後一切の予定も計画もないけれども。

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