2023年11月24日 どく
他人の一挙一動に腹を立てて動きを止めてしまうのは、悪手でしかない。理解できているのならば動けばいいのに。と相も変わらず自分に呆れている。
他人の目を気にするというのは、自分が他人をよく見ているからとも言えるので、他人を見なければいいのであって、他人を気にしなければ良いのだ。にもかかわらず、ついつい気にしがちなのは卑屈になる私の悪い性分である。
さて、腹をたててしまうのは、自分の感情を理解していないかららしい。喜怒哀楽の感情だけでは人間の感情は表現し足りていないということだ。しかし、そんな話があるものかと切り捨ててしまえるほどの感情の表現不足というのはあるだろう。そうでなければあれほど流行り言葉として感情表現が出てくる理由がわからなくなるからである。
まあ、若ければ若いほど複雑怪奇な環境に生きていかなければならないのだろう。世界が身近にありながら、世界までの距離は全くもって近くないのだ。さらには、知らないことを知らないままにしておけるのに、知っていなければならない学習を受けるのだ。哀れみにも似た感情が湧きもしようが、それは今までの親子では当たり前の流れだったのかも知れない。あまりにも親世代と価値観がずれてしまうのはこれが原因なのだ。そう思ってやり過ごしてしまいたいが···。
私がもう少し頭を使うことをいとわない人間ならば、こんな怒りもなかったのだろうと、のんびり記憶を消してしまいたい一日になってしまったのである。