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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2024年9月
342/773

2024年9月26日 どく

今日は、特にどず暗い話になっています。

これを投稿するのは、本来なら許されないことかも知れないほどに。

なので、「どんなにどす暗い話でも読めれば何でも良いよ」と言う方以外は、この話を飛ばしてお読みください。

完全に作者の覚え書きみたいな内容です。今後の話に影響させることはありません。

副題にある通りに「どく」です。

本当に「どく」です。

今日の内に別の話が出来た場合は、即座に差し替えます。






覚悟がおありでしたら、どうぞ。

 ジレンマ。

 ジレンマとは、二つの相反する事柄の板挟みになること。と辞書にある。

 私の場合は、ジレンマではなく、ただの怠惰からなる、机上の空論に過ぎないのだが・・・・・・。

 自分でもどうしてこうも悲観的で否定的な人間なのだろう、とは思う。

 楽観的、肯定的に考えることが出来ないわけではない。

 だが、自分に対してだけ、楽観的、肯定的な思考を受け付けない。受け入れられない、といったほうがより正確な表現かもしれない。

 なぜだろうか?

 この死の思考を始めたのは、小学6年、中学1年のころだったように思う。きっかけが何だったのかは、思い出せないのだが・・・・・・。

 いや、はじめのうちは憎むことからだった。どうして憎み始めたのかを思い出せない?

 とにかくその頃は、家族が憎かった。死んでほしくて、殺そうとも思った。

 でもしょせん子どもの浅知恵である。計画もぐだぐだなら、実行など実行のじの字にかすりもしなかった。

 もうその頃から臆病になっていたのは事実だろう。

 他人を殺す。それはとてつもない労力と代償が必要だ。テレビでああだこうだと騒がれるのを見ていれば、理解が出来た。

 そうなってくると、今度はどうやって現状から逃げ出すか、生きることを捨てるかに、思考が移行した。

 たぶん、その前に誰かに話が出来れば、自分がいなくなれば良いなどと言う思考には、ならなかったかもしれない。

 しかし、私にはそんな話を誰かにするという思考も、相談するという行動も、一切なかった。

 だから、その時期から私は私自身に、「私はこの世に必要のない人間」というレッテルを貼って、剝がせなくなっているのだろう。

 どうしたら良いのか? 成功も勝利も好意も、私は欲しているのに、それらは私が受け取ってはいけないものと思っている。

 この馬鹿げた思考から抜け出すには、自分が自分であると認めれば良いだけだろうか? 私は私以外の何者にもなることは、許されちゃいけないことだろうに。

 小さなことでも成功した自分を褒めるとか? 出来て当たり前のことすら、褒めるのだろうか? 出来ないことを出来たところで、それもまた当たり前なのに?

 何か間違った認識を私はしているのだろう。

 何が間違っているのだろう?

 独りで考え込んでいることだろうか。

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