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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2024年9月
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2024年9月20日 どく

 終活ってなんとなく高齢と呼ばれる年齢に差し掛かるくらいで行い始めるものだと、私は受け止めている。私の勝手な思いなので、終活は別に高齢と呼ばれる年齢の人じゃなくても、行って良いものだよ。と言われれば、そりゃそうだ。と納得はする。

 私自身がのんびりと終活をしているようなものなのだから、別に年をくってからーー身体が大変になってきたとか、気持ちがその方向に向いてきたからとかーーでやる必要もないのだと思う。

 ミニマリストと呼ばれる、物を必要最小限くらいしか持たない人々とも違う。私の現状はだが。

 生きる楽しさと生きる自由さを求めるのがミニマリストなら、終活は死ぬまでと残った人への準備だからだ。(これらの印象も私の考えなので、違う思いを抱く人がいるなら、それはそれで良い)

 だが、終活を死ぬまでと残った人への準備としてしまうと、現状の私の状況は合致しなくなってしまう。

 生きるためであって、自殺すら考慮に入れて、死を内包し、私の痕跡を一切消してしまえるほどのものを求めている。残った人の悲しみなど必要なく、私が死ねば憎しみが晴れるくらいのものであっても良いと思っている。

 とはいえ、まあそんな器用なことができるはずもなく、ただひたすら過去の物を捨てることに時間を費やすだけなのだが。

 自殺したいと思う人がいるなら、その人の寿命の時間が欲しいくらいだ。

 誰にも迷惑をかけずに、ニュースにもならずに、残った人を泣かせずに、死んでいく方法を話し合ってみたい。(どこにそんな稀有な人がいるんだよ。という話になるので、まあ、こんな話もありますよ、程度のことだ。)

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