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2024年5月12日
人間が人間の死を悲しむのは、死んだ人間に幾ばくかの心を傾けているからだろうか?
悲しみが現れないのは、現実味を失っているだけだろうか?
答えなき問いに溺れているのは時間の無駄だろうが、死を悼む儀式の時くらいは、かまわないだろう。
亡くなるのは、自然の理。
生まれてくることも、自然の理ならば、世界は理でまわっている。
嘘か真か、善か悪か、零か一か、単純に分けられるものでもないこの世界は、人間が矛盾を作り上げて余計に複雑にしている気がする。
その複雑さのせいとは言わないが、死への思いもまた複雑すぎて答えが出なくなっているのではないだろうか?
そう思うと、古代の人々のほうが、純粋に世界の真理に近かったのだろう。
現代の人間がどれだけ科学的に賢くなろうと、知識も知恵もつこうと、純粋さ以外では、真理に近付けなくなっているのかもしれない。