表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2024年2月
110/733

2024年2月7日 どく

 私はこの家族にとって不要な人間なんだろうな。と時々思うことがある。昔から、私の意思、存在、行動は考慮されないことが時折あるからなのだが、それは生きている以上、仕方のない部分もあるだろう。私の自意識過剰であることは否めない面があるのも事実だ。

 だが、なぜ私はこんなにも家族の言動に敏感なんだろうか?言葉の奥の感情を読み間違えてしまっているからというのもあるのだろうが、それにしても、私という存在への不要感をここまで思い込めるほどか?

 いや確かに幼い時から、家族とは相容れない何かがあってすれ違うことは多かった。価値観も考え方も生来持つものと教育されたものが違うのは、現在実感しつつあることでもある。

 それでもどうしてこれほど家族と価値観や考え方が合わないのだろう?血のつながった家族であっても他人であるのだから、仕方のないことと諦めてしまえばいいのだろうか?

 小学6年生の頃から悩み始めたこの思いに、未だに答えも諦めもつけられないのは、私がなんの行動も起こさないのが悪いのだろうか?

 ぐるぐるとらせんの中をさまよっているだけの無駄な感情に時間を取られるのはもったいないとわかっているのだが、どうにも解決できないまま年月が経ちすぎている訳だ。問いかけを変えるのも、問いかけの見方を変えるのも、もうどうやったら良いのかもわからなくなってしまったのは、歳をとりすぎたからか?

 ここに残っていなくちゃいけないと思わされている感情と、ここから離れなきゃいけないと思わされている感情の、どちらが“私”の感情なのか、私に判断つけられるのかどうかわからないけれど、見極めなければならない。

 私がこの家族にとって不要な人間であるなら、「立つ鳥跡を濁さず」で去らなきゃいけないかもしれないから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ