第5章 第1話 東への旅(その5)
コッパーグロウの軍勢相手に片足で獅子奮迅の活躍を見せたギルダだから、脚の一本くらい無くともどうとでもなるのでは、とも思えたが、肝心のリアンが母親を前にゆっくりと首を横に振る。
「母さんが心配してくれるのはありがたいけど、メルセルも一緒だし、私は大丈夫だから」
一緒なのがメルセルだから頼りないのでは、とアンナマリアは思ったが、ギルダは苦渋の表情を見せながらも、黙って一行を村から送り出していくのだった。
「心配では無いの?」
「心配は心配だとも。だが結婚も含めて、リアンの思うように任せると決めたのだ。それに旅の事はあのイザークという男が詳しく、あの人数で無事に行って帰ってくる算段があるというのなら、任せるだけだ」
そもそもリアン一人が王国を離れたところで、近衛やら憲兵やらが、そのうちに王都のアルマルク商会やこのウェルデハッテにも何かしら捜査の手を伸ばしてくるかも知れず、王都のクロードらにしてもそれと相対する覚悟を持って夫妻を送り出したのではなかったか。離れてゆくリアン同様、残される者たちにも苦難は待ち構えていたのだった。
「リアンよ。お前も村のことは何も心配せずともよい。無粋な近衛どもなど、この私が成敗してくれよう」
ギルダがそのように言えば、案ずるは村のことよりも何も知らない追っ手たちだったかも知れない。
近衛が離宮の側仕えの者たちの身柄を調べようとしているという話は、あらかじめオーレンによってアルマルク商会の一同の他、ハイネマンにも伝えられていた。彼自身、私塾の件でユーライカと幾度となく面会しており、面会人記録の側から疑いをもたれる可能性もあったからだ。すべてはオーレンと彼に指示を出したシャナン・ラナンの杞憂に終われば、それに越した事はなかったのだが。
やがて隊商はウェルデハッテを出立していく。東を目指して三日も行けば王国の国境の関所があり、そこを出て一週間も行けば、やがて草原が見えてくる。道なき道とまでは言わずとも、決して楽な旅ではないはずだった。
その隊商が再びウェルデハッテの地を訪れたのは、それから三ヶ月ほどが経った頃のことであった。
当然というか、リアンの姿は一行の中には見当たらなかった。それどころか隊商の面々は出立した時の半分にも満たない。旅慣れた髭のイザークは疲れも見せてはいなかったが、隣に並ぶメルセルはひどく焦燥した様子だった。出立の時とは違って顎の先にちょこんと髭をはやしているのがまるで似合わなかったが、その印象も相まってひどく変わり果てた印象であった。
「ご苦労様でした。リアンは無事なの?」
出迎えの挨拶をしたアンナマリアに、イザークが返答する。
「隊商の半分ほどは国境の向こうの宿場に留まるよう指示して、リアンはそちらの一行と一緒だ。王都に戻る面々だけで国境を越えてきたのだ」
見れば出立時に何人かいたはずの女手が一人もいない。リアンと一緒に、向こうに残してきたのだろう。
旅は順調であった、とイザークは安堵のため息とともに付け足すように洩らした。眼の前に立つ心配顔のアンナマリアもさておき、その後ろで無言のまま恐ろしい形相のギルダにまっすぐに睨みつけられて、イザークは生きた心地がしなかったのだ。
「……ところで、メルセルはどうしてそんなにやつれた顔をしているの?」
「ふむ、旅そのものは順調ではあったのだがな。メルセルやリアン以外にも旅が初めての者も少なくなく、いきなり長旅に連れ出すのも無理があるとの思いから、今回はナルセルスタまでという予定であったが……まあ、それで丁度よかったというか、何というか」
「リアンは元気ですよ」
そういって疲れた顔を見せるメルセルをみて、イザークは豪快に笑った。
一行は場所を診療所に移し、一息ついたところで、イザークの口から改めて旅の様子が語られるのだった。
「いやはや、メルセルであればどこかで音を上げると思っていただけに、よくぞここまで頑張ってくれたものです。ただ、リアンがなあ……」
「本当に。あれだけの元気がいったいどこから出てくるのか……」
「元々出国の手続きを届け出るに当たって帰参の期限も申告済みであったから、リアンをかばうのはさておき一時でも帰国せぬ訳にはいかなかったのでな。兄クロードにも報告があり、少なくとも自分だけでも王都まで行って帰ってくる必要がある。それで国境向こうの宿場で半月ほど休養という心づもりだったのだが、足止めを食わされてあからさまにへそを曲げておった。行くでも帰るでもどちらでもよいから今すぐにでもまた出立したい、という感じであったな」
両者のやり取りを見て、アンナマリアもどう言い返せばいいか戸惑う。
「……まあ、あの子もご覧の通りの山育ちですからね。お屋敷育ちのメルセルよりかはずっと体力もあるでしょうけど」
メルセル自身は平凡な庶民の生まれという認識だったが、やはり他国で勉学していたという話を聞けばアンナマリアから見ても良家の令息という見方になってしまうのは致し方なかった。
そのような話をしていると、診療所の戸口に馬が駆け込んでくる物音が聞こえた。
アンナマリアが出迎えてみると、やってきたのは久しぶりに顔を見る近衛騎士オーレンであった。
「どうも、ご無沙汰しております。アルマルクの皆さまも帰っていらしてたんですね。……あれ、髭を生やされたんですね?」
「草原や砂漠では豊かな髭こそが一人前のあかしだ、と叔父が言うので……」
「髭のない男など当地で半人前と侮られるだけで、得な事など何もないからな」
「リアンにも、散々に似合わぬと笑われておりますが」
そういってメルセルは力なく苦笑いを浮かべた。
「そんな事より、オーレンどの」
「ああ、そうですね」
イザークに促され、オーレンは改めて一同の前で近衛の捜査の件について一通りを語って聞かせた。




