第4章 第5話 鳴鐘(その2)
私塾には学び舎だけではなく、そこで学んだ医師が詰めている市井の人々のための小さな診療所も併設されている。王都に出てくるまではウェルデハッテで看護婦の手伝いのような雑用をこなしていた彼女だから、そこを手伝う分にはハイネマンもそこまで大きく迷惑ではなかろうとは思う。しかしその私塾にしてからが本来はユーライカの援助で建てられたものであり、姫殿下の動向についてはハイネマンもまた重く気にかけていた。そしてリアンがユーライカの次に……いや、それ以上に気にかけていたのが、何と言ってもおのが母ギルダの事だった。
二人で北の塔へ出かけた時の事もある。アンナマリアと一緒にウェルデハッテへと渋々帰っていったその母が、唐突に気を変えて王都に舞い戻ってきたりという事がまったくあり得ないとも言い切れず、リアンは気が気ではなかったのだった。
実際のところ、ギルダがどうするのが望ましいのか、リアンの中でもどうにも考えがまとまらなかった。かつてコッパーグロウを退けた鬼神のごとき活躍はもちろん話には聞いている。ユーライカが獄中で責め苦を受けるなど、本当に生命が脅かされるほどの危機に陥ったとなれば、リアンとしても最後に頼るべきはおのが母しかおらぬのは確かであろう。しかしリアンが実際にいくさの切った張ったを目の当たりにした事があるわけでもなく、かつて衛士であったというギルダが実際に牢を破るというのが、具体的にどういう事なのかもピンと来ない。一連の投獄に異を唱えた者が、自身何を企てたわけでもないのに見せしめのように処刑されてしまったという噂話もあり、もしギルダが牢を破ればその成功の如何に関わらず、それに連座した者として、自身はともかくともハイネマンの私塾やアルマルクの者たちも罪に問われるかも、と思えばそれはそれで気が気ではないのだった。
「ねえ、メルセル……私たち結婚したばかりだけど、すぐに縁を切ってもらった方がいいんじゃないかしら」
唐突な物言いに、メルセルはびっくりして思わず咳き込んでしまった。
「君が心配しているのはお義母さまの事でしょう。いくら衛士だったとはいえ、脚もあんな具合で、本当に牢を破ったりするかな……?」
何かあった時に、とにかくアルマルク商会に迷惑をかけてはいけない、と思うリアンではあった。しかしメルセルやクロードからみて、リアンと年恰好の変わらぬ外見についてはなるほど人造人間とはそういうものか、と納得はするのだが、それが脚を悪くして杖をついていればなおさらに、そのような極端な荒事を実行に移すようにはとても思えなかったのだ。
だがリアンは知っている。それが実行しうるかどうかはまだしも、母はやると決めたら本当にやる。仕えた姫殿下がそうであったように、ギルダもやると決断すれば炎のごとき決意でもって、それを実行に移すに違いない。そのような人となりである事は娘として充分に把握しているつもりだった。その母が王都にいない事は、会えぬのは寂しくあったが何をしでかすかと不安にならずには済んだ。それでも、やはりと意を決して村を飛び出してくるかも知れず、であればハイネマンの元に身を寄せていた方がそのような動向もすぐに分かるというものだった。
「お前の心配も分からないではないが、シャナン様が自重しろと命じたという事であれば、その命令には従うものと私は考えるがね」
「でも、ハイネマン先生。そのご命令が無かったら、母さんはどうすると思います?」
リアンの脳裏に浮かんでいたのは、あの日思いつめた表情で北の塔をじっと見つめていた母の顔だった。
「逆に、リアンはギルダにどうしてほしいのかね。姫殿下のために牢を破るような、そのような危険を冒すべきではないと考えるか」




