第1章 第4話 彼女の役割(その3)
「……確かに、あらためてまじまじと見れば、ここにいた僧侶どのは植物学に興味がおありだったようだな」
今まで全然気づかなかった、と呟きつつ、立ち並ぶ背表紙をざっと眺めながらハイネマン医師が言う。むろん、ギルダの居室だと分かってハイネマンやアンナマリアが頻繁にその部屋に足を運ぶ事も無かったから、誰が気付かなかったといっても仕方のない話だったが。
ギルダがさっと書架に手を伸ばし、収められていた書きつけの帳面を取り出す。それを受け取ったアンナマリアは適当にページを開いて、首を横に振った。
「僧院長は異国の人だったのかしら」
彼女が指摘したように、書きつけはすべて異国の言葉で書かれていたのだった。
僧会の総本山は確かに異国の地にある。そこから派遣されてきたか、その地で学を修めた人物だったのだろう、と医師は推察した。これらの書物も、おそらくはその際に持ち帰った物だろうと思われた。
「ギルダ、君はこれを読めるかね?」
「どこを読めばいい?」
医師が無造作に頁を開いて指し示した下りを、ギルダは流暢な発音ですらすらと読み上げる。
「医師やアンナマリアは、読めないのか?」
逆に問い返されて、アンナマリアは首を横に振った。
「私は全然読めない」
「私も、かろうじて文字が追えるくらいかな。書物は表紙の題名がかろうじて判読できるくらいで、手帳に至っては手書きの書き文字ががさっぱりだ。……とはいえ、傷の薬ぐらいであれば私にも多少の知識があるから、材料さえそろえばこの書物と手帳の書付を頼りに、我々で何とかなるかも知れない。アンナマリア、この件は君に任せる。不足している薬をなんとかできるようなら、君らで何とかしてみてくれ」
大事な役目を託された、とアンナマリアは一瞬居住まいを正したが、医師がさらりと付け足した、君ら、という言い回しに違和感を覚えて、彼女は思わずギルダと顔を見合わせた。
「……彼女と一緒に、ですか?」
「彼女以外に、ここにある書物をすらすらと読んで内容を理解できる者に、他に心当たりがあるかね?」
「それは……」
「であれば、彼女の力を借りるよりほかにないのではないかな。例えば、物置の抽斗の分類も同じように異国の文字で書かれているのではないか」
その通りだ、とその事実をアンナマリアは素直に認めるしかなかった。
「ならますます、彼女の助けが必要だろう」
「でも、運び込まれる患者は全然減らないし、今仕事を離れてそんな事をしている余裕なんてとてもじゃないけど無いわ。ギルダが適任というなら、彼女に全部任せればいいんじゃないですか?」
そう反論したアンナマリアに、医師は深々とため息をついて、諭すように言った。
「普段は彼女の事を敵の士官だのなんだのと目の仇にしておいて、肝心なときに一人で勝手にしろというのは何とも都合のいい話ではないかね。それに彼女は足がこんな調子だ。薬草が村のどこに自生しているかは知らないが、危険な斜面に一人で立ち入ってもらって、何か余計な怪我をしてもらっても困るだろう」
その言葉には、そもそも人造人間のギルダが転んだくらいで怪我などするか、と反論したくもなったが、看護婦の立場から言う事でもないし、確かに崖から転落して行方が分からなくなるような余計な騒動は遠慮してほしかった。
「それにアンナマリア。とにかく君は根を詰めて働き過ぎだ。ギルダを連れて薬草を探すついでに、しばらく外でも歩いて息抜きでもしてきなさい」
そこまで言われて、アンナマリアはついに反論の言葉を失ってしまった。ともすれば彼女が気にかけている医薬物資の不足などよりも、ハイネマンとしてはアンナマリアの休養の方が大事と考えているのかも知れない。であれば、それ以上理由を見つけて断るのも難しそうだった。
「……分かりました」
涼しい表情を崩さないギルダを横目に、アンナマリアは渋々ながらに承諾の言葉を吐いたのだった。