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大剣のアリスティア 幕間集  作者: 雉子谷 春夏冬
前日 北の狼族
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前日 北の狼族・2

 頭領は背を向け、地を這うように走り始めた。無論ジントを含め十人の狩師達も音もなく後をついていく。


 向かう場所は山への入り口、表山門。そこで先導役の狩り師四名と落ち合う予定だ。ジント達は川に沿って、しかし流れには逆い、闇夜を走り行く。


 人の住む領域を人界、獣たちが住まう領域を山界といい、狩師たちの集落はちょうどその境界線上の山界側にある。集落から山界の中心に向かって進み、獣がまだ降りてこない川沿いが先ほどまでジントたち狩師がいた舞を行う場所、川舞台である。そこからさらに進み、山の麓が表山門である。狩師たちの足なら数刻もしないでたどり着く。


 息も切らさず足音すらないジント達十人を山門で迎えたのは、狩師のなかでも先導組と呼ばれる四人だ。その名の通り引導組に先んじて山に侵入し、狩場までの侵入経路を探る。そして狩場まで引導役を導くまでを仕事として負っている。


「頭領、山は凪に入りました。しばらく続くと予想します」


 山を前にした狩師に余計な挨拶などない。引導組が到着してすぐ報告したのは、先導組のまとめ役、ジントのいる狩師団の副頭領、スクフォだ。


 山での凪とは、天候が安定し獣たちの活動も活発ではないことを示す狩師達の用語だ。山に侵入するだけなら有利と言える。


「よし。では間をおかず、すぐに出立しよう。みんな、森化粧を始めてくれ」


 先導組の中でも、装飾師と呼ばれる二人が引導組に小袋を配り始めた。


「ジント」


 熟練の装飾師のディウが狩言葉で声をかけてきた。頭領と並んでジントを幼いころから狩師として育てあげてきた、ジントにとって年の離れた兄のような人物である。


「俺は、今日の凪は天の配剤と思う。国の許可がなかろうと、山王様を裏切るわけではないぞ」


 ディウの両親は高齢である。容態は厳しかった。山に入る以上、装飾師も舞を経てこの場にいる。ディウの表情は無表の面のごとく感情を写さず、その声はどこまでも透明なままだった。


 ジントがうなずくと、ディウは森化粧をジントに施しはじめた。


 森化粧とは、獣たちの目と鼻を欺くための全身偽装を示す。先導役によって山への潜入経路、狩師の間で至道と言われるものと狩場が決まれば、それらに合わせた、紛れ込むための準備を装飾師達は行う。彼らは道すがら集めた木葉や木の実、土、はては虫をすりつぶし、そしてこの狩猟団に代々伝わる薬を混ぜ合わせて森を再現する色と匂いを作り出すのだ。


「ディウ兄、初陣じゃないんですから。自分でやれます」


「いいんだ今日は。俺に任せておけ」


 くすぐったい思いを我慢して、ジントはディウに森化粧を行ってもらう。初めて山に赴いた子供の頃にやってもらった記憶が蘇ってくる。

(あの時もディウ兄が森化粧をやってくれた。足手まといなだけの、ただの子どもだった俺に)


 ディウは手際よく、ジントの顔を塗り薬で染め上げながら静かに問いかける。


「俺たちの紋章は狼だ。狼とはなんだ? ジント」


 このやり取りは、ジントの耳にこびりつくほど何度も何度も繰り返されてきたもので、条件反射のようにジントはすらすら答える。


「かつての、神の怒りの前の狼たちは、人と協力しながらも、従属するではなく、誇り高くあった生き物だったと」


「そうだ。俺たちは国と確かに取引している。いろいろと制限もされている。様々な便宜を図ってもらってもいる。だが、囲われているのでは決してない。我々が狩り場の選定方法を頑なに変えないのもそのためだ。死ねと言われて大人しく死ぬいわれはない」


 狼の意味を何度も問うのは、ディウの癖のようなものだった。しかし今回は、自分を慮ってのことだと鈍いジントでも察した。


「そんなに、思い詰めた顔をしていますか?」


「初めて蛇の生き血を飲んだ時の顔してたぞ」


 顔を塗り終えたディウは、続いて素肌を晒している首もとや手首から先も丁寧かつ素早く施していく。

 ジントの周りをぐるりと一周し、ディウは森化粧の仕上がりを確認する。


「凪に合わせて匂いはそこまで強くはしていない。不自然になるからな。その分、獣たちとの距離には気を付けろ」


 ジントへの森化粧を終えると、ディウは中身が残った小袋をジントに手渡す。


「託すぞ、ジント」


「はい、この命にかけても」


 ディウは山の側に身を向けると、眼を細めて呟く。


「みな、心を消しきっていない。体は切り替わっていても。俺を含めてな。こんなのは初めてだよ」


「ディウ兄、それは」


 振り返り、手を挙げてディウはジントの言葉を遮る。


「頭領はきっと全責任は俺にあるとか言ったのだろう。でもな、皆同罪さ。虫肉で満足出来ない時点で、俺達も、国の奴らもな」


「ディウ兄…」


 ジントはなんと返答すべきかわからず言いよどむ。


「だがな、それでも山王様はいつだって俺たち狩師を見守って下さる。だから必ず戻ってこい」


「必ず」


 その答えに満足そうに頷き、ディウは素早く帰り支度を始めた。彼ら装飾役はこのあと非常事態に備えて、舞を行う川舞台までさがり、備える手筈となっている。常ならばない手順だ。


 もし万が一、ジント達が失敗し最悪の状況に陥った時、ディウ達は山に火を放ち、人壁になる。村もまた山に火が放たれたことが確認したときは、狼煙を上げた後、村を潰す仕掛けを発動させる。村より人界側に被害が出ないようにする措置だ。

(そんなこと、ディウ兄にさせるわけにはいかない)


「みんな、準備はいいか」


 副頭領と打ち合わせしつつ森化粧を終えた頭領が、狩言葉で声をかけてきた。


「ディウ、ライドの二人は事前計画通り、川舞台まで後退、待機してくれ。後の狩師全員で、狩場にいく」


 村の占定師が選定した今回の狩場は、獣たちの水飲み場と言われている、今いる表山門から一番近い狩場だ。


 通常の狩り業と異なり、密猟である今回は速さが重要である。獣の動向は人間の都合など意に介しないため時間がかかる可能性は否めないが、狩場が表山門に近いのは運がこちら側に向いている。


「狩りは3頭限。頼むぞ」


 3頭限とは、狩場で同時に狩る獲物の頭数制限を示す。この場合、狩場に4頭以上獣が現れた時は、そのままやり過ごす。狩場に現れた獣が3頭以下だった時のみ、その獣を狩る。


 頭数制限は、狩るとなれば必殺しか許されない状況での伝統であり、神罰化を防ぎつつ命をもらうという矛盾への苦し紛れの策に他ならなかった。


 賭にでた、と頭領以外の狩師は察する。狩猟物は闇市に売り払う予定ではあるが、弱った家族に肉を食わせてやりたい。それには2頭では足りないのだ。狩猟物の成果は必ずみなで分け合う。これは狩師の集落の鉄の掟であった。


 本来の狩り業であれば、神域である山に入るのは狩師のみだか、万一の失敗に備えて、集落周辺を国軍の兵士がかためる。


 しかし今回は密猟。当然国に黙って行う以上、国からの支援など望むべくもない。そのため、非常事態の備えを自分たちでやらねばならなかった。失敗すれば、自分たちの集落どころか、離れているとはいえ、後方の農村に被害が出かねない。それだけはなんとしても避けねばならないのは、集落の総意だった。


 故に、山に入るのは最小限の人数で最精鋭のみ。あとの狩師はみな通常の狩り業なれば国軍の兵士が行う役割を担う。


 その状況のなかでの3頭限は、かなりの冒険である。無論、獣が都合良く3頭同時に現れる保証など、どこにもない。

(頭領も今日の凪を天の配剤と思っているのかもしれない。ディウ兄みたく)


 ジントは狩猟弓を強く握りしめる。整備上がりの相棒は堅くもしなやかな仕上がりで、体の一部のように身に付けることに違和感がない。


 先導役の2人、ディウとライドと別れ、副頭領のスクフォ、同じく先導役のニミを新たに加え、総勢12名となった狩師達は表山門をくぐり、山への侵入を開始した。


 狩場までの道のり、至道は村の占定師が儀式をもって決める。故に毎回異なる侵入経路となる。今回は獣道を進みながら途中木に登り、枝を渡りながら進んでいく。しなる枝に対し、音を極力抑えて木から木へと渡る。森化粧を施した狩師達の姿は木々に紛れ、枝が風に揺れているようにしか傍目にはわからない。


 誰一人迷うことも、はぐれることもなく目的地にたどり着いた。幸いなことに移動中に獣に遭遇することもなかった。

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