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大剣のアリスティア 幕間集  作者: 雉子谷 春夏冬
前日 北の狼族
1/11

前日 北の狼族・1

前回本編中に掲載してきたものを別にわけました。

そのため、すでにお読みいただいている方は混乱させてしまい、申し訳ありません。同じ内容ございます。

 素足を刺すような薄い板の冷たさも、舞装束の隙間から流れ込む川の風が与える痛みに似た寒さも、これから行う罪深さをジントからごまかすことはなかった。


 彼女の潤んだ瞳が、ジントの脳裏に浮かぶ。河川敷に引いた薄い板張りに摺り足でゆるりゆるりと舞いながら、無表の面の奥でジントはほんの数刻前だった昨夜の記憶を払えない。


 まだ日の出前の深夜、表山門から幾ばくか離れた河川敷で、音を立てず星明かりの中で舞うのは狩師の神事だ。


 山に入るのに、心を持ってはならない。


 これは狩師が狩りをする際の鉄則である。そのため狩師は神事である入山の儀式を執り行い、無心の境地をつくりだす。


 常ならば、無表の面といわれる黒曜石を滑らかになるまで磨き上げた仮面をつけるだけで頭が冷え、舞いを舞う前から無心に入り込めるのだが、今日は舞いが終盤になっても彼女の顔がどうにも心から離れない。こんなことはジントにとって初めてだった。


『お願い、ジント。お願い』


 湖の中の空気のように、浮かんでは消え、消えては浮かぶ記憶の中の彼女の懇願。


 あれほど余裕のない幼なじみの声を聞いたことがなかった。男勝りで、山に女が入れないことも、狩りが男にしか赦されない神事であることにも腹を立て、男に生まれたかったと本気でいうような彼女がこんなにも弱々しくなることなど、想像も出来なかった。


 彼女の母が倒れた。

 もとより、丈夫には見えない線の細い人であったが、最初は少し体調を崩したとしか彼女も言っていなかった。二、三日もあれば良くなるだろうとしか。


 しかし彼女の母は立ち上がることすらできなくなり、その頃には村の実に四分の一が彼女の母と同じ症状に次々と倒れていった。世話役の女房や纏い前の子供たちである。原因不明の流行り病が、対処を考える間もないまま村を蹂躙した。


 舞は終盤に差し掛かり、神と山王への赦しを乞いながら、人もまた自然の一部であることを示す円の動きに入る。ジントは最後、その円を断ち切るように袈裟懸けに手刀を振り下ろし、舞を終わらせた。


「念入りに舞っていたようだな」


 狩言葉で頭領がジントに話し掛けてきた。狩言葉は狩師にしか伝えられない、特殊な訓練にて体得する一種の発声方法である。この技法を用いれば、壁などの物理的な障害がなくとも近距離にいるものにしか聞こえない。擬声法とともに、


 あらゆる狩りの技法よりも真っ先に仕込まれる、門外不出の技である。熟練の狩師ともなれば、声が届く距離もある程度自在に操れると言われていた。


「失敗、出来ませんから」


 同じく狩言葉で返すジント。彼にとって頭領は養父であり、幼なじみの彼女の父親でもある。


「感謝する」


 そう言うと、そっと頭領はジントの肩に手をおいて頷いた。


 狩りに出発する前夜、狩師は狩師以外の人間との接触を断つ。それは肉親でも例外ではない。これもまた神事である狩りの掟であった。


 それでも彼女は逢いに来てしまったし、ジントも拒まなかった。そして、頭領もまた娘を止めることが出来なかったのだろうとジントは思う。今、ジントが舞の最後、振りを付け足しことにも見ぬふりをしたように。


 この狩師団の歴史のなかで、今まで決して私事で狩師団を動かしたことはなかった。それは法により厳しく定められていることもあったが、闇市で私腹を肥やすような他の狩師団もあるなかで、同時に誇りでもあった。


 頭領も自分の妻だけが病に倒れたのなら、狩師団を動かすことは絶対になかっただろう。しかし村人の多くが病に倒れ、どんなに嘆願しても医師の派遣をラティカ王が許可しなかった時、頭領は覚悟を決めた。


 密猟の決行である。


 狩り業は国によって厳しく管理されている。装備品も全て国からの支給であり、日々の手入れを除けば、点検整備もわざわざ専用の輸送団を用意し、王都内の専用工房でするほどの徹底ぶりである。


 闇市に出回るものも、決して密猟を行っているものではない。具体的な方法などジントには知る気もなかったが、憶測はつく。恐らくは正式に許可された猟のなかで、獲ったものを横流ししているのだ。しかしそれでも許可のない狩り業など、噂にすら上がらない。


「みな、聞いてくれ」


 この場にいる全ての狩師の舞が終わったことを確認した頭領が、自分の周囲に全員を集めて語りかけた。舞を経たみなの面持ちがいつもよりも陰りがあるのは、常よりも濃い闇夜のせいなのか、ジントには判別出来ない。あるいは自らの不安が目を曇らせているだけかもしれない。


「改めて礼を言わせてほしい。集まってくれてありがとう。いくら感謝してもしきれない。みなは私の誇りだ」


 みずくさいぞ頭領、という声が口々に発せられる。これはなにも頭領だけの問題ではないと、ここにいる引導組の狩師、十名の認識だった。

(先導組のディウ兄達も、きっと同じ思いだ)


 そう考えるとジントには腹の底から力が湧いてくる。


「これから行うことは、禁忌中の禁忌となる。だからこそはっきりさせておきたい。これから行う密猟の責任の一切は、全て頭領たる私にある。穢れも、山王様の怒りも、私だけのものだ。それだけは肝に命じておいてくれ」


 穏やかな語り口であっても、頭領の言葉には反論を受け付けないことがはっきりと伝わってきた。誰もがなにも言えず、頷くことすらできない。


「では、行こう」

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