第三章「深海の石像」その4
「これはね、門なんですよ」
教授だ。やはり今回も関わっていたか……
「それにしても、まさかショゴスを倒してしまうとは驚きです。いや、まぁ殆ど自滅みたいなものでしたけど。やはり、知性を真似ても家畜は家畜か……」
そう言って、固まって動かないショゴスと呼ばれたものに近づく。
「おい!お前は一体何者だ!邪神なのか?人間なのか?」
教授はこちらを向く。しかしその目線は俺の目を見てはいなかった。
「後ろにいる異形……そちらがこの世界の神、地獄の魔神とやらですか?随分とお上品なお姿ですねぇ。人間を発狂させない為の仮の姿なのでしょうか?」
こいつ、アスタロトが見えるのか……
「自らを神と勘違いする醜い化け物と一緒にするでないわ」
その口調には怒りがこもっていたが、アスタロトは極めて冷静に返答する。
「これは手厳しいですね。しかし、勘違いしないで欲しい。誰も自らを神などと称してはいない。その人智を超えた力を表現できぬ矮小な者どもが、畏怖と敬意を込め、神と呼んでいるだけのこと。君たちは、地を這う小虫に自らを神だと名乗りますか?そのような者が居たとしたら、それはただの愚者だ」
口調は穏やかだが、教授の発する言葉はとても高圧的な印象を受ける。
「そして勿論……地を這う虫の神よりも偉大な存在だ」
「何じゃと?」
アスタロトの表情が怒りに歪む。言いたいことを言って満足したのか、教授は目線を俺に移す。
「大星くんだったかな?頑張ったご褒美に少し講義をしてあげましょう。レニウムという金属を知っていますか?」
「何の話だ!」
教授はやれやれといった感じで俺を無視して、話を続ける。
「知らないようですね。この星の金属ですよ?勉強が足りませんねぇ。レニウムはこの星で極めて希少な金属です。集めるのに苦労しました。この金属は依代として、この世界でもっとも適していた。そのレニウムで作ったのがあれです」
部屋の奥にある、3m近くはある黒く耀く像。その姿は、バオリイカくん……とは少し違った。恐らくタコの上にタコが乗っかっている……いや、仮に表現するのであればそうなるだけで、本当ところ、その造形はイマイチ頭に入ってこない。脳が理解を拒んでいるようだった。
「で、この像で何をするのか?もうお分かりですね?隣の部屋の生ける人形を生贄に、神をこの世界に招待しようというのです!こんなデクの棒とは違う、本物の神格を!」
教授はコンコンとショゴスを叩く。
「ついでにこいつも生贄にしちゃいましょう。術式機動分の生贄が、あの森の生命力だけでは足り苦しかったところです」
サラサラとショゴスが塵となり虚空に消えていく。
「あんた!どうして私の家族を狙ったの!?どうしてあんなことを!」
今までじっと話を聞いたニーアだったが、とうとう感情を抑えきれずに声を荒げる。
「ん?誰ですか貴女は?」
ニーアは怒りに震える。
「んー、正直私は貴女を存じあげませんが……その口振りと表情を見るに、どうやら貴女の家族を気付かぬうちに踏んでしまったようですね。運の無いことだ……」
俺は今にも飛び掛かりそうなニーアを抑え、教授を睨む。俺は召喚札を左手に持った。
その時、突然、像がガタガタと振動を始めた。いや、部屋全体も揺れているようだ。
「準備は整いました。もう門は開き始めていますよ?力の片鱗だけで、見るもの全てを石と化す力。顕現が楽しみですねぇ!さぁ!楽しいカーニバルを始めましょう!」
像が鈍い緑色の光を纏う。そしてその目は、既に作り物には見えなかった。まるでその目を通して、異界の邪神がこちらを覗いているようだ。
「恐らくあの依代は、呼び出す邪神を象ったものじゃ。こういう儀式は、依代を消し去れば失敗する。あの像をなんとかするのじゃ」
流石は何でも知ってるアスタロトさんだ。
俺は、左手に召喚札を持った。
「おぉ、依代を破壊するつもりですか?地獄の魔神の力、拝見させていただますよ」
教授は、俺たちと像から少し離れる。その余裕、後悔させてやる。俺は右手を像に翳す。
「地獄の魔人よ!我呼びかけに応え、この星に這い寄り仇なす者の道を断て!顕現せよ!ザガン!」
右手の甲に、魔法円が浮かび上がる。手のひらから放たれた幾つもの光流は一つとなり、激しい光と共に地獄の魔神がその姿を現した。
「我はソロモン72柱が一柱。魔神の王 ザガン。汝の契約に応じ、ここに顕現した。この異形の像……この世界から消し去って見せよう!」
その姿は、鷲の翼に牛のツノ、淡い紫の長髪に浅黒い肌の妖艶な女性の姿をしていた。
ザガンは像の前までいくと、腰を低くし、右手を大きく後ろに引く、その拳に周りの景色が歪むほどの力が込められているのがわかる。
「止めないのかい?」
ザガンが教授に問いかける。
「どうぞ」
教授は余裕の笑みで返す。
「ならば、刮目するが良い!地獄の魔神の力を!」
ザガンは、像にその力のこもった拳を叩きつけた。像と拳が衝突した部分から激しい閃光が放たれ、その凄まじい衝撃に、俺とニーアは尻餅をつき、床や壁に大きな亀裂が何本も入った。
やがて衝撃と残響が止み、ザガンが拳を引く。その拳からは未だ煙が立ち上っている。問題の像はというと。
健在だ。傷一つついていない。先程よりも緑の光を強めながら、大きくなり続ける振動音がこだまする。今にも像が弾けて、中から良からぬものが這い出てきそうだ。
「ふははははは、この像には特別な魔術コーティングで、破壊耐性が付与されています。あらゆる物理衝撃、魔法衝撃、熱気、冷気、雷撃も通用しません。地獄の魔神と言えど、破壊することは不可能です。残念でしたね」
教授の余裕の正体はこれか。それを聞いて、ザガンがこちらに帰ってくる。
「主よ、契約は果たしたぞ」
「あぁ、お疲れさん」
「負け惜しみはよし給え。破壊どころか傷一つついてはいないぞ?」
俺はなるべく勝ち誇ったように言ってやった。
「誰も破壊するとは言ってないぜ?」
パラッ……パラッ……チャリン
まるで硬貨の落ちる音が部屋に響く。いや、それは正に硬貨の落ちる音なのだ。光を反射する黒鉛色の像の表面がパラパラと崩れ、その破片が次々と様々な種類の硬貨に変わっていく。
「なんだこれは……」
教授は唖然としている。
「魔神の王 ザガンの権能は、金属をその金属が産出された土地の硬貨に変える。硬貨への変換耐性は付与しなかったのか?」
やがて俺たちの前には、登れそうな程の硬貨の山が出来上がり、名状し難い不気味な像はその姿を消した。もう緑の発光もなく、そもそもレニウムとやらでもなくなっているこの硬貨の山が、依代としての能力を失っていることは明らかであった。
「そんな馬鹿げた能力が……」
「神は、蹂躙と破壊しか能のないお前ら化け物とは違うということじゃ」
アスタロトが嘲笑混じりに、心底楽しそうな顔で教授を煽る。教授はこちらを睨みつけていたが、すぐに仮面のような笑顔に戻った。
「まあ、良いでしょう。今回は私の失敗ということで。またお会いしましょう。この星を守護する、地獄の魔神と悪魔召喚師さん。ご機嫌よう」
途端にカメラのシャッターが降りるかのように、一瞬視界が真っ暗になる。気がつくと俺達はさほど広く無い教室程度の部屋に立っていた。勿論、教授の姿はない。
「あの空間は、幻覚だったのか……?」
しかし、部屋の中央には、先程作り出した硬貨の山がしっかりと残っていた。
「この金は、お主のものだがどうする?」
ザガンの問いに、アスタロトが勝手に答える、
「此奴は、偽金はお気に召さん様じゃ。そうじゃろ?」
俺はザガンの方を見て頷く。
「成る程な。ならばこの金、今回の契約の代償として我に献上しないか?さすれば、この度の代償をかなり安価に抑えることができるぞ?」
えっ?そんなことができるか、ありがたい。確かにこの金は、人間界から消えて無くなるのが相応しいだろう。
「助かるよ。俺はこの金を地獄の王ザガンとの契約金として、捧げる」
「了解した。では、さらばだ」
ザガンは、黒い煙となって金の山と共に消えた。
「兄さん、香織さんを探しましょう」
「あぁ、急ごう」
俺たちはその部屋の唯一の扉からマネキンの部屋へ戻った。