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第三章「深海の石像」その3

 俺とニーアは、いつもと変わらない平和な施設内を進む。特に変化がないということは、奴らの目的は俺ではないということか。それともどこからか様子を見ているのか。俺は周りに気を配りながら、エレベーターを目指す。アスタロトは、俺と背中合わせになり後ろを警戒してくれているようだ。ありがたい。


 しかし、結局何も起こることなく、俺たちはエレベーターに乗った。地下5階のボタンを押し、ニーアに念を押すことにした。


「ニーア、危なくなったらすぐに逃げるんだ。あと一番奥の水槽の隣は絶対に見るな。やたらと俺に見せたがっていたところを見ると、やばいものがありそうだ」


「ええ、わかっています」


ポーン


 地下5階に到着し、エレベーターの扉が開く。薄暗い通路を、左右の水槽の光が照らしている。そこには、香織どころか誰の気配も感じなかった。こうも誰ともこのエリアで遭遇しないことも奇妙に感じてきた。


 俺たちはゆっくりと歩き出し、通路の奥へ向かった。恐らく、あのマネキンの部屋に何かあるに違いない。


 関係者用扉が近づいたその時、ニーアが俺の脇をすり抜け前に出た。


「あっ、おい!どこに……」


 ニーアは扉をスルーし、その先にある水槽横の空間へ向かった。そこに何があるのか確かめる気なのだ。いくらアスモデウスの権能があるからといっても無茶をしすぎだ!


 しかし虚を突かれた俺は、ニーアを静止することはできなかった。ニーアはすでに空間の前に立ち、邪神が俺に見せたかったであろうものをじっと見つめている。


 しばしの静寂が訪れる。動かない。ニーアはピクリともしない。不安になり声をかけようとする。


「大丈夫、なんともないです。でもこれは……」


 なんとも無さそうなニーアの声にホッとしたのも束の間、別の声が辺りに響く。


「何だと?どうなってやがる」


 香織の声だ。もう口調は隠す素振りもない。振り返ると香織の姿をしたそいつが立っていた。しかし、襲ってくる様子もなく、何かを考えているようだった。


「おい、香織をどこにやった?無事なんだろうな?」


 俺の質問を無視し、そいつは何かブツブツ呟いていた。


カッ!


 パッと通路が一瞬、明るくなる。どこかで何かが光った様だ。同時にそいつがこっちに突っ込んでくる。奴の腕を払うつもりで身構えたが、俺には目もくれず、横をすり抜けていく。しまった!狙いは……


「ニーア!」


カッ


 振り返った俺は、突然の閃光に目が眩む。そいつも同様のようだ。ゲル状になり伸びた腕は空を切り、ニーアは無事にこちらに走り寄ってきた。その首に揺れるものをみて、閃光の正体がわかった。インスタントカメラのフラッシュだ。


「クソがぁ!」


 両腕をゲル化させ、拳がスイカほどの球体に変形する。その両手を床に叩きつけながら、まるで癇癪を起こした子供のようにこちらへ近づいてくる。 


 ニーアを後ろへ庇い、素早く距離をとる。ポケットから召喚札を取り出した。


「コール!ハウレス!」


 一気に明るくなる通路。そいつの体は地獄の炎に包まれた。


「がぁあっ?何だこれはっ?」


 両腕を振り回し、左右の水槽を割る。しかし、その程度の水では、ハウレスの炎を消すことはできない。もう体の半分はゲル化し、体積も1/3ほどになっている。


「成る程、お前が……。ふっ、ははははははは」


 半分崩れた香織の顔でそいつは笑う。


「おい、この先の生贄倉庫は見たんだろ?来いよ、お前の彼女はその先だぜ?まぁ、もうすぐ死んじまうかもしれないがな?」


 人の頭程度の大きさまで縮み、完全に緑の塊と化したそいつは、関係者用扉の隙間から、ぬるりと奥へと逃げていった。


「大丈夫か?ニーア?」


「大丈夫です。それより急ぎましょう。香織さんが生きてるって」


 敵の言葉だが、俺は信じたかった。


 俺たちは奴の後追い、マネキンの置かれていた部屋の扉を開ける。部屋の中は、以前と変わりは無かった。ただ、あの緑の塊が大量に、蜘蛛の子を散らすように、マネキンの間を駆け抜けて奥へと消えていく。


「こっちだぁ……早く来いよぉ……」


 相変わらず香織の声を使って話すそいつに、俺は怒りを覚えた。マネキンの間を注意深く進み、奴を追う。しかし、見れば見るほどマネキンは、本物の人間にしか見えない。奴はさっきこの部屋のことを生贄倉庫と言っていた。もしかしたらこのマネキンたちは……


 部屋の一番奥に到達した。そこには、この部屋のコンクリート壁には似つかわしくない、不気味な装飾品で飾られた木製の扉があった。


「開けるぞ。油断するな?」


 ニーアは、黙って頷いた。


 扉を開けると、そこはに驚くことに、体育館ほどの広さの空間が広がっていた。床は石畳、壁は青黒い剥き出しの岩肌に覆われ、地下の筈なのに真っ暗な天井には、星のようなものが瞬いている。さほど強く光ってはいないが、不思議と空間全体が確認できるほどの明るさがあった。


 床の中央付近に、誰かが倒れている。さらにその奥には、黒い大きな塊が見えた。倒れている人影に近づくと、すぐに香織であることに気がついた。


「香織!」


 俺は咄嗟に香織に近づく。


「馬鹿者!軽率すぎる!」


 アスタロトの声にしまったと思った時には、もう遅かった。香織だったものは、あっという間に玉虫色に耀く粘液に変化し、その一部を俺に突き出した。


「コール!ハウレス!」


 緑色の粘液を炎が包んだが、突き出された奴の一部は、俺をお構いなしに捉えて押し流し、壁に磔にした。両手と体を奴から伸びる粘液に押さえつけられ、身動きが取れない。


 奴の身体は燃え続けている。すると周りから小さな緑の塊が、燃える奴の体にいくつも集まってきた。そして、それらは合体してその体積をどんどん増していく。燃えて失う体積より集まる方が多いのか、次第に炎の勢いは弱まり、奴の大きさは3mに達しようといていた。


 その身体は、玉虫色に光る緑色のスライム。その体躯はまるで臓物のように脈打ち、体表は半透明のようではあるが、そのドス黒い体の奥は何も見えない。至るところに、赤い目のような球体が、浮かんでは消え、浮かんでは消えてを繰り返している。


「兄さん!」


 ニーアが叫ぶ。


「逃げろ!ニーア!」


「テケリ・リ」


 そいつは、俺を捕らえたまま、ニーアの後ろへ回り込み、すでに香織のものではない声をあげる。そいつと距離を取るニーアは、必然的に部屋の中央へ、出口とは逆の方へ後ずさる。


「あんた。香織さんはどこへやったの!」


「テケリ・リ」


「何言ってるのかわかんないのよ!」


 ニーアは、この世のものとは思えないその存在に物怖じひとつしていない。なんて強い娘だ。


 奴の体がグニャグニャ伸縮し、人のかたちを作っていく、次第にそれは香織の姿となった。しかし、その右腕はゲル状のままで、俺を壁に捕らえ続けている。


「香織ってのはこいつのことだろぉ?さっきの部屋にいただろう。よく探しな」


 やはり、あのマネキン達は犠牲者達か!


「まぁ、もう探せないがな!この部屋からもうお前らは出られねぇ!あの程度の炎で俺を殺せると思ったのか?散らばってた身体が揃えばなんてことはないんだよ!下等生物の使う術なんてなぁ!」


 奴を殺せていないのは、仮契約だからだ。ハウレス本体を呼び出せば必ず焼き切れる。だが俺の両手はゲルに埋まって動かせない。さっきからアスタロトが引き剥がそうとしてくれているが、その打撃は虚しく、ゲルにめり込むだけだ。


「どうしたんだい?お嬢さん?怖くて声も出ないのかな?せっかくだからもっと泣き叫んでくれよ。恐怖を俺に見せてくれよ。じゃないと、こいつすぐに殺しちまうぜ?」


 俺を捕らえる腕がキツくなる。こいつ、いつでも俺を殺せる癖にあそんでやがる……。すると、ずっと黙っていたニーアが口を開く。


「あんた、人の姿にならないと喋れないのね。正体の見た目とおり、本当のおつむは家畜以下の下等生物のようね?」


 冷笑混じりに、ニーアは奴を挑発する。


「あぁ?今何つったぁ!」


 奴は激昂し、空いている左手をゲル化させ、ニーアに振り下ろす。しかしその腕は、触れる直前に見えない壁には阻まれ弾かれた。


「お前、何かの術で防御しているのか。めんどくせぇな」


 本当にアスモデウスの権能をかけておいて良かった。勝てずとも逃げるだけなら可能かも知れない。


「ニーア!逃げ……」


 拘束する腕が更に強くなり、思わず言葉が詰まる。


「テメェは黙ってろ!」


 奴の意識がこっちに向いた瞬間。ニーアが自分のポケットに手を入れるのが見えた。しかし……


「おっと、メスガキ動くんじゃねぇよ。お前にはこいつが死ぬところをゆっくり見せてやるよ。発狂せずにいられるかな?……だがその前に、何を隠している?俺が気づかないと思ったか?」


 奴はゆっくりと、ニーアのポケットにゲル状の触手を伸ばした。


「要は危害を加えなければ、干渉はできるんだろ?それくらいのことは、わかるんだよ!」


 そう言って、ニーアのポケットから白い紙を一枚取り出した。


「これで何をするつもりだったか知らんが、残念だったな!この俺を家畜と言ったことを後悔させてやる!」


 奴はその紙切れを自分の顔に引き寄せ覗きこむ。すると何かに気づいたのか、表情が強張る。


「家畜じゃなくて、家畜以下だって言ったのよ」


 奴はその悪態に、何も言い返さず黙っている。いや、固まっている。先程から驚愕の表情のままピクリともしない。


 バリンッ!


 俺を捉えていた奴の腕を、アスタロトが蹴り砕く。


「なんじゃ、急に脆くなりおった」


 さっきまで殴っても蹴ってもめり込むだけだったその腕は、陶器のように固まっていた。腕から解放された俺に、ニーアが近づく。


「大丈夫ですか?兄さん!」


「あぁ、大丈夫だ。しかし、何故急に動かなくなったんだ?あの紙切れは……写真か?」


 よく見るとその紙切れの大きさは、インスタントカメラの写真と同じ大きさだった。


「えぇ、そうです。深海エリアの奥にあったバオリイカくんの石像を写真にとっておいたものです」


「えっ?何?バオリイカくん?」


 急にこの場に似つかわしくない単語が出てきたので俺は混乱する。


「そうです。あそこにあったのはバオリイカくんの石像でした。なんかちょっと雰囲気が違いましたけど。あの像を見ると、マネキンにされちゃうみたいですね」


「だからあいつも固まってしまったのか。しかし、何で像にそんな力があるとわかったんだ?」


「それが……うまく説明できないのですが、その像の眼を見た時、その力がどんなものかがなんとなく感じ取れたんです。確信したのはさっきの部屋で固まった人達をみたからですけど。写真に撮っておいたのも、何かに使えるかもと思って咄嗟に体が動いたっていうか……」


「アスモデウスの権能のおかげなのか、もしくは一度大きく邪神の影響を受けたからなのか、此奴は、この名状しがたい異常な環境を本能的に理解しているようじゃ」


 アスタロトのいうとおりかも知れない。明らかに、この状況への適応力が段違いだ。


「あっ!」


 急にニーアが何かに気づく。


「兄さん!あの奥の黒い塊を見てはいけません!深海エリアにあっ石像と同じ形をしています!」


 何っ!俺とアスタロトは慌てて眼を逸らす。さっきはじっくり見なくて助かった。


カツッ、カツッ、カツッ


 誰か近づいてくる足音が聞こえる。


「いやいや、あれは用途が違うから見ても大丈夫ですよ……」


 聞き覚えのある声と共に、見覚えのある人物が部屋の隅から現れた。

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