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第二章「悪夢の菜園」その6

 眼前に広がるのはまさに真っ白な雪景色のようだった。ただし、全く寒くは無かった。それもそのはず、景色を白く染めているのは、雪ではなく灰だったからだ。ニーアの家があったところまで、あと5キロ付近から、見渡す限りの真っ白な荒野が広がっている。そこにあったはずの木々も、川も、岩も何もかも消え失せ、ただ灰が積もる大地が広がっていた。


 ニーアとともに灰の荒野を進む。しかし、もう何処に家があったのかもわからない。以前の地形を感じさせるものは、何一つ残ってはいなかった。


「ここにいたものは……みんな死んだのか?あの邪神に命を吸われて」


 まさに、死の世界とも言える光景に、俺はそう呟いた。


「これはそんな生易しいものではない。お主ら人間は死を終わりであると捉えておるが、実際のところはそうではない。死は新たな始まりの為の種なのだ。物質的にも精神的にもじゃ。そうやってこの世界は回っておる」


 アスタロトの表情が険しくなる。


「しかし、もうこの一帯は終わっておる。ここには何も残ってはいない。ここに存在したものたちは、その死すらここに残ってはいない。文字通り何もかも、あの邪神に持っていかれたのじゃ。この積もっている灰は、抜け殻なのじゃ。もうこの地から何かが始まることは決してない。そう言う意味では、ここは本当の意味で、お主らの言う死の世界となったのじゃ」


 アスタロトの言葉に、珍しく怒りが込められていることがわかった。それはそうだ。こういう事態を防ぐ為に俺たちはいるんだ。星に刻まれたこの傷跡は、もう消えることはないのだろうか……。


 急にニーアが、何かを見つけたかのように走り出した。急いで後を追う。立ち止まった場所にあったのは穴だった。そこの見えない深い穴。


「井戸かな?」


「さぁ、わからないわ」


 ニーアの返事は素っ気ない。しかし、もう他に判断材料がない。この辺りがニーアの家だったのだろう。ニーアと共に辺りを見回すが、ここまでと同じく、白い景色が広がるだけだった。


「無くなっちゃったよ……何もかも。」


 ニーアの目から涙が溢れる。


「せっかく助けて貰ったけど、もう私には、何も残ってないよ……もう、私は……」


 ニーアの表情は、先程までとは打って変わり、弱々しい表情になっていた。恐らく、心配をかけまいと何でもないフリをしていたのだろう。なんとか気をしっかり持たせなければと、ニーアに近づいた瞬間。


 視界がぼやける。目に灰が入ったかな?目を擦るが視界はぼやけたままだ。俺の様子に気づいたのか、ニーアが顔を上げてこっちを見ている様だ。その表情は、ぼやけて見えない。


「護?どうかしたの?」


「いや、何だか目がぼやけて」


 その不鮮明な視界に俺は気分が悪くなり、少し立ちくらんだ。


「一度町に戻りましょう?病院で見てもらった方がいいわ」


 ニーアが慌てふためく。少し神経質になりすぎだなと思ったが、言うとおり町へ戻ることとした。

足下もよく見えないものだから、森に入ってからはニーアに手を引いてもらった。


 病院について検査してもらった結果は、近眼だった。要するに、目が悪くなった。両目とも合わせても0.1に満たない。一応、脳の検査もしてもらった、と言うかニーアにさせられた。異常はなしだ。つまり、今回の代償はこれらしい。まぁ、眼鏡を掛ければ生活に支障はないだろう。失わずに済んだものを思えば、代償としてはラッキーな部類だと思う。


 俺は町の眼鏡屋で仮の眼鏡を作った。ニーアが付き添ってくれたのでかなり助かった。


 眼鏡ができる待ち時間の間、ニーアは警察に行った。彼女は今、行方不明者扱いになっているのだ。帰ってきた彼女の話を聞くに、親戚を探して連絡を取ってくれるそうだ。彼女のこれからの人生が、幸福なものであることを願う。


 気づけば、もう夕暮れだった。真っ赤な夕焼けが眩しい。俺はセーレに送ってもらう為に、人気のない森の入口まで、ニーアと移動した。


「じゃあ、ニーア。俺たちは帰る……」


突然、彼女は俺にに腕を回し、強く抱きしめる。


「その目……私の所為なのでしょう?」


「そんなことはないよ」


 ニーアには代償の話はしていない。知れば気に病むことは目に見えている。


「嘘よ……、私、自分が自分でなくなりそうなあの時、意識はあったの。魔神の声は聞こえなかったけど、貴方が何かを犠牲にして私を助けようとしてくれているのはわかったわ」


 この娘は、あの状態で正気を保っていたのか……しかも思い出したくもない記憶を辿り、俺を気にかけてくれている。強くて、優しい娘だ。


「本当に気にするな。別に失明した訳じゃない。これぐらいで済んだのは、本当にラッキーだったのだから」


 俺の胸に顔を埋めるニーアは泣き出した。


「本当に……本当にありがとう」


 そして、顔上げた。その目は涙で濡れていたが、顔は笑っていた。


「私、貴方に助けてもらった命、精一杯生きるから。どんなに辛いことがあっても」


「あぁ、当たり前だ!」


 俺も笑顔で返すと、彼女は大きく頷いた。


「じゃあ、元気で」


 夕日は、彼女の白く長い髪を暖かくオレンジに照らした。優しい光に包まれた彼女を目にしながら、召喚札を右手に持った。


「コール!セーレ!」


 次の瞬間、アパートのベッドに転移した。俺は大きくため息をつく。


「今回は、解決に時間をかけ過ぎじゃった。同じ手法を奴等が使うかは疑問じゃが、生態系異変のニュースは、今後は要チェックじゃな」


 アスタロトは、俺からスマホを奪いベッドに寝転んだ。


「なぁ、あれは本当に邪神だったのかな?あいつそのものの目的はなんだったんだ?あまり意思を感じない奴だったが……」


「奴らに我らの常識は通用せんと言うことかも知れん。何者かに操られとったのかも知れぬし、もしかしたら奴は、あそこで欠伸をしただけなんてこともあり得る」


 もしそうなら、邪神との共存なんて、夢のまた夢だな。


 その後の俺は忙しかった。眼鏡をコンタクトに変え、灰になった自転車を新しく買いに行き、サボってた分の講義の内容を香織に教えてもらった。なんだかんだで、帰ってきてから一週間が経過し、日常はいつものサイクルを取り戻した。本土の出店通りを香織と歩くのも、かなり久しぶりに感じる。


「へぇー、大学サボってアメリカに旅行に行ってたの?何しに?」


「うーん、自分探しかな?」


 サボってた理由を根掘り葉掘り聞いてくる香織には、旅行と言うことにした。旅先で、ニーアという女の子と仲良くなった話もした。あとお土産が無いことに少し不機嫌になっている様だった。


 そんな他愛もない話をしていると、前から、白いワンピースに大きな白い帽子を深々と被った女の子が歩いてくる。


 俺はぶつからない様に進路を譲った。しかし、その娘はまるで誘導弾の様に俺に吸いつき、ぶつかってきた。いや、抱きついてきた?


「やっぱりこの近くに住んでいらしたのですね?見覚えがある路地裏があると思っていたのです」


 聞き覚えのある声だ。


 彼女は、俺から離れると帽子を取った。


「久しぶりですね、護さん」


 ニーアだ。腰まであった長く白い髪は、肩までのショートカットになっていた。


「えっ?どうしてここに?」


「私を引き取ってくれた親戚は、母方の親戚でして、この近くに住んでいるんです」


「そうなのか!いやすぐに親戚が見つかって良かった。でもまさか日本とは。生活面は……問題ないか、元々日本に住んでたんだし。」


「はいっ」


 満面の笑みを浮かべ、彼女は答える。その表情は、アメリカでは見たことがないほど明るい笑顔だった。恐らくこれが、この娘の本来の笑顔なのだろう。なんだか話し方も変わったような気がするが……


「そちらの方は?」


「あぁ、俺の幼馴染で、香織っていうんだ。香織、この娘が話してたニーアだ」


「よろしく、ニーアちゃん」


 ニーアは、香織をマジマジと見ている。


「よろしく、香織さん」


 何だ今の間は?


「それより護さん?どうですか?」


 ニーアは、白く柔らかな髪を軽く手で持ち上げる。


「あぁ、よく似合ってるよ」


「可愛いですか?」


「あぁ、可愛いよ」


 元々、ニーアは人形のように可愛らしい。白く染まったその髪も相まって、さらに幻想的な雰囲気を身に纏っている。


「ふふっ、ありがとうございます。とっても嬉しいです。じゃあ、ちょっとこれを見てもらえますか?」


 ニーアが、右手を握り前に出す。俺は顔を彼女の右手に近づけた。


 瞬間、彼女右手は後ろに下り、代わりにニーアの顔が目の前に……


 俺の頬に柔らかい感触がして、潮風に乗って甘い香りがした。


「ふふっ、可愛い私からお礼の気持ちです」


 そう言って、ニーアは走って行ってしまった。ボケっとしていると、香織が背後から顔を横に近づけてきた。


「私も、ノートを見せてあげたお礼が欲しいな?」


 近い距離で、香織と目が合う。


「ふっ」


「あー、何が面白いのよ?」


「いや別に、お礼はこの先のアイスでいいか?」


「トリプルでね?」


 今まで、気にも止めていなかった平和な日常が、こんなに幸せなものであったことに気づいて、自然と笑いが溢れた。


 叶うことなら、この日常が奪い去られるような日が来ないことを、神に祈った。


第二章「悪夢の菜園」完

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