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第二章「悪夢の菜園」その5

「ガァァッ、ァアァグァア!」


 声にならない声で苦しむニーアの髪は、もう根元から半分は白くなっていた。目を大きく見開き、両手で自分の肩を抱き、爪を二の腕に食い込ませ、血を滲ませている。


 邪神の影響はまだ続いているのかっ!


 ニーアは、変化した実を食べていないと言っていたから、絵里さんやヘンリーさんよりも影響が出るのが遅かったのだろうか。しかしこのままでは、絵里さんと同じ運命を辿ることは明らかだった。


 そんなことは絶対に許さない。もしそうなったら、俺は自分を許せない。俺は何のためにいるんだ!


 もう今日は、仮契約は使えない。しかし、猶予はない。俺は左手に召喚札を持った。


「地獄の魔神よ!我呼びかけに応え、彼の者の傷を癒せ!顕現せよ!ブエル!」


 右手の甲に魔法円が浮かび上がり、手のひらから放たれた光の筋は収束し破裂する。凄まじい閃光と共に、地獄の魔神はその姿を現した。


「我はソロモン72柱が一柱。地獄の魔神、総裁 ブエル。其方の契約に応じ、ここに顕現した」


 その姿は、赤い仮面を被った黒いローブの男。胸には獅子の顔を象った装飾をつけ、背中には、馬の足の様なものを6本背負っていた。


「彼の者の病を癒そう」


 ブエルは、一瞬でその身体を煙に変え、ニーアの身体に溶け込んだ。みるみるうちにニーアの髪色は黒色を取り戻し、爪で付けた腕の傷も消えてしまった。


「終わったぞ」


 ブエルが再び、姿を現した。

 ニーアを救えたことに、俺は心が少し軽くなる。


「すまないが、我にできるのはここまでだ」


 ブエルが急に謝る。何を言っているんだ。


「ガッ、あぁっつぅ!」


 ニーアは、先程と変わらず苦しんでいる。髪もまた白くなり始めている。俺はそのことを信じたくなかった。しかし、俺が目を逸らすわけにはいかない。


「そんな……髪と傷は治ったのに……」


「ブエルに癒せるのは、傷や病じゃ。これは病気や怪我ではない。呪いと呼べるかも怪しい。この世界の理を超越した現象と言ってもいい」


 アスタロトは、ニーアを見つめて冷静に語る。つまり、打つ手がないのか。地獄の魔神の力を持ってしても救えないのか。


 再び、ニーアの髪はその色を失い白く染まっていく。俺はその姿を見て、何かせずにはいられなかった。


「ブエル、もう一度……」


「無駄じゃ、時間稼ぎにしかならん。それにそれは、2回目の願いじゃ。お前は此奴を治した数だけ代償を失うこととなるぞ」


 それを聞いた俺は、口を閉じた。ニーアを見ると、苦痛に体を強張らせてはいるが、もう声は上げずに恐怖と痛みを噛み殺し、不安そうにこちらを見上げている。その髪は、既に半分以上色を失っていた。


 俺は何を怖がっている!


「上等じゃねぇか!目の前の女の子1人救えなくて!どうやって星を救える?ブエル!彼女の……」


パァン!


 突然。アスタロトが俺の頬を叩いた。


「誤解するな。無駄なことはやめろと言ったのじゃ」


 頬の痛みが、俺の頭に針を通したように突き刺さる。


「……すまない」


 冷静になり、必死でニーアを助ける方法を模索する。何かこじつけでもいいから打つ手は残っていないのか。


 尚も苦しみ続けるニーアの髪は、もう真っ白になってしまっている。


 諦めてたまるか。何でもいいからできることを探すんだ。


 雨が降り出した。通り雨特有の大粒で、雨足の強い雨だ。この雨が何もかも洗い流してくれれば、どれだけ幸せかと考えた。そしてこの雨が、俺に一つの考えを与えてくれた。


「なぁ、ニーアを蝕んだのは、邪神の影響を受けた水だ。なら、ウェパルの水を支配する力で、侵された水から受ける影響を取り除けないだろうか。ニーアを蝕む水を浄化してやることはできないだろうか?」


 アスタロトは難しい顔をする。


「……かなり無理矢理な考え方じゃ。ウェパルの権能をかなり拡大解釈しておる。じゃが、あの邪神が水を媒介としていたのは事実。無理だとも断言できない。正直どういう結果となるかは、妾にもわからぬ」


「わからないということは……」


 俺が話し終える前に、アスタロトが割って入る。


「可能性は0ではないということじゃ。それに……」


「それに?」


「無理だと言ってもやるのじゃろう?」


 そうだ。俺はこの娘だけでも……この娘だけは必ず助けないといけない。助ける方法が見つかるまで何度でも繰り返す。


 召喚札を左手に持ち、右手をニーアに翳す。


「地獄の魔神よ!我の呼びかけに応え、彼の者を蝕む悪しき水を取り払え!顕現せよ!ウェパル!」


 右手から放たれた光は、ニーアを包み込む様に収束し、魔神がニーアを抱えて現れる。その姿は、まさに人魚そのものだった。薄桃色の長い髪に、瑠璃色の鱗。その表情は慈愛に満ちていた。


「我はソロモン72柱が一柱、地獄の魔神ウェパル。其方の契約により顕現した。この者を蝕む、禍々しき水の気。我が権能にて滅してみせましょう」


 ウェパルとニーアを水の奔流が包み込む。周りの雨粒も取り込み、渦柱となった。2人の姿は見えないが、渦柱にあの忌々しい七色の光が浮かぶ。浮かんでは消え、浮かんでは消え、その光は徐々に明るさを失い、微かに光ったのを最後に、もう現れることはなかった。ただ目の前には2人を包む、透き通る青い柱があるのみだった。


 水柱が消え、同時に雨が止み、2人が姿を現す。ウェパルは、その手に抱くニーアを俺の腕に預けた。ニーアの顔を覗きこむと、彼女は微かに目を開ける。


「ありがとう……魔法使いさん」


 そう言ってニーアは、眠る様に気を失った。


「彼の者に巣食っていた邪は滅しました。安心してださい。しかし、既に失ったものは取り戻なかった」


ニーアの髪は、真っ白のままだった。しかし、彼女が、実際に失ったものはもっと大きい。


「いや、良く助けてくれた。ありがとう」


「礼など必要ありません。其方は我とブエル、2回分の代償を失うこととなるのだから。気心を加えることはできませんが、ご容赦ください」


「あぁ、わかっている」


 ウェパルとブエルは、光となって消えた。


 俺は、ニーアをアパートへ運びベッドに寝かせる。仮契約ができるようになるまで、情報収集をすることにした。ネット上に、もう幾つかの書き込みが、写真や動画つきで上がっていた。


 突如森に現れた光の柱

 宇宙人からの攻撃

 森の神の怒り

 巧妙なトリック映像


 紹介のされ方は様々だ。そのうちの動画の一つを再生する。


 あの森からかなり離れた山の上から撮られた動画だ。俺たちのいた森全体が、七色の光を帯びている。その中央が激しく光出したかと思えば、森をおおっていた七色の光が、その大きな光源へ吸い込まれ、巨大な球体となってゆく。森全体が暗くなった数秒後、森の光を吸い尽くし巨大化した光球は、柱となって天に昇り、星の瞬く空にぽっかりと空いた、真っ黒な深淵に姿を消した。その後には、ただただ何の変哲もない、夜の闇が映っているだけであった。


 動画を見る限り、邪神の影響範囲は森全体程度だろうか……ニーアが起きたら、町に転移して、あの場所を目指そう。


 長い間、ニーアは眠っていたが、夕方には目を覚ました。


「ニーア?大丈夫か?体に変なところはないか?」


「えぇ……何ともないわ。ありがとう」


 ベッドの上に座るニーアの表情からは、喜びも、悲しみも、安堵も読み取れなかった。ただ、虚空を睨むその眼は、決して絶望に満ちてはいない様に見えた。


「戻るのよね?あの場所へ」


「あぁ、一度町に転移してからあの場所まで移動する。着いてこれるか?」


 ニーアは、しっかりとうなづいた。


「コール!セーレ!」


 俺たちは町に移動した。丁度、人通りが多くなる朝の時間帯だったが、町はいつも通りだった。特に慌ただしい様子も、恐怖に怯える様子もない。

 森へ向かう前に、新聞を買った。昨日の出来事のことは、隅の方に少しだけ書かれていて、内容は、ニーア達が行方不明にであること、大学から調査団が派遣される予定であることを除けば、ネットの記事と大差なかった。


 俺たちは、ニーアの家に向かって歩き出した。町へ続く街道からそれ、森の小道を進む。俺は道ながら、ニーアに色々話をした。もう、隠す必要はないし、自分の身に起こったことは、知っておいた方がいいだろうと考えた。邪神のこと、魔神のこと、俺のこと、今回の事件のこと、それを聞いたニーアはただ、虚空を見つめ、頷くだけであった。


 そうしているうちに、突然、視界の先から緑が消えた。いや、消えたのは緑だけでは無かった。

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