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二択  作者: 牧村エイリ
6/24

ファイル6  死が笑う

二択ファースト


なぜ、彼は二択を選んだのか?


「…ですから、犯罪は減ってきてるんですよ」


テレビ番組に、コメンテーターとして呼ばれた男は、隣にいるアナウンサーではなく、テレビの向こうに言う。


「…なのに、報道によって、人々はいらぬ不安にかられ…死刑がいると、思い込まされている!」



ある学生は言う。


「社会的に、権限がないのに…死刑だけ適応するなんて…」


ある女は、言う。


「死刑とは、人類の最大の罪である」


と……。


法治国家の下、安全だというなら、警察もいらないのではないか。


「まったく、いつまでも、死刑という…野蛮な刑を発効する…この国の幼稚さ…は、いつになったら、なくなるんでしょうか」


放送後、テレビ局を出て歩く男は、コンビニの前にたむろし、地べたに座る若者に、険悪感を抱きながら、町を闊歩していた。


地下鉄で帰る為、階段を降りる男とは逆に、下から上がってくる男がいた。


紺のスーツを着た男は、階段を降りてくる男の顔を確認し、拍手した。


「素晴らしい!先生の答弁は、素晴らしい!」


拍手しながら、近づく紺のスーツの男は、ゆっくりと上がってくる。


「確かに、犯罪の数は減ってます。社会は、安全に近づいてますね」


スーツの男は、にこっと笑った。スーツの男に、殺意を感じない。


「あ、ありがとう」


少し気持ち悪いが、自分の話に賛同してくれているようだ。


男は喜んだ瞬間、


「え…」


腹部に激しい痛みを覚えた。


一気に男に近づいたスーツの男は、隠し持っていたナイフで、腹部を突き刺していた。


「減ってるんだから…1人ぐらいいいでしょ」


にこっと笑ったスーツの男は、耳元で囁いた。


「先生1人じゃ…上がりませんよ。ご心配なく」




「俺を助けて下さい。たまたま…そこに、こんなものがあったから…危ないと思ったから…」


報道陣に囲まれ、会見を行っていた弁護士に、事件が伝えられた。


「彼は…殺そうとは、思っていなかった。これは、事故なのである」


鼻息も荒く話す弁護士は、


「死刑とは、更正する機会を奪うことになる」


そう何度も、繰り返していたが、突然飛び込んできた事件に、唖然となった。


報道陣が騒めく。


「只今、事件が入りました!坂城弁護士の娘さんの家に、少年が侵入し…生まれたばかりの赤ん坊が、刺された模様です」


その内容に、弁護士は席を立った。


「少年は、たまたま家が開いていたから、呼ばれているような気がして、玄関に入り…」


冷酷な報道は続く。


「キッチンに置いてあった包丁に、恐怖を覚え…昔指を切った為…それを排除するために、手に取り…赤ん坊が隣の部屋で、泣いていたから…包丁は危ないと、思い…どこにやろうとしたところ…あやまって、赤ん坊を刺した……と供述している模様」


身勝手な言葉は、続く。


「加害者となった少年は…坂城弁護士を指名…弁護してほしいと…」



少年は、最後にこう言った。


罪を認め、法に委ねると。




「だから……俺達が、何をしたというんだ」


カップルを囲む集団に、女を庇いながら、男は叫んだ。


「何もしてないよ〜なあ」


「だから〜何なのよ」 


暴力は、理不尽に起こる。


詰め寄る集団に、男は怯み、後ろにいた女が携帯をかけようとした。


「何してんだよ」


集団の1人が女の手を取り、携帯を奪い取ろうとした時、囲んでいた集団に穴ができた。意識も、女に向いていた。


その隙を、男は見逃がさなかった。


隙間に体当たりして、男は逃げた。


「てめえ!」


見捨てた男の行動に気付き、何人かが男を追った。


「大和さん!」


女の悲痛な叫びも、大和には関係ない。


ただ恐怖だけが、大和を支配していた。


相手の数が多すぎる。


女を守るとかのレベルではない。


自分が危ないのだ。


ただ本能に任せて、大和は走った。






少し騒然としている廊下を、長谷川正流は歩いていた。


まあ…学校の廊下など、こんなものだろう。


別段、気にも止めなかったが、足は無意識に速まっていた。


「そんなに急いで、どこにいくんだい?秀才君」


前だけを見て、人をただの障害物とした思わないようにしていた長谷川は、すれ違った1人の障害物に、声をかけられた。


そのおどけた口調と、秀才という言葉が、長谷川にその障害物を、特定の人物へと認識を変えさせた。


足を止め、振り返ると、にやにやと口元を歪めた男が立っていた。


「中西…」


中西は笑みを残したまま、長谷川に言った。


「今日も、あの昼行灯のとこにいくのかい?物好きだねえ」


「…」


中西の馬鹿にしたような口調にも、長谷川は怒ることはなかった。


この男は、こう言うやつである。


ただじっと、自分を見つめる長谷川に、中西は笑みを止めて、同じく見つめた。


ほんの数秒だが、見つめ合った後、中西は口を開いた。


「お前が、考えている…いや、印象付けている俺を理解しているよ。だけどな」


中西は肩をすくめ、


「自分でも、そんなやつと思っていたが…違うようだ」


そう言った後、また長谷川の目を探るように、見つめ、


「お前は…秀才だ。俺と同じくらいの。だがな…お前は、自分の裏側を知らない。ククク」


中西は声を出して、笑いだした。


「アハハハハ!」


ひとしきり、腹をかかけて笑った。廊下を行き交う学生たちが、訝しげに中西を見た。


「アハハハハ……」


次第に笑いは終息し、中西は睨むように、長谷川を見た。


また数秒…いや、もっと長い。


やがて、中西はゆっくりと長谷川に背を向けた。


「精々…頑張れや」


手を上げると、そのまま中西は振り返ることなく、歩き出した。




中西が学校を辞めたと、聞いたのは2日後のことだ。


彼が交際していた…いや、遊んでいた女性が、数日前に死亡していた。集団暴行により。


目撃者の証言により、犯人グループはすぐに特定され、捕まった。


そして、さらにわかった事実は、暴行された当時…被害者の女性は、男性といたことが確認されており、犯人グループの供述と、被害者の襲われるまでの足取りを調べたところ…いっしょにいたのが、中西大和であることが確認された。


中西は、女性を見捨て、逃げ出したのだ。


普段の彼なら、エリートである自分が生き残る為の手段として、単なる遊び相手がやられる間に逃げたことを正当化していただろう。


しかし、彼は良心の呵責に苛まれたのだ。


自分でも、予想しなかった罪の意識が、彼が望むエリートの道から、外れさせたのだ。



その日は、そんな事実を長谷川は、知ることもなかった為、中西の影ある後ろ姿を見送った。


少し、中西と話をしたくなったが,長谷川は先を急ぐことにした。


そして、さらに数日後、長谷川は、中西が自殺したことを知ることになる。







「失礼します」


少し古びたドアを開けると、まるで古本屋の倉庫のように積み上げた書類に囲まれたディスクの向こうで、眼鏡をかけた初老の男が、顔を上げた。


髪の毛はすべて、白くなっていたが、顔はまだ老けてはいなかった。


「また…君か」


少し呆れたように、長谷川に言うと、初老の男はまた顔を下に向けた。


「たまには、みんなと外に出たらどうだ?本やレポート…私のような世捨て人と話しても、仕方ないだろうが」


「いえ…そんなことは、ありません。私は、先生を尊敬しております。先生が、昔書かれた“人の尊厳”は素晴らしい本でした。感銘を受けました」


少し興奮気味になり、


「人が人を裁いては、ならない。もし、裁くならば、その者の尊厳を尊重しなければならない。特に、死刑制度に関する意見は、とても率直で、鋭い!」


声をあらげた長谷川を、ちらっと見た男は、鼻を鳴らした。


そして、また書類に目をやると、


「君は、まだ若いな。書類に書かれたことだけで、感動し、判断する」


その書類を掴み、書類を震わせた。


「こんなペラペラや、紙に書かれたもなど、何の重さもない」


そして、積み上げられた本を見て、顔をしかめた。


「こいつらも、同じだ。ペラペラが重なったに、すぎない」


「しかし、先生は毎日読まれ、研究されてしますよね」


「違う!単なる時間潰しだ。それと、自分をここに閉じ込めておく為のものだ」


「し、しかし」


長谷川が反論しょうとしたが、男は遮った。


「君は優秀だが…人を知らない。いや、自分さえ知らないだろう」


男は、手に持っていた書類をくしゃくしゃに丸めた。


「人は、紙切れではないのだよ」


「…」


何も言えなくなった長谷川に、男はきいた。


「君が専行している教科だが…君は、すべて正しいと思うのかね?」


「え?」


「何と思われる…曖昧でありながら、確証してしまうという傾向がある。100%はあり得ない世界だ。だが、学者達は、さも正しそうに、決めつける!過去の事例などと照らし合わせるだけで!」


男は、長谷川を睨むように見つめると、


「人の本当の姿を知らぬ者に、あの者達のことを理解できるはずがないわ!」


突然、ディスクを叩いた。


「先生…」


長谷川は、少し様子の変わった男を見つめた。


男は少し荒げた息を整えると、席を立ち、ディスクの横で、本の土台と化している冷蔵庫を開けた。


そこから、ペットボトルのお茶を取り出すと、コップに注ぐと、長谷川に差し出した。


「君は、血液型を知ってるだろ?」


「はい」


男から、コップを受け取りながら、長谷川は頷いた。


「日本人は、血液型信仰のように、ただ糖の違いだけなのに、その者達の性格やすべてを決めつける!」


男はコップに口をつけると、


「だが、そんなもので…人は…血液型に惑わされて、B型はB型に、A型はA型に…暗示をかけられて、そのようになっていくのさ」


男は首を横に振り、


「その辺の血液型診断の本を読んでみろ!誰にも、当てはまるようなことしか書いていない」


コップの中身を一気に飲み干すと、


「人間は、そんな単純な部分はある!それを、分析して、診断することはできるだろうが…」


その後、男は虚空に睨むような形で、その場で動かなくなった。


「先生…」


長谷川が声をかけると、はっとしたように、男は動きだした。


「と、とにかくだ。君は、外にでるべきだ。人と話すこと…それは、紙切れより、価値がある」


男は、長谷川の目を見て、


「ここは、天国のようだからな。妬みや嫉妬はあるが…それ以上はない」


と言ってから、男はフッと笑った。視線を外した。


「いや…それくらいで、いいのだろう。それ以上を経験する必要はない」


長谷川は、空になったコップに目線を落とす男に何も言えなくなった。


男の言葉は理解できた。


だが、そんなことを口にする男の真意がわからなかった。


心の奥底にあるもの。


長谷川はその存在に気付いていたが、それが何かを理解するだけの経験がなかった。




「今日は人と会う約束をしていてな。この近くで、待ち合わせておる」


そう言われた為、男の部屋をそそくさと出た長谷川は、廊下を歩きながら、考え込んでいた。


男に感じた影…それが、何なのかわからなかった自分に、少し苛立っていた。


人のすべてが、わかるはずがない。


しかし、わかりたい。わかったと思いたい。


それは、エゴなのだろうが、長谷川が目指すことには、そのエゴが必要であった。


例え、奢りたかぶった行為であっても。




突然、携帯が鳴った。


授業中は、電源を切っているが、今日は忘れていた。


あまりかかってくることがないから、携帯を意識していなかった。


電話にでると、妹からだった。


どうやら、学校に来たらしい。


驚いた長谷川は、慌てて携帯を切ると、走りだした。






「兄貴!」


学生しか入れない茶店のど真ん中に、堂々と座る知佳子がいた。


誰が見ても、明るい印象を与える知佳子は、この学校では浮いていた。


「兄貴の学校ってさ!入り憎いじゃん!なんか、敷居が高いというかさ」


長谷川が座ると、もうテーブルの上は、ホットケーキや何かでいっぱいで、コーヒーを置くスペースもない。


「よく食べるなあ」


長谷川は目を丸くすると、


「育ち盛りだから」


と、知佳子は胸を張った。


少し呆れながら、長谷川はきいた。


「で、何の用なんだ?」


知佳子は、パフェと格闘しながら、


「兄貴に会いたくなったの!」


その台詞に、長谷川は飲もうといたコーヒーをこぼしかけた。


「うそ!」


知佳子はにっと笑い、


「それは、二番目!本当はね」


持っていたスプーンを置くと、周りを見回した。


「この学校を見たかったの」


「知佳子?」


「あたしには、無理だって分かってるだけど...兄貴のようにかしこくないしさ。だけど..憧れてもいいじゃん」


そう言った時の知佳子の横顔を、長谷川は忘れることができなかった。


「兄貴!御馳走様!」


手持ちの金が底をつきたが、知佳子の笑顔を見ると仕方なく思えてしまう。


学校からでているバスも本数は、少ない。30分に一本だ。


最寄りの駅まで、歩いて15分。


バスが出たばかりでもあり、知佳子は歩いていくことにいた。


「送ろうか?」


長谷川の言葉に、知佳子は首を横に振った。


「まだ授業があるんだろ」


「そうだけど…」


「頑張れ!学生!」


知佳子は走り出した。


「じゃあね!兄貴」


手を振りながら、離れていく知佳子を、長谷川は見送った。


それが、知佳子を見る…最後になることも知らずに。






数時間後、長谷川は校内放送で、学生課に呼び出されることになった。


こんな時も、事務的に、職員は言った。


「ご両親からです」


受話器を渡された長谷川は、携帯の電源を消していたことに気づいた。


わざわざ学校にかけてくるなんて。


長谷川は、首を傾げながら、電話に出た。


「はい…」


その後、長谷川の心臓が止まった。息もできない。


受話器の向こうから、母親の声だけが響いていた。


「そんな…馬鹿な」


それだけが、口から出た。


今聞いた事実が、信じられなかった。


受話器を耳に当てたまま、凍り付いている長谷川の逆の耳に、警察と救急車のサイレンが聞こえていた。



自失呆然となっている長谷川の前に、初老の男が立ち尽くしていた。


「私のせいだ」


男は、わなわなと全身を震わせた。


「私が、守ったから」


男は頭を抱えながら、髪をかきむしり、そのままふらふらと漂うように、長谷川の前から、姿を消した。


「先生!」


初老の男の様子も、気になったが、今はそれどころではない。


長谷川は、病院へと急いだ。


そこで、長谷川は変わり果てた…妹と会うことになった。



白昼堂々と起こった残忍な事件は、1人の少女の命を奪った。


あっけなく。


何の恨みもあったわけでない。


犯行を行ったのは…かつて、少年だった男。


その男の名は、名護友明。



彼は、弁護士だった坂城の孫を殺害していた。


だが、彼の精神状態、そして、犯行当時…未成年だったこともあり、彼は罪にはとわれなかった。


それに、死刑廃止論者であり、少年保護を訴え続けていた坂城は、遺族である立場よりも、自分の主張を貫いた。


しかし、彼はその事件後…弁護士業を廃業した。


そして、彼は長谷川の通う学校に、講師として招かれていた。







両親よりも、先に病院に着いた長谷川は、安置所に置かれた知佳子の遺体を見た。運ばれた時には、息をしていなかったらしい。


見るも無惨な姿になった知佳子の前で、長谷川は泣いた。


泣きながら、怒りを覚えた。


こんなことをした犯人を同じ目にあわせてやろう。


殺してやろうと。



両親が来た為、長谷川は安置所を飛び出した。


犯人は、犯行現場を離れずに、その場で、警察が来るのを待っていたらしい。


到着した警察に、名護はへらへら笑いながら、言った。


「坂城弁護士に、言ってよね」


精神異常者を気取る名護。


それは、再びマスコミの格好の材料になるだろう。


犯行直後、名護は坂城にも電話していた。


「先生とこの生徒…殺しちゃった…。なんか、前から走って来て、怖くって…殺しちゃった」


半笑いで、異常を演じる名護は、最後にこう言った。


「先生とこの生徒だから…何とかなるでしょ」




病院を飛び出し、犯人が捕まっている拘置所に向かおうとする長谷川。


遺族と会わしてくれるはずがないが、何としてでも会ってやる。警察にも邪魔させない。


怒りが、長谷川を狂わしていた。


その時、唐突に携帯が鳴った。


だけど、出る気にはなれなかった。


無視して、走っているが、いっこうに電話は切れない。


留守電に切り替えていなかったからだ。


しつこい電話が、少しだけ、長谷川を現実に戻した。


携帯の画面を見て、長谷川は足を止めた。


「先生?」


長谷川の脳裏に、坂城の最後の言葉がよみがえってきた。


(何か知っている)


明らかに、坂城は知っていた。事件のことを。


自分が知る前に。


携帯は、鳴り止んだ。


画面を見つめた後、長谷川は踵を返すと、学校へと向かって走り出した。


走りながら、長谷川は坂城のことを思い出していた。


彼の過去を。


あの犯人との接点を。



長谷川は、自分の中の記憶を手繰った。


坂城は、かつて弁護士だった。


それは聞いたことがあった。


死刑廃止論者…少年保護…。




長谷川は思い出した。


弁護士の名前は、覚えていなかったが、孫を殺された弁護士。


しかし、彼は、遺族の立場よりも、少年を守る弁護士の立場を優先し、


少年の犯行時の精神状態の混乱を証明し、年齢も考慮し、犯人を擁護した。


その行動は、マスコミでも議論を巻き起こした。


遺族であるより、弁護士の立場を貫いた彼の行動に。



学校に着き、坂城の部屋まで走った長谷川は、勢いよく音を立てて、ドアを開けた。


「君らしくないな。ドアは静かに開けなさい」


いつもの書類の山の向こうに、坂城はいた。


「せ、先生…」


まだ息が荒い長谷川を、坂城はじっと見つめ、


「君の聞きたいことは、わかっている。妹さんは、すまないことになった。そうなる前に、本当ならば、私の手で決着をつけなければならなかったのに」


「先生!」


「私は自分の信念を変えることが、できなかった。当時犯人であった少年を、責めることができなかった。例え、産まれたばかりの孫が、殺されてもだ!なぜなら、私は今まで、このような事件にあわれた遺族を傷つけてきたからだ!」


坂城はディスクの向こうから、長谷川を睨むように見、


「そして、少年の無罪を勝ち取った。罪に、とうことができないとして!しかし、その結果…私は、君の妹さんの命を奪うことになってしまった。申し訳ない」


坂城は、頭を下げ…そのまま動かなくなった。


ただ全身を震わせ、


「私は、自分の信念に従った!そのことで、妻も娘も私から、離れた。それは、仕方ない。だけどだ!時がたつ度に、信念に従ったはずの私の心にふつふつと、わき上がってくる感情が生まれ…大きくなった」


坂城の目から、涙が流れた。


「殺意だ!」


坂城は、ディスクを叩いた。


「殺意を抑える為、知り合いの誘いもあり、私は弁護士を辞め、この学校で働くことにした。書物やレポートで時間を潰し、自分を閉じ込める為に!」


「先生」


近づこうとした長谷川を、坂城は手で制した。


「そんな時、やつから、電話があった!私に会いたいと!私は思った!チャンスだと!孫を殺したあいつを殺せると!本当は、抑えることなどできるか!許すことなど、できるか!やつは、私の孫を殺したのだ!!」


そう叫んだ後、坂城は突然、苦しみだした。顔をしかめながら、


「しかし、そんな私の思いも、やつはお見通しだ!また、私の周りで、殺人を起こし、私に弁護を頼む!狂ったように、演じて!ぐは!」


突然、坂城は血を吐き出した。


「先生!!」


制止し振り切り、長谷川は坂城に近づき、絶句した。


坂城は自分で、腹を切っていたのだ。


「私は、今も死刑は反対だ!人が、他人の命を奪ってはならない!ならば…残った手は、これだけだ!罪を償うには」


「な、なんて馬鹿なことを!」


「わ、私は、ずっと思っていた。人が、人を殺すのは、憎しみや貧困…己が生き残る為に仕方なく…そんな理由だと思っていた!」


坂城は、長谷川の腕を掴み、


「違うのだよ!やつは…やつらは!人を殺すことは、ゲームなのだよ!単なるゲームなのだよ!」


坂城は絶叫した。


「ゲームのプレーヤーであるやつらに、怒りや感情を向けても、無意味だ!!殺された遺族が、怒り悲しむことなど…当たり前の事だ!やつらを殺したいなど…当たり前のことだ!」


坂城は、掴む手に力を込め、


「やつらのゲームの駒になるな!妹さんを殺された、君の怒りは私がよくわかる!」


長谷川の目を見つめ、


「君の中に生まれた狂気を、コントロールしろ!殺すだけでは、やつらに勝ってない!君ならできる!やつらを上回るプレーヤーに!やつらを支配しろ!飾りだけの狂気から、現実に戻してやれ!今だからわかる!殺人犯より、大切な人を殺された者の方が、狂気を持てる!」


「…」


「私は、この狂気をコントロールできなかった…」


「…先生!しかし!僕には」


「君は、何を学んできた!何を習ってきたんだ!」


坂城は、長谷川の肩に手を置き、


「人の心は、複雑だ!だが、単純でもある!人の生き方は、結果だ!結果に導く時、いろいろな道があり、その内の一つを選んだ後....最後に決めるのは、行くか行かないかだ!」


長谷川の肩を握りしめ、


「君の領域へ…奴等をゲームから、引き摺り降ろせ!」


「先生!救急車を呼びます!」


顔色が悪くなっていく坂城は、これ以上ほってはおけない。


携帯を取りだし、電話をかけようとする長谷川に、


「それよりも…君を呼んだ訳を言おう!やつは、私を呼んでいる。君は、私の代わりに、代役で行って貰う。やつと対峙しろ!被害者の遺族ではなく…精神科医として!」


「だけど…僕はまだ…」


「心配するな…資格などいい。君しか、やつとやりあえない。狂気を持った君しか…」


「先生!」


坂城は、そのまま意識を失った。




救急車に運ばれた坂城は、何とか一命を取り留めた。



数日後、名護は弁護士を、坂城と指名した。


しかし、坂城は入院中だ。


その為、代理として、拘置所の名護に、面会に向かったのは、長谷川だった。


マスコミの混乱を避ける為、裏口から拘置所に入った長谷川は、地味なグレーのスーツに、だて眼鏡をかけていた。


顔がおぼこい為、眼鏡をかけてみたのだ。



驚く程、すんなりの通った拘置所内。


坂城は、自分のもと事務所に働いていた弁護士の了解を取り、彼の名前を借りていた。まだ無名だった彼は、顔を知られてはいない。


「どうぞ…渡辺先生」


通された灰色の部屋。


ここが、長谷川の生涯の居場所になるとは、その時の彼には思いもしなかった。


「へへへ」


狂ったように、笑みを浮かべながら、簡易ディスクの向こうに座る名護を見つめた。


殺意が沸いてくる。


しかし、その殺意を向けてはいけない。


(今…殺すべきは、自分自身だ)


長谷川は、眼鏡を指先で押し上げた。慣れない眼鏡が、少し苛立たせ、逆に冷静にさせた。


「坂城先生!若返ったねえ」


笑みを浮かべながら、前に座った長谷川を見つめる。


馬鹿にしてるのではない。わからないのを、演じているのだ。


長谷川は敢えて微笑み、その件には触れなかった。


しばらく微笑み合う。


長谷川は眼鏡の向こうから、名護の目を見た。


へらへらしている名護の目の奥の鋭さを、長谷川は感じ取った。


(確かに狂っていない)


長谷川は確信した。


無言が続き、何も言い出さない長谷川に向かって、名護は言った。


「坂城先生は、どうしたの?」


その口調の変化にも、長谷川はまだ微笑みながら、


「少し体調を壊されたので、今日だけは私が来ました」


「何しに?」


「あなたを弁護する為ですよ」


ただ微笑む長谷川に、名護は眉を寄せ、


「俺は、坂城先生と言ったはずだけど?」


長谷川は微笑みを止めた。


「なるほど…坂城先生に拘るんですね。どうしてですか?」


「どうして?」


その質問に、名護はさらに訝しげな顔をして、


「なぜ、そんなことをきく?」


「いえ…別に」


長谷川はまた微笑んだ。


そんな長谷川を、名護はじっと見つめた。


「ご心配なく」


長谷川は頭を下げた。


「私は、坂城先生と同じ考えです。人の尊厳を守る為、どんな方でも救う覚悟がございます。例え、家族を敵にしても」


そんな長谷川を凝視する名護に、微笑みながら次の言葉を述べた。


「坂城先生からのご伝言です。あなたの弁護を引き受ける上で、一つだけして頂きことがあります」


「なんだよ?」


長谷川は、名護を見つめながら、


「なに…簡単なことですよ!」


少し体を前に向け、


「単なるゲームです」


長谷川は、スーツの内ポケットか、二枚のカードを取り出した。


そこには、違った絵柄が、描かれていた。


地獄の絵図(針の山などが描かれている)と、噴火している山だ。


「今から、数問…私が質問します。その答えがどれに当たるか、答えて下さい」


長谷川の言葉に、名護は笑った。


「訳わかんねえよ!何だ、この絵は、あんた…俺を陥れようとしてるのかい?」


「陥れよう!難しいお言葉を理解できるんですね?」


「な、なんだと!俺は、ただ…怖かっただけだ」


慌てる名護に、そうですかと長谷川は頷いた。


「ご心配なく…このゲームは怖くありません。まちがいもありません。単なるゲームです」


長谷川は心の中で、冷笑した。


(はじめよう…互いのゲームを。どちらが、プレーヤーになれるか)


心の中で、深呼吸したあと…長谷川は、ゲームを始めた。


強引に。



「あなたの気持ちはどれですか?」


「は〜あ?」


顔をしかめた名護に、長谷川は優しく言った。


「感覚で構いません」


名護は、疑ってるのか…答えない。


「ゲームは、お嫌いですか?」


「あんた?何がしたい」


名護は、長谷川に顔を近づけた。


「ゲームですよ」


「だったら、カードの意味は何だ!何を企んでいる」


長谷川は、微笑み、


「心配症ですね。でしたら、説明しましょう。地獄と噴火ですよ」



「見たままだろが!」


キレる名護に、


「そう…見たままです」


長谷川は、一枚のカードに手を伸ばした。


「でしたら、例として、私が取りましょう」


そして、噴火のとカードを取った。


「昨日までは、こうでした」


にこっと微笑んだ。


その笑みに、名護は一瞬怯んだ。


「質問を変えましょう。あなたが恐れ、やってしまったこと。その相手が、あなたに感じさせた恐怖は、どちらですか?」


その質問に、名護はさらにキレた。


「なんで!俺が、こんなゲームをやらなけばならないんだ!」


長谷川は冷静に、


「でしたら、一度だけで結構です。一度だけでも…選んで頂けないと、坂城先生はお受けしないと…」


じっと名護を見つめた。


その有無を言わせない眼力に、


「クッ!」


名護は一枚のカードを手に取った。


その絵柄を確認した長谷川は、立ち上がった。


「ありがとうございました」


頭を下げ、部屋を出て行く。


「待って!お、おまえ!」


名護を無視して。




部屋を出ると、名護の担当の精神科医がいた。


その医師に、長谷川は頭を下げると、横にいた刑事に言った。


「誠に申し訳ございません…。今回、彼の弁護は辞退させて頂きます。なぜなら、彼は狂っておりません。まあ…犯罪を犯したことが、狂ってるというならば、そうですが」


長谷川は、また頭を下げると、そのまま拘置所を後にした。


名護が手にしたカードは、地獄。


今回、長谷川が用意したカードの意味は…。


噴火は、怒りや未知なるものへの恐れ…つまり、感情を表す。


地獄は、罰。


罰は、行動である。


彼は、恐怖という感情から殺したのではない。


罰という行動にでたのだ。


しかし、あのカードだけで、彼を判断できない。


長谷川の行動に警戒し、反応し、名護は明らかに理解していた。


それが、判断力のない人間に見えるだろうか。


あとは、担当の医師に任せる。




長谷川は、拘置所を出ると、眼鏡を外した。


二択。


長谷川は、眼鏡を握りしめた。


あの時、俺はどうして…知佳子を送らなかったのだろうか。


せめて…バスに乗せていたら…。


俺は、選択を間違えた。


人は後悔で生きている。


あの時こうしたら…。


しかし、一度選んだカードを戻すことはできない。



その思いが、狂気になる。


だけど、俺は狂わない。


決して…。



End.


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