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二択  作者: 牧村エイリ
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ファイル5 利用価値

悲惨な事件の裏側にあるのは、愛である。


悲哀。


しかし…ここまで、愛した者を簡単に壊せるものだろうか。


長谷川正流は、ため息とともに、今回の事件を記録したファイルを閉じた。



(犯罪者の心理は、わかる。しかし…俺には実感できないだろうな…。いや、愛することはわかる。だけど、殺さなければいけない程の愛情とは何なのか)

その根本が実感しない。


それは、あらゆる犯罪に携わる者ならば、悩むべきことであるはずが…事務的機械的に処理する内に、踏み込まなくなってしまった。


しかし、今回の事件は…少し違っていた。


(愛か…)


長谷川はもう一度、ファイルを開いた。






上原翔にとって、人を愛することとは、とても真摯なことだった。


別にもてない訳でもないが、運命の愛を信じていた。


たった1人の女性を愛し、添い遂げる。


しかし、現実はそんなことは少ない。


愛さえも軽んじる時代と、多くの出会いの機会がある社会は、別れを容易にした。


純愛は憧れになり、いつしか…ドラマの中のものとなった。


それでも、上原はただ1人を愛そうとした。


彼女が、理想の相手でもなくてもだ。


きっかけは、彼女の方からだった。


彼女の父方の会社で働いていた上原は、いたって真面目であり、勤続年数も長くなっていた。


さらに、あまり文句を言わずに働く姿が…彼女には都合よかったのだろう。



彼女は父親が倒れ、代が変わる時に目障りな幹部を失脚させた。


その後釜に、上原を抜擢したのだ。


その前に、会社が私物化されていると、何ヵ月も上原に相談にしていた。


そして、任せる数週間前、上原に告白したのだ。


最初は何とも思っていなかった上原であるが、数ヶ月後…意識するようになった。


会社にはほとんど来ないで、交遊関係に時間をさいている彼女に…複数の男の影があることを、上原は理解していた。


しかし、それでも上原は…彼女の言葉を信じた。


一目惚れではない。


献身的に働くことで、深まったたった独りの愛情は、上原の心の底でたまっていた。


逃げ出そうと思ったが、今自分がいなくなれば、会社が回らないことを理解して、上原は我慢した。



それに、彼女の愛情が本当だとも信じずに。


彼女は狡猾であった。


彼女からの告白は、三回あった。


時期を開けての三回。


それは、上原の迷いの時期と重なり…その度に、彼女は愛を口にした。


それが、真実か…嘘かを勘繰らずに、彼は自分に面と向かって告白する彼女の勇気を信じることにした。


だけど…彼女の告白に、こたえる返事はしなかった。


仕事を頑張ることが、その答えになると思ったからだ。


そんな彼の思いは、少しずつ侵食されていく。


彼女は会社のブレーンに、元彼や…彼氏未満の男を器用していく。


それは、彼女なりの処世術だったのだろう。


それでも、上原は寡黙に働いた。


給料が下がり、休みがなくなっても…。


疲れがピークになった時、上原はついにある言葉を口にした。


それは告白ではなく…確認だった。


「好きです」


しかし、彼女はこの一言ですました。


「嫌」


だと…。



そこで、彼の愛情は終わったら、まだ良かったのだろう。


彼は、終わりを選ぶことができなかった。


彼は、彼女の言葉を耳にしても一年近く働いた。


たった独りの愛情を胸にして。


いや…責任感かもしれない。



そんな彼が、彼女を殺した動機は理解できた。


しかし、理解できないことが…長谷川にはあったのだ。



彼は、彼女の愛情にあまり期待はしていなかった。


だから、愛情がないとわかっても、我慢し理解できた。


ただ同じような男が、増えていくのが、許せなくなったのだろうか…。




「だから、殺意がわいたと?」


長谷川の質問に、上原は俯きながらも笑い、口を開いた。


「ただ…気付いただけです。もし…会社を辞めたら、何も残らない自分がいると…。給料がいきなり下がったので…貯金はなくなりました。毎日、仕事しても…何の意味のない自分がいると…。だけど!」


上原は、自分の両手を見た。


「会社も彼女も見捨てられない自分がいると!」




意を決して、会社を辞めることを…上原は彼女に告げた。


すべてを失ってもいいと思い、選択したのだ。


よく考えれば…上原がいなくなっても、代わりはいたのだ。


「そう言えば…彼女は言ってました。会社を継ぐ前に、もし…俺が辞めれば…元彼の部下…その時はそう言いませんでしたが…部下が入れば、会社にずっといなくてもならなくなる。何もできなくなると…」


元々…上原である必要はなかったのだ。


しかし、そんな上原に、彼女はキレ気味にこう言った。


「会社を見捨てるの?」




その言葉の後…上原は彼女を殺した。


自分で思っていても、彼女の口から聞きたくなかったのだ。





「先生…」


机を挟んで座る上原は俯いた顔を上げると、長谷川の目を見つめ、ゆっくりと話し出した。


「彼女を殺した瞬間…その痛みよりも、自分の心の方が痛んでると思ったんですよ。数秒は…」


「数秒?」


長谷川は、眉を寄せた。


「はい」


上原は頷き、


「数秒後…何の感情もなくなったのですよ。虚しさもありません。今まで、自分がやっていたことも、多分…そんなものなのでしょうね」


視線を遠くに向け、


「ただ…楽にはなりましたよ。ここに来て、実感しました。やっと解放されたと」


四角い灰色の部屋で安堵の息を吐いた。


長谷川はその姿に、目を見開いた。


そこには、人を殺した犯罪者ではなく…清々しい顔をした青年がいたからだ。


「先生」


上原は、長谷川に目をやると、微笑んだ。


「罪を認めます。どんなことでも、受け入れます。選んだ結果も満足しています」


彼の言い方はまるで…今までのことに比べたら、これからのことは大したことないと、言っているように聞こえた。






事件は、あっさりと解決した。


しかし、彼の笑顔と言葉は、長谷川の心に残った。




(人を殺して…救われたか)


長谷川は眼鏡を外し、目尻を押さえた。


彼女が、好きと答えたら…幸せになったのだろうか。


いや、幸せにはなれない。


(愛情は、独りでは…意味がない。互いに思いやらないといけない)


当たり前のことを、最後に思ってしまった長谷川は苦笑した。


(愛することが、恐くなるな。だけど…)


長谷川は、閉じたファイルを見つめ、


(恐れては…あるはずの真の愛に出会わない)


目を閉じた。


ロマンチストだと、自分自身を嘲りながらも。



end.


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