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二択  作者: 牧村エイリ
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ファイル4  指折り

「ここか…」


少し色褪せたマンションの前で、長谷川正流は立ち止まっていた。


普段は、刑事事件や猟奇的殺人事件等を精神鑑定をメインの仕事にしているのだが、今回は違う。


知り合いのご息女を診察しに来たのだ。


診察と言っても、まだ患者であるご息女を見ていないから何とも言えないが、父親から聞いてかぎりでは、カウンセリングは必要だとは感じていた。


だから、自分よりも、きちんとした医師に診てもらった方がいいと進言したが、父親は長谷川に診てほしいと懇願してきた。


長谷川は精神科医といっても、犯罪者の嘘や内面を探り出すのが、役割であった。


ニ択という…方法を使って。


今回は、いつも使うカードを持ってきてはいなかった。


ご息女に関する情報が、少な過ぎたこともあったが、大体把握はできていた。


つまりだ。




「どうも、わざわざご足労申し訳ございません。先生」


玄関で、深々と頭を下げる母親に、長谷川も頭を下げた。


「さあ…どうぞ、御上がり下さい」


玄関から廊下を歩き、一番奥が、彼女の部屋だった。


「結花理」


母親がノックしたが、返事はない。


構わずに、母親がドアを開けた瞬間、長谷川は目を細めた。


部屋に溢れるブランドのバッグや、服達。


無造作に置いてある物は、彼女の心情を表していた。


そして、部屋の真ん中で膝を抱えてうずくまる女の小指は、分厚い包帯に包まれていた。


「はあ…」


深いため息をつく女からは、生気を感じなかった。


何を得ても、満たされない。


だから、とめどもなくなる。


なんとか満たされたいから、人は、求める。


例え…満たされなくても。




かつて、豊臣秀頼は徳川との戦いが始まる前、贅沢の限りを尽くした。


それは、恐怖や気が狂ったからではない。


どうせ、滅びるならばと、彼は贅沢をやめなかった。


その行為は、自己破滅と同じだった。


度を過ぎた贅沢は、滅びと繋がっている。




ただ集めただけの鞄は、必要さを感じとれなかった。


退廃的…デカダンス。


現在の社会は、カード破産や、借金を返せなくなった人は多い。


それは、自己破滅である。


自殺とは違うが、いきすぎた消費という行為は、自分を傷つけるという点では同じだった。


今さえ…あればいい。


この様な考えが、人から生きる意味を失わせる。


刹那的な快楽。



長谷川は、結花理の小指にも注目していた。


なぜならば、小指は彼女自身が折ったからだ。


確実に、彼女は未来を捨てていた。


そして、今さえも…。


リストカットなどと同じである。


しかし、無意識に深く切ることを抑え…自ら傷ついている信号となっているリストカットよりも、自らの指をへし折る行為は、さらなる痛みと日常生活さえ、困難にさせる。


つまり、彼女は自殺の一歩手前にいるのだろう。




(いや…)


長谷川は、眉を寄せた。


一歩手前とかではないのか。


いつでも、死を願う。


長谷川を見て、微笑む結花理。


その美しさに、長谷川は精神が壊れているようには見えなかった。


その代わり…長谷川が感じたのは、桜のようなイメージであった。


もうすぐ散りゆく…美しさとともにある儚さ。


彼女の瞳には、儚さしか見えなかった。




「あなたは…お医者さんですね?」


結花理はゆっくりと、言葉を発した。


「そうですね。一般の医者とは少し違うかもしれませんが」


長谷川の言葉に、結花理は口許を緩めると、視線を外した。


「あたしに…治療はいりません。だって…」


結花理の瞳に、陰が落ちる。


「悪いのは、あたしじゃないから」


「?」


長谷川は訝しげに結花理を見た後、ドアを開けたまま心配げに様子を伺っていた母親に顔を向けると、頭を下げ、目で合図を送った。


母親は気にはなったが、頭を下げると、ゆっくりドアを閉めた。


十二畳はある広い部屋に、長谷川と結花理しかいなくなった。


長谷川はもう一度、部屋を見回した。


物に溢れた空間は、とても恵まれているように思えた。


しかし、溢れた過ぎたものにこそ…真実がある。


膝を抱えたままの結花理と目線を合わす為に、長谷川は腰を下ろした。


「今から…簡単な質問をします」


「質問?」


振り向いた結花理と、同じ高さで目が合う。


「ええ」


長谷川は頷くと、優しく見つめながら、言葉を続けた。


「単純な質問です。答えは、2つしかありません」


「2つ?」


「はい」


「…」


首を傾げ、少し考えた結花理は、ちょっといやらしい笑みを浮かべながら、長谷川にきいた。


「やりたくないと…言ったらどうしますか?」


その質問に、長谷川は微笑んだ。


「それでもいいですよ。やる…やらない。それも、選べます」


困ることもなく、あっさりと質問に答えなくてもいいと口にした長谷川を、結花理はじっと少し睨むように見つめた。


長谷川は再び、微笑んだ。


逆に、結花理は少し口調をあらげた。


「やらないと言ったら、どうするの?」


「簡単ですよ」


長谷川は腰を上げ、立ち上がった。


「帰るだけです」


そして、にこっと笑顔を見せた。


「な」


結花理は軽く、絶句した。


「あなたの選択は、質問に答えない…。ならば、私がここにいる理由はないですから」


頭を下げ、出ていこうとする長谷川に慌てて、結花理は声をかけた。


「あんた!頼まれてきたんでしょ!患者をほって帰る訳!」


結花理に背を向け、ドアノブに手を伸ばしていた長谷川は、心の中でフッと笑った。


(患者)


結花理は今…自分を患者と言った。


長谷川は振り返ることなく、結花理に言った。


「今回は、ボランティアですので…つまり、タダ働き」


にんまりと笑うと、


「私に、無理にあなたを診る義務はありませんので…」


長谷川は慇懃無礼に、頭を下げた。



「お、お金の問題なの!みんな!みんな!お金が大切なの!」


突然取り乱し、体勢を変え、両手を床につけて叫ぶ結花理を見て、長谷川はノブから手を離すと、結花理に体を向けた。


「お金は、大切ですよ。だけど、それは手段であって…お金そのものではありません」


長谷川は結花理に近づくと、そっと肩を手を置き、座ることを促し、自分も腰を下ろしていく。


「答えて頂けますか?私の質問に」


ゆっくりと、腰を下ろした結花理は頷いた。


「…はい」


長谷川は微笑み、少し結花理の精神が落ち着くのを待ってから、口を開いた。


「わたしの質問に、どちらと思うかで答えて下さい。つまり、ニ択です」


結花理はコクりと頷いた。


長谷川も頷くと、最初の質問を口にした。


「ここにある大量の鞄や服は、あなたに必要ですか?」


「必要です」


「…」


長谷川は目だけで、鞄をチェックした。


「同じデザインのものもありますね。あなたはまた、鞄を買うのですか?」


「はい…多分」


結花理は少し…視線を落とした。


その表情の変化に、長谷川は気付き、結花理の瞳を覗いた。


「鞄が好きなのですか?」


「いいえ」


結花理は、首を横に振った。


長谷川は目を細めた。


「それは、服もですか?」


「好きなのもあります…」


「そうですか」


長谷川はここで一旦、質問を止めた。


深く理由を聞くこともできたが、それはやめた。そこに答えはあるが、それを無理矢理問いただしてはいけない。


長谷川の目に、包帯が巻かれた小指を見た。右も左も巻かれている。


(彼女は…自分の理由を知っている。だけど…やめれない)


どうして、やめないのかときいたら、彼女をさらに追い込むことになる。


(今、鞄や服のことを追及するのは早い)


長谷川は、話題を変えることにした。


話題を変えようにも、医者と名乗ってしまった為、迂闊にはできない。


無駄な買い物をするな。本当に必要なものだけを買いなさいと、口にした瞬間に、すべては終わる。


彼女はわかっているからだ。


指を折る行為は、自分への嫌悪感。


戒め…。




長谷川の目は、知らず知らずのうちに、結花理の小指にいってしまった。


至近距離だったこともあり、長谷川の視線の先を結花理は気づいてしまった。


「ああ…これですか?」


結花理は笑顔になると、包帯が巻かれ、倍以上の太さになった小指を、長谷川の目の前に持ってきた。


「…」


いきなりのことで、長谷川は言葉がでなかった。


目を見開いた長谷川の表情に、結花理はクスッと笑うと、


「これは…ですね」


結花理は固定された両手の小指を、左右にスライドさせておどけてみせた。


そして、笑いながら、こう言った。


「小指って、小さくて脆そうじゃないですか。他の指が太いのに…細くって、どうしてこんなんなのかな?だから、壊したくなるんです。その方がいっそ…楽にしてあげれそうで…」



長谷川ははっとした。


結花理の今の言葉で、理解できた。


(やはり…この子は)


長谷川は一瞬目を瞑ると、すぐに開けた。


その一瞬で、長谷川の表情も、雰囲気も変わった。



「結花理さん。あなたに質問します。今と過去…好きなのは、どちらですか?」


結花理は小指遊びを止め、じっと長谷川を見つめると、首を傾げ、


「どちらも、好きじゃないです」


と答えた後、また少し考え込んだ。


「もしかしたら…産まれた直後は、好きだったかも!幸せだったかも…」


「あなたは…」


産まれたばかりを想像し、屈託のない笑顔を浮かべる結花理に、長谷川は顔に出さなかったが、心の中で涙を流していた。


「未来は…好きですか…」


無意識に出た言葉は、二択ではなかった。


「未来…」


その言葉を聞いた瞬間、結花理の瞳から輝きがなくなった。


「そんなもの…ありません」


長谷川から顔を逸らした結花理の目に、光が戻ったと思ったが、


それは少し滲んだ涙だと気付いた。


「結花理さん…」


仕事場では一度詰まったことのない長谷川の言葉が、続かない。




「先生」


少し戸惑ってしまった長谷川の一瞬の間に、結花理の瞳から涙は消え、ただじっと顔を凝視していた。


「先生…。先生は、どうなんですか?未来なんて、不確かなものが好きなんですか?好きなんですか?」


問い詰めるような結花理の口調に、長谷川は少し驚いたが、心の中で苦笑した後、逆に冷静さを取り戻した。


「好きですよ」


「どうして!」


即答した長谷川に、強い口調で結花理はきいた。


「どうして!未来なんてあるかもわからないし!辛いことが続くだけかもしれない!ずっとずっと辛いだけかもしれないのに!」


「結花理さん」


長谷川の言葉を無視して、結花理は話続けた。


「だって!よくなる要素がないから!このまま続くの!あたしは、このまま苦しむの!だから、楽になるために」


「買い物で紛らしていたと」


「え…」


結花理の言葉が止まった。


長谷川は、部屋中の溢れたものを見回しながら、


「買い物に依存し、誤魔化してきた。だけど…もうお金がなくなり…買うこともできなくなった…。だから、次は…」


結花理の小指に、視線を落とした。


「自らの小指をへし折った」


「!」


結花理は思わず、両手を背中の後ろに隠した。


「次は、どうする気ですか?」


長谷川は、結花理の目を見つめた。


結花理の目が、大きく見開かれると、きりっと長谷川を睨んだ。


「死ぬしかないわ」


「いや…」


結花理の言葉を、長谷川は否定した。結花理から目を離すことなく、力強い口調で、肯定の言葉を吐いた。


「あなたは、死ねない。いや、死ぬ気はありません」


「あなたに、死ぬ気なんてない!」


確信したような長谷川の言葉に、結花理は絶句した後、発狂したように叫んだ。


「あたしは、小指を折ったんだ!その凄く痛かったのに!痛かったのにい!」


両手を上げ、再び小指を床に強打しょうとする結花理の手首を、長谷川は掴み、動きを止めた。


「離してよ!」


もがく結花理を、長谷川は一喝した。


「いい加減にしろ!」


掴み手に力を込め、長谷川は結花理を睨み付けた。


「あなたは!知って貰いたいだけだ!痛みを、自分の苦しさを!知ってもらいたいだけだ!こんなに苦しいんだってな!」


「ああ…」


結花理の動きが止まる。


「あなたを苦しさを…救おう!だから…教えてほしい。あなたの苦しさを」


長谷川の言葉に、先程は滲んだだけだった涙が、頬を伝った。


「あ、あたし…」


長谷川は手を離した。すると、結花理は両手を床に下ろすと、泣き出した。


感情を吐き出すように。


「あ、あたし…どう生きたらいいのか…わからないをです。人との接し方も…だから、いつも一人で…」


長谷川は姿勢を正すと、結花理をじっと見つめた。


「やっぱりファッションとかにも、うとくって…あんまり綺麗な方でもないから…だから…少し変わろうと、ローンで、ブランドの鞄を買ったんです。それを持って…学校にいくと…みんなが、声をかけてくれて…」


結花理はただ…自分の小指を見つめていた。


「だけど…しばらくしたら、みんな飽きるから…また1人になって…。だから、新しいのを買って」




鞄だけでなく、ブランドの服を身につけるようになった結花理に、友達は言った。


『お金…あるんだね』


『うん』


と頷いた日から、結花理は友達になった子達の飲み代も払うようになった。


毎日のような飲み会にお金が続く訳がなく、


結花理はキャッシングを繰り返した。


友達のリクエストや期待にこたえる為に、結花理は服や鞄を変えまくった。


とうとう…買うことができなくなり、昔買った服を来て、学校に行った時、


結花理は信じられない言葉をきいた。


少し遅れて、教室に入ろうとした結花理の耳に、


『やっぱさ〜!どんなブランド身に付けてもさ。結花理じゃ〜あ、似合わなくない?』


『そうそう!豚に真珠ってやつ』


『金なかったら、相手になんかしないってな』



ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!


教室に笑い声が、響き渡る前に、結花理はその場から走り出していた。




「どうして…あたしは、お金しか価値がない人間なんですか?あたしは…友達だと思っていたのに…」


泣き崩れる結花理から、長谷川は視線を逸らすと、言い放った。


「彼女達は、友達ではありませんよ。それに、あなたも彼女達を友達とは思っていませんよ」


「え?」


長谷川は、結花理に顔を向け、


「友達だと思っていたら、どうしてその場で言い返さなかったんだ!あなたも、彼女達を金で買っていたんだ!」


結花理に詰め寄った。


「あなたは、人の接し方がわからないと言った!それは、誰もがそうだ!だから、他人を知るために、気を使い、言葉を選び、真剣に向き合い、相手のことを考える!その繰り返しが、人の接し方で…その中で、気の合う者が、友達や仲間になる!その関係の中で、お金は関係ない!物は、関係ない!」


「あ、あたしは…」


震えだす結花理の肩に、長谷川は手を置き、


「先程の理由を言いましょう。未来が好きな理由を…」


優しく結花理に微笑みかけた。


「未来は、自分の好きにできるからです。今苦しくて、辛くても…明るい未来に、幸せにできます。それが、未来なのです。過去や、現実は変わらないけど、未来は変えられるのです。自らの意志で」



「せ、先生…」


結花理の全身から、力が抜けていく。


長谷川は頷き、


「あなたは、1人と言ったけど…私をここに呼んだ両親がいる。誰よりも、あなたを心配している…」


「せ、先生…」


結花理は号泣しだした。


「指が…指が痛いよお!小指が痛いよお〜」


叫びながら、泣き崩れる結花理を、長谷川はぎゅっと抱き締めた。




数分泣いた後、結花理は呟くように、口を開いた。


「あ、あたし…借金いっぱいした…」


「ゆっくり返せばいい。今ある…いらない物を売ってもいいし…」


「先生…」


結花理は、すがり付いていた長谷川から離れると、顔を上げ、


「あたしに…質問して下さい」


「え?」


泣き顔を隠すことなく、まっすぐに長谷川を見つめ、


「あたしに、未来は好きか、嫌いかを」



結花理の瞳に、輝きが戻っていた。


長谷川は微笑むと、


「あなたは、未来が好きですか?嫌いですか?」


結花理にきいた。


結花理は唇を噛みしめ、折れてない指達を握りしめると、


「好きです!好きになってみせます!」


力強く言い放った。


長谷川は頷いた。


もう目の前には、膝を抱える者はいない。


「そう望む者の未来が、よくならないはずがないよ!」


長谷川は笑いかけた。


部屋を出ると、心配そうに立っていた母親がいた。事情を説明すると、長谷川は家を出た。




マンションを背にして歩く長谷川は、自分の携帯を取り出した。


そこには、新しい番号が登録されていた。


「友達1号か」


長谷川は苦笑した。


「まあ〜こんなおっさんでよければ、いくらでも友達になるがね」


長谷川はにやけそうになる口を手で塞ぐで、咳払いをして、改めて歩き出した。


次の患者のもとへ。



end。


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