ファイル3 メールの残り香
人は愛ゆえに、優しくも残酷にもなれる。
女を狂わすのは、愛だ。
よく女同士に友情はないという。
しかし、それは…女が愛情に深いからではないのだろうか。
愛する人。
愛する子供。
たった1人しかいない自分が、与える相手のなんて多いことか…。
ペットも入るかもしれない。
そんな女が、同じ女に同じように接することができるのだろうか。
仲が良かった2人の友達。
斎籐奈都子と鳥井綾。
そして、あたし…鹿島裕子は、学生時代からいつも一緒で、仲が良かった。
それは、OLになっても変わらなかった。
かけがえのない仲間…親友。
たまに、酔っぱらって、面とは言えないことを口にし合うこともあった。
そんな三人のうち…1人を失うことになるなんて…。
綾と奈都子は、同じ人を好きになった。
最初は、綾が先で…でも、付き合ったのは、奈都子だった。
「おめでとう」
綾の祝福の言葉に、奈都子は嬉しそうに、ありがとうとお礼を述べた。
学生の頃からの仲である。
うわべだけで言ってもわかる。だからこそ、綾の言葉は真意だと、あたしは思った。
だけど…2人と別れ、家に着いたあたしの携帯に飛び込んできたのは、綾の本音。
『やっぱり、堪えれない!あの顔!あたしが先に好きになって、何とか仲良くなれたと思ったら…横から、あいつが近づいて来て…いつのまにか…あたしから、彼を!』
綾の気持ちも理解できた。
だから、あたしは慰めのメールを打った。
狭いワンルームマンションのほとんどを占領するベッドに倒れ込むと、あたしはため息をついた。
しばらく奈都子と彼の幸せは、続いていたと思う。
奈都子もどこか後ろめたい気持ちがあったのか…三人でいるときは、彼氏の話はしなかった。
三人でいる時間も、減った訳ではなかった。
時折、あたしと奈都子が話している時に、ふっと横目で綾を見ると、レモンティーのグラスを持ち、虚ろな目で、あたし達以外を見つめていた。
「じゃあね」
変わったことといえば、別れる時、奈都子の方向が違うようになったことぐらいだ。
遠ざかっていく奈都子の背中を見つめながら、綾はぽつんと呟いた。
「向こうにいるんだ…」
それと、もう1つ変わったことは、綾の口数が減ったこと。
その代わり、メールはよく来た。
『今、何してるの?』
そんな始まりのメールから、何度かやりあった後、最後は必ずこう終わった。
『あの子らは…何してるんだろ』
そのメールにどう返していいのか、わからなかった。
だから、あたしは、
『さあ…』
とだけ返していた。
ある日、仕事中…あたしは奈都子から呼び出しを受けた。
突然のことに驚いたけど、時間に余裕があったこともあり、あたしは休憩時間を使い、奈都子が待つカフェに向かった。
そこにいたのは、奈都子と…その彼氏だった。
真面目で、誠実そうな彼氏を見て、綾が好きになりそうと思ったけど、正直…奈都子には似合っていないように、第一印象は感じた。
そんな印象も、仲良さそうな2人の姿を見ると、次第に薄らいでいった。
他愛のない会話が続いたが、休憩時間は短い為、すぐに職場に戻ろうとするあたしに、彼氏は言った。
「これからも、奈都子のいい友達でいてやって下さい」
「は、はい」
どうして、そんなことを言われるのかわからなかったが、あたしは頷いた。
会社に戻る途中、奈都子からメールが来た。
『彼氏と会ったこと…綾には、言わないでね』
あたしも、綾とのことはわかっていたので、今のことを言う気にはなれなかった。
『何か…変わったことはなかった?』
そんなメールが、綾から来ると、ドキッとしてしまう。
あたしは、何もなかったと打ち、他愛もない内容のメールを返した。
そんなやり取りを、数ヶ月行っていたがある日、メールが止まった。
そして、数日…三人で会うこともなかった。
あたしは気にはしていたが、毎日の仕事に追われ、綾や奈都子のことばかりを考えている暇がなかった。
「先輩!これ…どうするんですか?」
新しい後輩もできて、あたしは仕事に追われていた。
そして、また時が過ぎた。
いきなり、奈都子から電話があった。
「裕子!あんた、綾の居場所を知らない!」
興奮し、怒っているような口調に驚きながら、知らないとあたしが言うと、
「わかった!」
それだけですぐに電話が切れたけど、また数分後にかかって来た。
「ごめん!ほんとは、言いたくなかったんだけど…綾のやつ!あたしの彼氏といるかもしれないんだ!」
「あ、綾が?」
「綾のやつ…あたしの彼氏を!」
怒りながら、泣いているのがわかった。
「奈都子!何があったの?」
あたしが訊いても、奈都子は混乱しているのか答えず、
「2日前から、連絡取れないの!……綾の家かな?家よ!そ、そうよ!絶対!そうよ!」
奈都子はそう叫ぶと、あたしを無視して、電話を切った。
「それが、あなたと話した最後ですね」
あたしの前に、座る男は、あたしにそうきいてきた。
過ぎ去った事実を確認する為に。
奈都子の電話。
それが、あたしと三人の繋がりの最後だった。
後は、新聞とテレビのニュースで知った。
被害者 鳥井綾と町田透。
加害者…斎籐奈都子。
愛憎の縺れから、加害者は被害者宅で、2人を殺害。
錯乱状態になり、泣き叫ぶ奈都子を担当することになったのは、長谷川正流だった。
「あいつら!あいつら!」
愛憎の縺れ…浮気の末の殺人。
動機はわかりすぎていた。
しかし、不明なところがあった。
加害者は、明らかに殺しに行っている。最初から。
確かに、浮気現場を押さえた。それも、親友の家で…。
殺したく思うだろう。
だけど、最初から親友と恋人を殺しにいくだろうか。
加害者宅で、言い争った様子はない。
現場検証から、奈都子は家に上がり込むとすぐに、一目散に綾に近づき、綾の首を用意した出刃包丁で切り裂くと返す手で、彼氏の股間に突き立てている。
口論がない。
奈都子は、殺しに行ってるのだ。
綾と彼氏はいわば…一回目の情事である。
もしかしたら、ただ部屋でお茶を飲んでいただけかもしれない。
これなのに…有無を言わせずに、殺している。
「あいつは!あいつらは、あたしを馬鹿にして!騙して!いつも、いつも!」
泣き叫ぶ奈都子の供述を聞いていた担当者は、あることに気づいた。
「多すぎるんですよ。動機へ向かう理由が…。調べてみると、加害者の想像としか考えられないことがあります」
事件の事実関係をまとめた報告書に、目を通していた長谷川は顎に手を当て、少し考え込んだ。
「だけど…それを信じているんですよ!確信を持って」
「わかりました」
長谷川は頷くと、用意していたカードを上着の内ポケットにしまった。
(これは…いらないな)
長谷川は、奈都子がいる部屋に入った。
奈都子のカウンセリングを終了した後、長谷川はあるものを、見せてほしいと担当の刑事に言った。
それは、携帯だ。
長谷川は、奈都子の着信履歴と、メール内容を確認した。
しかし、メールだけが、全部消去されていた。
それは、綾も彼氏も同じだった。
(事件の関係者が、全員…履歴を消している)
だけど、リダイヤルが、残っていた。
鹿島裕子。
「被害者達の共通の友人です。殺された鳥井も、犯人である斉藤とも、仲が良かったようです」
刑事の言葉に、長谷川はきいた。
「その方からも、話はきいたのですか?」
「昨日…」
「それで?」
「はい。彼女は、町田透を巡る2人の関係については、知っていました。何度か、2人から電話やメールで、相談を受けていたと」
「相談…?」
長谷川は、メールが消去されていることを思い出した。
(三人とも、消している?)
彼氏である町田も。
町田の携帯に、裕子が登録されていることは、確認できた。
「メールの内容を復元できますか?センターなどで」
長谷川の質問に、
「内容までは、無理ですが…履歴は、残っていると思います…」
その言葉に、長谷川は頷いた。
「それだけでも、構いません」
三人からのメールの送受信の履歴を確認した長谷川は、深く頷き、刑事に言った。
「鹿島裕子を、任意同行できませんか?重要参考人として」
しかし、裕子と三人のやり取りは犯行当日の3日前が、最後となっていた。
その代わり、綾と奈都子のやり取りは頻繁になっていた。
そして、裕子のアドレスに何度もメールを送る町田の履歴は、残っていた。
その事実が、長谷川を悩ませた。
町田と裕子の関係も疑ったけど、裕子は犯行当日の何日か前から、町田にメールを返した形跡はない。
悩みながら、長谷川は気になることを思い出した。
どこかに真実への糸口を見いだすかもしれない。
長谷川は、裕子がいる部屋に向かった。
鑑識から戻して貰った二つの証拠物を持って。
それは、携帯電話だった。
機種も、会社も違うが…二台の携帯につけたストラップだけが、色違いだが、デザインは同じだった。
貝殻でつくった手作りのストラップ。
部屋の中央…ディスクの前で、俯く裕子の前に座った長谷川は、すぐに説明しだした。
「突然ですが…あなたにゲームをして頂きます」
そして、長谷川は二台の携帯電話をディスクの上に置き、
「今から、私が出す質問に、どちらが当てはまるか…選んで頂きたい」
裕子は、長谷川の顔を見ることなく、二台の携帯に目を落とした後、少し微笑んだ。
その表情の変化に、長谷川は眉を潜めた。
「先生…。先生でよろしいのでしょうか?」
裕子は顔を上げ、長谷川を見た。その潤んだ瞳に、長谷川は息を飲んだ。
(これは…)
それは、悲しみよりも、まるで恋する乙女が、一つの恋の終わりを受け入れた…そんな瞳が流す涙。長谷川は、場違いな涙に、少し驚いてしまった。
「ええ…。先生で、構いませんが…」
少し戸惑いを出してしまった長谷川に、裕子は微笑みかけると、また二台の携帯に目をやった。
「あたしに…その質問は、無意味です」
「無意味とは?」
一瞬で、表情を整えた長谷川は、裕子にきいた。
裕子は微笑みながら、
「先生が、これをあたしに見せるということは…知ってらっしゃるということですね。だけど今のあたしは、どちらも選びません」
二台の携帯を見て、懐かしそうに目を細めた。
「鹿島さん?」
「このストラップは、あたしは作ったんですよ。2人に…分け隔てなく、愛情を注いでいたから…」
長谷川は、裕子の今の言葉が、引っ掛かった。
「愛情…?」
長谷川の呟きに、裕子は顔を上げた。
「はい」
その力強い返事に、長谷川は裕子の真実を知った。
「あ、あなたは…」
裕子は、二台の携帯を長谷川の方に、指先で押し返した。
「あたしは、2人を愛していました。1人なんか、選べなかった。学生の頃から、ずっと…。だけど、ずっと続くなんて、思ってはいませんでした」
「…」
長谷川は、ただ裕子の話を聞くことにした。
「それなのに…あの2人は…あんな…どうしょうもない男に、引っ掛かって…取り合って」
その時、裕子の瞳に浮かんだ怒りの色を、長谷川は見逃がさなかった。
「あの男…。あたしにも、すりよってきたんですよ」
「だから…メールを送り、2人が争うように仕向けたと?」
長谷川の言葉に、意外そうな顔を向けた裕子は、しばらく長谷川を見つめた後…笑った。
「先生は…女について…女の深さについて、理解されていませんね」
「と、言いますと?」
長谷川は、もう表情を変えなかった。これくらいで、心は動じない。今からが、本番なのだ。
「あたしは…ただ、あの子達に、警告をしただけ…やめておいたらと、あんな男。だけど、あの子達は、もう虜…。あの子達が、燃え上がる程…あたしは、さめていったんです」
裕子は、もう長谷川を見ていない。
一度返した携帯電話を一台づつ、手にすると、
「メールを2人と交互にしていたのですけど…わかるんですよ。彼女達が、狂っていくのを…。友達なのに、相手を疑い…自分が愛情を注いでいる恋人をとられるんじゃないかと…。疑いが、憎しみを…そして、幻想を生んでいく」
冷静に話す裕子を、ただ長谷川は見つめた。
「そうなったら、あたしの言葉など聞きません。それに、2人が惚れた男は、最低でしたらから…」
裕子は口元を緩め、微笑んだ。
「あの2人の想像通りの結果になった」
「なるほど…」
長谷川は、裕子に浮かんだ喜びの感情に気づいた。
「だけど…彼女達を、真剣に止めることはできたのでは?お二人は、友人であり…特別な感情をお持ちだったはずでは?」
「だから、先生は女をわかっておりませんわ」
裕子は手にしていた携帯電話を、落とすように、ディスクに置くと、
「友達なら…最後まで、付き合ったかもしれませんが…あたしは、愛情。さめた相手のことは、もういいんですよ。それに、あたしには…」
「鹿島さん…」
「あたしは、最初から、2人と結ばれるとは、思っていませんでした。長い付き合いですから…それは、わかっていました」
裕子はそう言うと、長谷川を見、また微笑んだ。
長谷川は、目を見開いた。
「先生…。あたし…好きな人が、できたんです。会社の後輩なんですけど、かわいいんですよ」
裕子の嬉しそうな顔に、
「その方は…」
きこうとした長谷川を、裕子は睨んだ。
「女よ」
裕子の強い言い方に、長谷川は口を閉じた。
「いけない?」
「いえ」
「あたしは、男を好きにならなくちゃいけない…理由がわからないわ」
「そう…ですね。人を好きになるのは、自由です」
長谷川は否定しなかった。
「ですが…お友達お二人が、ああいうことになった。それに関しては、あなたは、何も思わないのですか?」
長谷川の質問に、裕子は少し目線を逸らした。
「先生…。フラレた悲しみを癒す為には…いえ、心理学的に言いましょうか?損失は、悲しみの中で癒えていく。あたしは、フラレたこと…2人を失ったことを悲しんだことで、もう…癒されているですよ。悲しみという行為で」
長谷川は、ある言葉を頭に思い浮かべていた。
子供を亡くした動物は、新しい子供を産み、育てることで、悲しみを乗り越えていく。
感情なき世界に、生きるもの。
(彼女は…愛情というものを語っているが、愛情ではない。彼女の愛情は…)
最初は、愛情だったかもしれない。
結ばれることのない世界の中で、彼女はこうなったのだ。
絶望を感じ、心の中で絶句した長谷川に、裕子は最後にきいた。
「あたしは…罪に問われますか?」
その言葉に、長谷川はこたえた。
「いいえ…」
二台の携帯電話を残し、部屋から去った裕子。
長谷川は、大きく息を吐いた。
去る前に、長谷川は気になっていたことを、裕子にきいた。
「3人とも、メールが消されてましたけど…。それについてはなぜですか?」
長谷川の質問に、裕子は笑った。
「疑いだしたら…見るでしょ?携帯。だから、後ろめたかったんじゃないですか?あたしは、違いますよ。何でしたら、あたしの携帯をお貸ししますけど」
警察は、裕子の携帯に残ったメール内容を確認した。
すべて残っていた。
まるで、見られることを想定していたかのように。
警察が確認する間…裕子はただ微笑み続けていた。ディスクに戻ることはなく、長谷川に向かって笑いかけていた。
携帯電話を返して貰うと、裕子は静かに頭を下げ、帰っていった。来た時よりも穏やかな表情で。
「先生…。やはり、彼女がそそのかしたのですか?」
代わりに部屋に入ってきた刑事の言葉に、長谷川は首を横に振った。
「彼女がやったことは…教唆犯にもあたりませんし…扇動罪にもあたらないでしょう」
しかし…。
長谷川は、カウンセリングを裕子に行いたいと思った。
だけど、その思いを、長谷川は口にしなかった。
彼女が望んでいない。
それに今の会話が、結局はカウンセリングのようになってしまった。
先生は、女を知らない。
その言葉だけが、長谷川に残った。
常識的にいったら、女が女を愛するのは、おかしいだろう。
(しかし…それは、自由だ)
そう思い、そうすることも。
だが、それを相手が、受け入れるかも…自由だ。
end。