素晴らしい人
「あなたは、素晴らしい人間だ」
見知らぬ人に、そう言われたら、あなたはどう思うだろうか。
誰にも、認められない世界で…あなたのことを笑顔で認めてくれる人。
あなたの人柄を褒め、素晴らしいと、簡単に口にする人々。
あなたは、その人達をどう思うだろうか。
孤独で、押し潰されそうな日々の中、あなたに笑顔を向ける人達を。
あなたは、その笑顔に救いを感じるのだろうか…。
少なくとも、私はこう思う。
そんな笑顔や言葉に、救われてはいけないと。
なぜならば、その後…あなたはその笑顔に、見返りを求められるからだ。
善意の寄付。お布施。
この世で、愛や幸せ…平和や自由、可能性を口にする集団に、貧乏はいない。
世界中の戦場を飛び回り、現場で医療に携わる人達には貧困が多い。
なのに、争いのない土地で、立派な建物の中で、笑顔ともっともらしい言葉を並べる人達に、金が集まるのは、どうしてだ。
「しかし…そんな疑問を口にしたところで…どうなるものでもないか」
長谷川正流は、寂しげに笑った。
「あなたは、素晴らしい可能性をお持ちだ!それを周囲が気づかないだけです」
満面の笑顔を浮かべ、気の弱そうな女に話しかけている中年の男は、小太りでテカった額が、油切っていた。
「はあ〜」
力なく項垂れる女はまだ、半信半疑であった。
「自信を持って下さい。あなたは、素晴らしい」
「はあ〜」
力なき声を出す女を目で見下ろしながら、男は話題を変えた。
「先に送ったDVDは、見て頂きましたか?」
男の質問に、女は項垂れながら頷いた。
「そうですか!ありがとうございます」
男も笑顔で頷くと、
「今日はですね。DVDを見られたらお分かりのように、あなたと同じ年齢の方々を迎えて、セミナーと言いますか…交流会を行っているですよ。宜しければ、参加なさってみたらどうですか?あなたのお友達も参加されていますし」
男の言葉に、女はゆっくりと頷いた。
何もない質素な部屋に通された女は、丸いテーブルに座る人達と対面した。
どこが上座とかない…円卓は、平等を意味していた。
女は、友達の誘いでここに来ていた。
中学時の同級生だ。
結構仲が良かった彼女は、頭がよく、所謂才色兼備であったが…受験勉強でノイローゼになり、高校にはいかなった。
女は最初、その友達よりも成績が悪かったが、猛勉強の末…一応、進学校に通ることができた。友達とは途中、何故か険悪になり、疎遠になったが、高校入学後…久しぶりに電話があった。
彼女は一方的に語った…。ある人達と出会い、立ち直ることができたと。
あなたを憎んだこともあったけど、今はそんなことはないと。
しかし、女は初めて、友達の成績を抜いた時の彼女の顔を忘れることはできなかった。
だけど、少しの後ろめたい気持ちが後押しして、女はここに来たのだ。
電話があった数日後、ここの場所を説明した紙と一枚のDVDが送られて来た。
「さあ〜皆さん!まずは、自己紹介をお願いします」
円卓のそばで、笑顔を浮かべる若い女と、少し年配の男が立っていた。
「はじめまして。私は、XX学園の一年…」
次々に、円卓に座る男と女達が、自己紹介をしていった。
ついに、女の隣の男まで来た。
緊張が走る。
「はじめまして!僕は、XY高校の1年…」
その高校の名前が出た時、あきらかに…年配の男達の顔色が、変わった。
「XY高校!」
司会の女も思わず、口にした。
なぜなら、そこは有数のエリート校だからだ。
次は、自分の番だ。
女は、自己紹介をした。
高校名を告げた時、
「ふ〜ん」
と小さな声で、年配の男は呟いた。
彼の興味は、まだ…隣のエリートに向いていたからだ。
すべての自己紹介がすんだ後、友達が場を仕切りだした。
友達は、いつのまにか円卓に座っていた。そして、身を乗り出すと語りだした。
ここに来て、自分はどんなに助かったのか。
高校にもいっていない自分に、未来があり…価値があると教えてくれたと。
涙ながらに話す友達よりも、その後ろで、にこにこと笑顔を浮かべ、立っている二人の姿が印象に残った。
まるで、学芸会を見守る親族のように。
友達が真剣であることが、女には伝わっていた。
だからこそ…女は、この会に違和感を覚えたのだ。
「洋子!」
会が終わり、そそくさと部屋から出た女の後を、友達が追いかけて来た。
「香織…」
香織は満面の笑みを浮かべ、洋子を見つめた。
「来てくれたんだ」
「う、うん」
「さっきは、泣いてしまって…みっともないとこを見せちゃったね」
明るく舌をだす香織にノイローゼの頃の面影はない。
それを見て、洋子は自然と微笑んだ。
「途中まで、送るよ」
洋子は、香織に促されて大きな建物から出た。
「私…今、働いてるんだ」
空を見上げながら、香織は近況を話し出した。
「そうなんだ」
「一応…高校には、いずれ行くつもりだけど…今は、ここに恩返しをしたいんだ」
香織を背伸びをすると、笑顔になり、後ろを振り返った。その目は、洋子を見てはいなかった。
思わず、洋子も振り返った。
周囲でも目立つ立派な建物は、どこか華やかだった。
「働いて、ここに寄付してるんだ」
「え?」
思わず、声がでた洋子に、香織は顔を向けた。
「勘違いしないでよ!私が、勝手にやってるの」
真剣な表情で、洋子を見た香織の目が、成績を追い越した時の顔に一瞬、重なった。
だけど、すぐに笑顔になった。
「だって、私は救われたんだよ!あの人達に、無償で!だから、少しでも恩返ししたいの」
(無償で…)
その言葉が、洋子には引っかかった。
そして、つねに笑顔でいる香織にも、違和感を感じた。
まるで…笑顔の仮面を縫い付けられているような違和感。
「また来てね!いっしょに頑張ろうよ」
途中で、洋子は引き返した。
笑顔で、手を振りながら…。
後日、その団体から電話が来たが、洋子は二度と…いくことは無かった。
誘いを断ってから一度、香織からの電話があった。
しかし、それも断ると、
「あ、そう!」
恐ろしい剣幕で、電話を切られた。
そして、二度と電話がかかってくることはなかった。
「そして…どうしても気になったあなたは、様子を見に行ったと…」
「はい…」
建物内の入口付近で気を失って、倒れている洋子は、駆けつけた警察によって保護された。
そして、洋子から三メートル程離れたところに、死に絶えている香織が発見された。
さらに、その奥…建物中に転がる死体の数々。
「香織のお母さんから…電話があったんです。最近、香織が変な団体にはまっていて…家のお金を持っていっているって…。それを聞いて、ピンと来たんです。ここだって…。だから、向かったんです」
母親の電話の後、洋子は前に訪れた建物に向かった。
ドアを開けた瞬間、異臭がした。
そして、中に入った時、凶器を手にした血まみれの香織が目の前にいた。
「…私を見捨てないで…私を馬鹿にしないで」
香織の瞳から、涙が流れると同時に、洋子の記憶はなくなっていた。
「私を憐れむな!」
それが、洋子が聞いた最後の…香織の言葉だった。
「私は、素晴らしい人間なんだ!」
その様子は、監視カメラに残っており…洋子が事件に関係がないことは証明された。
ただし…香織一人がどうやって、建物内の人々を殺したのか…それは、長谷川にも詳しくは語られることはなかった。監視カメラも、ビルの入口のみで、建物内には設置されていなかったのだ。
「私は…香織を助けられなかった。この歳で働いて、得れるお金はたかが、しれてます。多分、あの子は…見捨てられたくなかったんでしょう。こんなところでも…」
やっと落ち着いたのか…涙を流しだした洋子に、長谷川は首を横に振った。
「君のせいじゃない。人間は、弱い。だけど、それを認め…立ち向かうことができるのは、本人だけだ」
長谷川は目の前に座る洋子に、ハンカチを差し出した。
そして、部屋から出た長谷川はドアをしめると、溜め息をついた。
「一つおききしますが…今回の件は、あの男の仕業ではないんですね」
長谷川の質問に、ドアのそばにいた刑事が首を横に振った。
「香織という女一人の犯行です」
「そうですか…」
長谷川は廊下を歩き出した。
「あの団体は、お布施が払えなくなると、知り合いを紹介させていたようですが」
長谷川の隣で、刑事も歩き出した。
「ねずみ講のようなものですね」
刑事も溜め息をついた。
「気持ちを商品とした、ねずみ講ですか…」
長谷川は刑事と別れ、警察署から出た。
(やっと掴んだ心の安定が…お金が続かないために壊れていく恐怖)
事務所に帰ると、長谷川は報告書を書く為に机に向かった。
(いや、違う。彼女は救われては、いなかった。救われたと自分で思っていただけだ…。金の切れ目が…気持ちの切れ目となったのだ)
長谷川は、洋子が聞いた香織の最後の言葉を思い出した。
私を見捨てないで…私を馬鹿にしないで。私を憐れむな。私は、素晴らしい人間なんだ。
「ふう〜」
息が自然と出た。
(素晴らしい人間はいる。しかし…素晴らしい人間は、自分では気付かない)
長谷川は、ペンを置いた。
「そして…簡単に、他人が本人に素晴らしいとは言えない。何故ならば…その言葉は、簡単に口にするには…重すぎる」
長谷川は、携帯を手に取ると、警察に洋子のさらなるカウンセリングを申し込んだ。
「友達の為に、涙を流せる…そんな彼女こそ…」
長谷川は言葉を飲み込んだ。
そして、彼女の心を治療することを誓った。
会うことも救うこともできなかった香織の分も。