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二択  作者: 牧村エイリ
2/24

ファイル2  君だけを

「どうですか?少しは…落ち着きましたか?」


鉄のドアを開き、机の向かうで俯く男に、長谷川正流は、笑いかけた。


「…」


無言の男を見つめながら、長谷川は前に座った。


そして、両肘をつき、身を乗り出すと、改めて男にきいた。


「落ち着きましたか?佐山さん」


「あっ」


小さな声を上げ…佐山は名前を呼ばれたことに気づくと、やっと顔を上げた。


「先生…」


赤く腫れ上がった目が、佐山の心情を表していた。


「落ち着きましたか?」


「ええ…」


佐山はまた俯いた。両膝に置いた拳を見つめながら、呟くように言葉を続けた。


「落ち着いたといいますか……すべてを失ったのに、まだ…生きている自分に、驚いてます。だけど…」


「だけど?」


長谷川は、かけた眼鏡のレンズの向こうにいる…佐山のすべてを焼き付けようと、集中していた。


そんな長谷川の鋭さに気づかずに、佐山は震えだした。


しばらく、言葉がでない。


数分後、佐山の拳に涙が落ちると同時に、言葉が出た。


「だけど…私には、何もありません。何にも…」


そう言って、ただ涙だけを流す佐山を、長谷川はただ見つめていた。


何もきかずに。


どれだけの時が過ぎたか…。


佐山は、語り出した。


それは、供述ではなく、自分のなくしたものを思い出すように…。


彼は、語り出した。


それは、彼の思い。







私と妻との出会いは… もう何年も、昔です。


初恋に近いでしょう。


一目惚れってあるんですね。


中学生の時、入学式で出会いました。


人混みの向こうでも、輝いている彼女に。


あの時、こう思いましたよ。


灯台ってあるじゃないですか。


何があっても、私はそこにたどり着きたいと思いました。


だけど、彼女は…秀才でした。


頭がいいですよ。


その時、思ったのは、彼女とできるだけ長くいたいと。


中学だけでなく、高校も一緒にいたいと。


あの頃は、付き合いたいとかは思わなかったです。


私はそんなに、顔もよくないし…。


だから、遠くても、同じ学校にだけでもいたかった。


お、おかしいでしょ。


彼女がどこの高校に行くのか…わからないのに。


馬鹿だった僕は、その日から勉強をしました。


彼女と離れたくないから…。


話すことは、ほとんどなかった。


一年、二年は、同じクラスになることはなかった。


だけど、三年の時、同じクラスになれたんですよ。


その頃の私は…勉強だけをやっていたからでしょうか…。


学年でも、十位以内に入ってました。


そうなると、周りの友達も変わってくる。


その中に、飯田という…顔もよくって、頭をいいやつがいたんですよ。


一年の時は、私を鼻にもかけなかった飯田が、三年になると、よく私に話かけるようになってきた。


飯田はほとんど学校に来ないで、家で家庭教師達に、勉強を習っていました。


あまり飯田を、私は好きではなかったのですが…何かの弾みで、言ってしまったのですよ。


妻が好きだと…。


飯田はそれからよく、妻とのことを、私に話しました。


実は、二人は…周りに内緒で付き合っていると。


きいてもいないのに、デートのことや…初キスのことも…。


そして…。





佐山は、唇を噛み締めた。


長谷川は、佐山の話をメモることなく、ただ聞いていた。


「つ、妻との初めてのことを…」






だけど、おかしいんですよ。


それでも、私の妻への気持ちは、揺るぎませんでした。


まだ…好きなんですよ。


私は逆に、ショックを受けることなく、ただ冷静になり、勉強に没頭していきました。


いつのまにか....私は、学年一位になってました。


その頃、どうしてか…。


私が、妻のことが好きだと…クラスで広まりました。


私は、飯田と妻に申し訳ないと思いながらも、 それを否定しませんでした。


一度、妻と目が合ったことがあります。


誰もいない廊下で2人…。


だから、私はただ…ただ頭を下げ、笑顔を向けました。


それだけです。


私はすぐに、妻の横を走り抜けました。


それから…しばらくして、進路を決めなければいけなくなりました。勿論、妻の進学先は知りませんでした。


飯田からは、きけませんでした。


いや、きけるわけがないんです。



そんな中…私とは逆に、飯田の成績は下がっていったのです。


妻と付き合って…しばらく経ってから。


一時期は、妻とのことを毎日電話をかけて、日曜日まで報告してきていた…飯田から、ぴたりと報告がなくなりました。


確か…冬休みに入り、正月を過ぎた頃でした。


学校が始まる寸前、私は、衝撃の事実を知りました。


飯田が自殺したのです。


彼は成績が落ち、目指していた志望校にいくことは、絶望的になっていたのです。


私は勿論、彼の葬式に行きました。


大勢の悲しむ人々の中で、私の目は無意識に、彼女を探していました。


妻の姿を。


しかし、そこで彼女を見つけることはありませんでした。



それから、数ヶ月後、私は地域でも有数の進学校に、入学しました。


そこで、私は妻と再会したのです。


それから...三年になり、大学に進学する時、彼女から言われました。


同じ大学に行こうと…。


今考えると、おかしな2人でした。


同じ大学に行き、四年間、ただ彼女と過ごし.....就職という同じにはできない選択が来た時、私達は付き合うことになったのです。


どちらかから、告白したのかは、覚えていません。


多分…私に記憶がないから、彼女かもしれません。


そして、結婚。


私は、彼女と離れたくなかった。


だけど、深く…近づくことはできなかったのです。


あんなにも幸せな日々…。



だけど、私の脳裏には、あの頃の飯田との日々が、飯田としたであろう彼女の行為が、よみがえるのです。


初めて、妻とキスをした時、


初めて抱こうとした時、


私は、


私は、


私は、


私は、


妻を抱けなかった。


妻を抱けなかった。






「抱けなかったのです!」


嗚咽するように、泣き叫ぶ佐山。


「私は男として…機能しなかった」


長谷川は一言も、発することはない。






その時の…妻の顔を忘れません。


彼女は微笑み、ただ…無能な私を、抱きしめてくれました。


それから、数年経ちますが、私はずっと妻を抱けなかった。


そんな私に、文句を言わずに、ただ優しく笑顔を微笑む妻が、愛しかった。


誰よりも、愛しかった。


だけど、愛しく思う程に、飯田のことが浮かび、胸が苦しくなった。


狂いそうになった。


なぜ、私は、彼女の初めてではないのだ。


私は…狂いそうだった。


いや、狂ったのだ。






「私は…」


佐山は、自分の手のひらを見つめ、


「あの日…」


小刻みに震え出した。


「寝ている妻の背中に…包丁を突き刺した」


佐山は頭を抱え、


「私が自殺することを考えた!だけど、生きて…妻が、また誰かのものになるのが、いやだった!だから、刺した後、死ぬつもりだった!だ、だけど!」


目を見開き、


「妻を刺した瞬間…私は気づいたのです!なんてことをしたのかと!」


佐山は次の瞬間、我に返り、救急車を呼んだのだ。






「私は、妻を殺してしまった」


佐山は再び…包丁を持っていた手を見つめ、


「愛しているのに」


後悔に苛まれる佐山に向かって、やっと長谷川は口を開いた。


「佐山さん…」






病院に運ばれた妻の詩織は、 すぐに意識を取り戻した。


包丁は、急所を外れていた。


ベッドに横たわる詩織は、事情をききに来た警察に、驚くべきことを告げた。


自分で刺したと…。


警察に連行された夫は、錯乱状態であり、話を聞ける状態ではなかった。


自分で刺したと主張する詩織に、長谷川は警察から呼ばれ、会うことになった。


夫を庇っているのか。


それとも、あまりのショックで、おかしくなっているのか。


長谷川は冷静に判断する為に、呼ばれたのだ。


病室に入り、詩織の話とした長谷川は、真実を知った。







「わたしは、夫を愛しております。


もう何年も前から、口下手で照れ屋の為、直接、口には出してくれませんでしたが、わたしをとても愛してくれているのが、わかっておりました。


何よりも、大切にしてくれていることを。


だけど、わたしを、実際に愛することはできませんでした。


わたしを抱くことは、できなかったのです。


そんな女を… あの人は、それでも大切にしてくれました。


いつも笑顔で、優しく微笑んでくれました。


そんなあの人に、わたしは、微笑み返すことしかできませんでした。


能面のように、笑顔を張り付けて、わたしは…夫のそばにいたのです。


この居場所だけは、失いたくなかったからです。


わたしが自分でつけた…この傷よりも、あの人が負った傷の方がどんなに痛んでいることでしょう。


あの人に、罪はありません。


あの人に…罪なんてあるはずがないのです」






「私は…妻を傷つけることを選んでしまった」


佐山は、長谷川の言葉に気づかなかった。


「包丁を持った時…私は、どうして、自分を刺すことを選ばなかったのか!どうしてだあ!」


絶叫する佐山の腕を、長谷川は身を乗りだし、掴んだ。


「それを、選んだなら!あなたは、ただの馬鹿だった!」


長谷川は佐山の腕を握り締め、


「あなたの奥さんは、生きている!そして、自分で刺したと主張している!」


「え」


「今、あなたがやるべきことは…選んでしまったことを悔やむより、これからを…2人で選ぶことだ!」


長谷川は佐山の手を取り、


「あなたは…ただ今の後悔を、未来の糧にしなければいけないんだ!」







長谷川の計らいで、病室に向かった佐山は、ベッドに横たわり、泣く詩織に駆け寄り、すがりついた。


これ程、嬉しいことはない。


佐山は、溢れる気持ちを、ただ…吐き出した。




今回の事件は、詩織が自分で刺したと主張を変えなかったが、明らかに、自分で刺すのは無理があった。


だが、刺されたことを認めない被害者に対して、これ以上は深くは追求できない。


夫は認め、反省している。


殺人罪にすることはなかった。






「フゥ…」


人生の選択…。


佐山は、最悪の結果を選んでしまったが....それが、夫婦の絆を強めることになった。



それともう1つ。


長谷川が、詩織に確認したことで、佐山に告げなかったことがあった。


中学時代。


詩織は、飯田と付き合っていなかった。


それどころか、飯田のことを覚えてなかったのだ。


多分、飯田は…成績が上がった佐山を蹴落とそうとしたのだろう。



今更、佐山に言っても仕方がない。


今の彼には、必要ない情報である。


彼は、克服したのだから。





1人寂しく、自宅に帰った長谷川は、ため息をついた。


「結婚…か」


残念ながら、彼には相手がいない。




終わり

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