ファイル17 拒否
幸せとは、かくも儚く終わるものなのだろうか。
「中村くん……」
「海藤さああん!」
引き裂かれた思い…引き裂かれた肉体。
血の海の中で、無惨な姿をさらす2人。
しかし、少年は最後の力を振り絞り、少女へと手を伸ばした。
これが…初めて少女に触れた瞬間だった。
ぎゅっと握り締めたまま…少年は息を引き取った。
そんな最後の繋がりを、無表情な白い服を着た男が、踏みつけた。
その男の全身は、返り血で真っ赤になっていたが…さほど気にはしていない様子であったと、最初に通報した目撃者は説明した。
犯人はその場から動かなかった為に、すぐに捕まった。
この通り魔事件は、すぐに解決すると思われていた。
しかし、容易には解決しなかった。
なぜならば、彼は凶器を所有してはおらず…高校生2人を殺したものは、彼らが学校で使っていた筆記用具だったからだ。
カッターナイフで、彼女の太ももを丸ごと抉れるだろうか。ボールペンは、あそこまで深く刺さるだろうか。
いろいろな疑問を犯人から問いただそうとしても、彼はこたえなかった。
「何故ならば…僕は、自分から何もしないからだ。僕は殺していない。彼らが勝手に死んだんだ」
彼はそう言うと、自嘲気味に笑った。
「先生」
「わかっています」
担当の刑事のすがるような目を見て、長谷川は力強く頷くと、ありふれた銀色のノブを掴み、中に入った。
これまたどこにでもある机とパイプ椅子が二脚。
長谷川は、机の向こうに座る男に目をやった。
全身を白で統一した服装は、清潔というよりも異常性を感じさせた。
「初めてまして、今回…あなたを担当することになりました、長谷川正流と申します」
長谷川は、男の目の前に座ると、すぐに二枚のカードを置いた。
「これから、簡単なゲームを行います。私のいうことに関して、こちらに並べられたカード。どちらを思い浮かべたか答えて、選んで頂く…ただ、それだけです」
長谷川は、男ににこっと微笑みかけた。
しかし、数分後…長谷川は舌を巻くことになる。
ゲームが進まないのだ。
「先生…」
テーブルに置かれた絵柄の違う二枚のカードを項垂れて見つめながら、男は呟くように言った。
「僕は、何も選ばない。選ぶ意志がない。だけど…勝手に、何かが僕を選ぶんですよ」
男はそこで顔を上げた。
「まるで、今ここにあるカードの一枚のように」
長谷川はその瞬間、にやりと笑うと思っていた。
しかし、男は無表情だった。
いや、無表情も表情なのか。
氷に表情があるならば、男の表情はそれと同じと思うだろう。
「!」
長谷川は絶句した。
今まで、選ぶことを拒否したり、無言の抵抗をする者もいた。それでも、目線で…それ以外で、無意識に何かを選んでいた。
しかし、男は違った。
そのまま、動かなくなる2人を部屋の窓から見ていた刑事が、中に入ってきた。
「先生?」
「わかっています」
長谷川は立ち上がった。
「少し水を下さい。彼にも」
「え!」
刑事は目を見開き、男と長谷川を交互に見、
「し、しかし、この男は!何か飲むかときいても、答えませんよ」
最後に男を睨んだ。
「出したら飲みますよ。この男は、自ら選ばないだけです」
長谷川の言葉通り、男は出された水を飲んだ。
男の名は、白水莫大。
数年前までは引きこもりだったが、ふらりと家を出て、今日まで行方不明であった。
しかし、家からは捜索願いは出ていなかった。
(くそ!)
長谷川は水を飲みながら、白水に関して考えていた。
(あいつは、人がナイフを渡し、刺せと言ったら、刺すだろう。しかし、あの少女と少年の無惨な遺体を見たら、違うはずだ!なのに、引き出せない!)
軽く苛立ってしまった長谷川は、カードではなく…直接、犯行に使われた筆記用具と同じものを渡そうかと思い、担当の刑事に頼む為に口を開きかけた瞬間、先に声をかけられた。
「先生。申し訳ございません。先生のことを信用していない訳ではないのですが、もう1人別の先生をお呼びしておりまして…」
申し訳なさそうに言う刑事を見て、長谷川は笑顔を向けた。
「わかりました」
そして、長谷川は素直に頷いた。なぜなら、考える時間が欲しかったからだ。
数分後、別の医者が到着した。2人の助手を引き連れて。
白髭をたくわえた医者を先頭に、後ろを歩く若い医師は男と女の2人だった。
白髭の医者は、長谷川を見ることなくすれ違い、部屋に入っていく。
2人の助手は、長谷川に頭を下げた。
長谷川も頭を下げた。
その次の瞬間、長谷川は激しい眠気に襲われた。
「場所を変えるぞ。正流」
長谷川の耳に聞き覚えのある声が響いた。
「な!」
長谷川は、絶句した。
「お、お前は!」
顔は違うが、忘れることのできない声。
「正流。お前は真面目過ぎる」
「い、幾多!」
「こいつは、小賢しいだけだ。選ぶのも、選ばないのも自由にできる。すべて、自分の意思だ。何も選ばないやつが、全身白を選ぶか?」
助手の男は、笑った。
どこからか発生したガスにより、長谷川や刑事達が眠りについた数分後、三人は白水を連れて忽然と姿を消した。
「やあ〜」
ガスを吸い、流石に眠りについた白水の前に、幾多が座っていた。
シチュエーションは、長谷川と同じ。
しかし、置かれていたものが違った。
カッターナイフとボールペンだ。
「さあ〜質問だ」
幾多は笑い、
「どれを俺が選ぶと思う?君を殺すのにな」
男を見つめた。
「僕は…何も…選ばない…!?」
目覚めた白水はいつも通り俯き、無表情で答えようとした。
その瞬間、白水のうなじにカッターナイフが突き刺さり…そして、ボールペンは目玉に当てられた。
「俺はマニアではない。お前の心情も、生まれ育った環境も!演技も必要ない!」
幾多はそう言ってから、自分を責めた。
(感情的になるな!こんなピエロに)
心が注意した。
(だがな!)
幾多の脳裏に、カフェでともに過ごした少年の顔が浮かぶ。
「ごめんなさい…」
白水が初めて、謝った。
その言葉に、幾多は冷静さを取り戻した。
ボールペンを突き刺すのを止め、白水から離れると、幾多は部屋から出た。
「幾多様」
今までのことを見守っていた女に、幾多は口元に笑みを浮かべながら、命令した。
「あいつを呼べ」
「い、幾多様?」
驚く女に、幾多は目もくれずに部屋から出た。
すると、目の前にロン毛の男が立っていた。
「やっぱり、あんたは最高の料理人だ」
ロン毛の男は、幾多とすれ違いに部屋に入った。
「頂きます!」
そして、ロン毛の男は合掌した。
ロン毛の男の名は、藤崎正人。
彼は、偏食者だ。
「い、幾多様…」
これから起こる出来事を思い、女はハンカチを口に押さえ、軽く嗚咽した。
「やつは、自ら何も選択しないと言った。そんなやつは、人間ではない。人間とは常に、悩み選択する存在だ」
幾多は壁を、叩いた。
「何も選ばないやつは、人間ではない!」
「い、幾多様」
叩いた姿で固まる幾多を見て、女は何も言えなくなった。
「すまない」
幾多の脳裏に、一緒にカフェで過ごした少年の姿が再びよみがえる。
「俺は、甘すぎた」
幾多はもっと強くなることを誓った。
次回。
偏食者に続く。