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二択  作者: 牧村エイリ
16/24

ファイル15 同じもので違うもの

秋から冬にかけて降る…通り雨を時雨という。


日本人は、風流を好む為か…季節ごとの雨に、名前をつけやがる。


五月雨とかさ…。


春夏秋冬。


移り変わる季節が、人々の心に変化を与え、飽きさせない。


そうだろうか。


季節なんて…なくてもいい。


季節があるから…変化があるから、思い出す。


ただ過ぎ去るだけなら、どんなに楽だろうか。




何度目かの…突然の時雨に濡らされて…俺はふと足を止めた。


この季節だったな。


人はあまりにも悲しいことは、忘れるらしい。


だけど、悔しさはどうなんだ。


後悔という悲しさは…。


激しい雨と乾いた音…薄暗い部屋と、確かだった鼓動の温もりとともに…俺は思い出す。


時雨の季節。



「お客さん…飲み過ぎですよ」


降り始めた雨から、逃げるようにして入ったバー。


薄暗い店内に、音数が少ないジャズが流れている。


テレビはついているが、音は流れていなかった。


(ああ…そっくりだ)


カウンターに頬をくっ付けて、目の前にあるグラスを見つめた。


透き通ってるくせに、ちゃんと味がある…ジンってやつに、俺は笑った。


顔を上げ、ロンググラスの中身を飲み干すと、俺はカウンターの向こうのマスターに、空のグラスを突き出した。


「お代わりを…」


にやっと愛想笑いを浮かべる俺に、マスターはため息をつき、


「大丈夫なんですか?」


腕を伸ばして、やっと届くカウンターの広さに、俺は思った。


(カウンターのように…壁があったのか?あんなに近かったのに)


俺は、マスターを見つめ、


「ああ…大丈夫」


マスターは、俺からグラスを受け取ると、


「ロックはやめて…トニックにしますか?」


「余計なものは、入れなくていい」


マスターの提案を、俺は断った。


余計なものは、いれなくていい。


余計なものは…。


強烈な痛みすら感じるジンの味を、舌が感じるたびに、俺は強烈に思い出す。


痛みとは裏腹に、瞳に涙が滲んでくる。


俺は、コースターの上に、グラスを置くと、カウンターの向こうにいるマスターに言った。


「かけてよ…。いつもの…」


マスターは頷き、カウンターの端に置いてあるレコードプレーヤーに、古びたレコードをのせ…針を落とした。


俺はそっと…目を閉じた。


閉じた反動で、少し涙が溢れ出た。


マスターは、プレーヤーのそばに、レコードジャケットを立て掛けた。


ジェリー・マリガン【ナイト・ライツ】


「この音だ…」


(同じ音を流す……違うもの)


俺は、ジャケットを見ながら、過去に沈んだ。


そう…もう過去だ。


しかし、その過去を現在に戻すニュースが流れていたが、俺は気付かなかった。






激しく俺は、唇を押しつけた。


俺の下にいる愛しい女に…。


女は高揚しながらも、優しく微笑み…俺のすべてを受けとめてくれていた。


そう受けとめてくれては…いた。


初めての女…。初めて、好きになった人。


出会いは、覚えていない。


俺の記憶は、あの頃いつもにいた…小さなアパートの一室しかない。


日当たりの悪い…薄暗い六畳の部屋に、彼女だけ。


そして、部屋の片隅にあるレコードプレーヤーと…いつもかかっている…同じアルバム。


ジェリー・マリガンのナイト・ライツの音だけだ。


それ以外は覚えていない…。


いや、覚えている。


最初の頃の夢中さから、どんなに抱き締めても一つになれない切なさを、たった1人の女の上で、感じ始めた頃…俺は、いつも思い出していた。





「これ…ください」


アルバイトしていた中古レコード屋に数日前から、1人の女が通っていた。


店長の性格もあり…レコードは、うちの店は、ジャンル別など整理されているわけでなく、何かほしいものがあっても、見つけることがなかなかできなかった。


店長いわく、レコードなんて買う奴がいなくなったから、どうでもいいと…。


店内の半分以上を占領しているレコードより、入り口近くに、丁寧に陳列されているCDが、メインだったからだ。さらに、配信なんて敵も外にいた。


そんな時代遅れになりかけた店に、女は何日も通い、一枚一枚レコードを物色していた。


数日後、やっと見つけたのか…笑顔で、レジにいた俺の前に持ってきたのが、ジェリー・マリガンのナイト・ライツだった。






「CDでもあるけど…レコードがいいの」


部屋で、抱き疲れて仰向けになっている俺の横で、膝を抱えながら、煙草に火をつけた彼女は、そう呟くように言った。


吐き出した煙を見つめながら、薄い布団の上で、彼女は言った。


「前に持ってたのは…もう擦り切れて、聴けなくなったから…」


俺は質問ついでに、もう一つに訊いた。


どうして…うちの店で探していたのかと。


他にレコード屋はあるし、別にレアなものでもないし…。


彼女は笑いながら、


「このアルバムを置いてった人が、あそこで買ったのよ。だから…」


彼女は苦笑した。


中古なんて、そこで買ったから…またあるなんてものじゃない。


俺が驚きながら、そう言うと……、


彼女はまた苦笑した。


「なければ…なくてよかったの…。あっても、なくても」


そう言うと、彼女は煙草を灰皿に置き、


隣で寝ている俺の唇に、倒れ込みながら、キスをした。


そして、俺を逆に抱いた。






「ねえ〜ちいちゃん。×××のベスト、中古で入った」


教室の片隅で、佇んでいると、同級生の歩美が話し掛けてきた。


俺はそっぽを向きながら、こたえた。


「そんな新しいやつが、うちみたいなカビ臭い店に、入荷するかよ」


俺は、馴れ馴れしい歩美が、苦手だった。 


「そうなんだ…」


いきなり、シュンとなる歩美に、少し戸惑ったけど、俺は何も言わなかった。


歩美はため息をつき、


「あ〜あ。安く買えると思ったのに〜」


俺は、次の授業を告げるチャイムを聞きながら、


「世の中…そんなに甘くないってこと」 


歩美に言うと、自分のいつもの席に戻っていく。


ふと…いつもと変わらない自分の机に目がいった。


いつもと変わらない…いつもと同じ…場所にある机。


彼女を思い出した。


いつも…同じ部屋にいる彼女。




だから、俺は言った。


薄暗い部屋で、蹲る彼女に外へ出ようと。


「どこか、買い物でも行こうよ」


俺の言葉に、彼女はターンテーブルの上で回るレコードを見つめながら、首を横に振った。


「……ほしいもので、買えるものは、手に入ったし……」


そう言うと、彼女は俺の方を向いて、にっと歯を見せ、思い切りの笑顔を作った後、少し俯き、こう言った。


「抱いてよ…」


いつものように…。





何日か過ぎ……家にあった買い溜めがなくなったという理由で、彼女が部屋を出ていった。


いつも薄暗い部屋の布団の上にいるだけの俺は、何気なく…本当に何気なく、部屋の電気をつけた。


俺は…息ができなくなった。


壁一面に貼られた写真。


それは、男の写真だった。


男がいただろうことは…何となくわかっていた。


敢えて、きかなかった。


いや、きけなかったのだろう。


俺は明かりを消そうと、天井からぶら下がる紐に、手を伸ばした。


だけど、震えた手がなかなか…紐を掴めない。


あたふたしていると、後ろから彼女の声がした。


「別に…隠していたわけじゃないから…」


彼女は、買い物袋を置くと、中身を出しながら、


「やきもち焼きだったのよ。もし…この部屋に、男が来ても、変な気を起こさないように」


少し苛立つように言った。


確かに、写真の数が半端ではない。


この部屋で、どうこうしょうとは、思わないだろう。


(…だけど、俺は…この部屋で何度も…)


唖然としてる俺を見て、彼女はこう言った。


「あたしのこと嫌いになった?いつまでも、未練がましく、死んだ男の写真を、ずっと貼ってる女なんか…」


「死んだ?」


「言ってなかったけ?」


驚き、思わず彼女の顔を見た俺を、意外そうに見る彼女がいた。


彼女は頭をかくと、布団の上に座り、


「半年前よ」


胡坐をかき、頬杖をした。そして、ジェリー・マリガンのレコードを見つめながら、


「病気だったの。だから、死ぬ数ヶ月前は、この部屋にずっといてね。働けないから…ここで、あたしの料理をつくり、あたしの帰りを待ち…あたしの為に、洗濯しを……」


彼女の瞳に、涙が溢れだす。


「そして…あたしの名前を呼びながら、死んでいったわ。奥さんがいたのにね」


彼女は笑った。


「別居中か何かでね。だから、あたしが最後を看取ったし、あたしが病院代も、葬式代も出したけど…。あの人は、結局……お骨になってから、奥さんとこに戻った…」


彼女は笑い続け、


「向こうにとっちゃ…あたしなんて、ただの泥棒猫。あたしに残ったのは、写真と…レコード一枚。それも、擦り切れて…」


彼女は、ターンテーブルの上から、レコードを手に取り、


「今あるのは、別のもの…」


俺も、レコードを見た。


「同じ音を奏でる…別のもの」


自嘲気味に笑う彼女に、俺はかける言葉を、失った。


目の前が、真っ黒になり……彼女を見ていたが、見れていなかった。


意識はあり、考えているんだろが…頭が働いていない。


「千明ちゃん…」


女のような俺の名前を呼んだ彼女の声に、俺は現実に戻った。


「大好きだよ」


もう彼女の目に、涙はなく…まっすぐに、俺を見ていた。


なのに、俺は何も言えない。


「ずっと……この部屋から、動けなくなっていたあたしを…外に出れるようにしてくれたのは…千明ちゃんだよ」


彼女は立ち上がり、俺の首に両手を回すと引き寄せ、耳元で囁いた。


「今は…誰よりも、大好きだよ。これだけは、ほんと…だよ」


彼女は、近付けた顔を離し、


「でも、まだ…あの人を、嫌いには、なってないの」


彼女は、俺から離れ、


「まだ…忘れてもいないの……」


彼女は俯いた後、すぐに顔を上げ、微笑んだ。


「ずるいよね」


彼女の何とも言えない…悲しい表情に、俺は叫んだ。


「お、俺も!ご飯つくるし、俺も!お前の為に!生きるから…」


「だめだよ…」


彼女は笑い、


「それじゃ…千明ちゃんじゃなくなるよ」


首を横に振った。


その言葉に、俺は彼女に近寄り、思い切り抱き締めた。


彼女は目を瞑り、俺の背中を抱き、


「………あたし、明日からアルバイトするね。知り合いの居酒屋が、人手が足りないって…」



その日。 


俺は初めて…彼女を抱けなかった。


どんなに抱き締めても、俺はたたなかったのだ。





それから、数日。


ほんの数日。


学校やバイトが忙しくって、彼女に会えなかった。


抱けなかったことも気になって、俺はその日、堪らずにバイトを早出して、彼女の家に向かった。


そして、俺は信じられない光景を目にしたのだ。 


彼女の家から、一人の男が出てくるのと、遭遇してしまったのだ。


男は、彼女と楽しそうに話をしながら出てきて、俺を見て、こう言った。


「弟さん?」


「え、ええ…」


少し引きつりながらも、笑顔でこたえた彼女の言葉より、俺は信じられないものを見て、唖然とした。


男を見送った後、俺と彼女は部屋に入った。


そして、彼女は口を開いた。


「……わかったでしょ?あたしと千明ちゃんは、恋人には、見えないのよ。あたしと千明ちゃんは…釣り合っていないのよ。千明ちゃんは…もっと、あたしなんかより、若い女の子と…」


「あれ……誰だよ。今の男」


「………バイト先のお客さんで」


「どうしてだよ…」


「仲良く……なったの」


彼女は、僕から顔を背けた。


「そ、そっくりじゃないか!死んだ彼氏と!」


電気がついていた部屋には、昔の彼氏の写真が一枚も、なくなっていた。


「外したんだ………」


俺といるときは、外さなかったのに。


「千明ちゃん…」


「やったのか」


俺は怒りで、頭がおかしくなった。彼女を睨み、


「やったのか!あいつと!死んだ彼氏に似てるって、だけで!」


自分に激しく詰め寄る俺を見て…彼女は、悲しげに俺を見つめた後、俯き……そして、言った。


「やったわ」


彼女は唇を噛み締めた後、顔を上げ、真剣な表情で俺を見た。


「ど、どうして……」


俺の声が震えた。


「簡単なことよ」


彼女は笑った。


「千明ちゃんより、好きだから…抱かれただけ。淋しかったから…千明ちゃんに抱かれただけ……」


やがて、笑いは苦笑に変わり、


「それだけよ。あたしが、千明ちゃんといた…本当の理由は」





あれから……俺はどうしたのか……覚えていない。


いや、覚えている。


彼女を押し倒し…無理矢理抱いたのだ。


彼女はずっと、無表情だったが…俺が一度果てた後、じっと俺を見つめた。


そしてすぐに、今度は彼女から迫り…今までで一番激しく、俺を抱いてくれた。


俺は、そんな彼女を初めて知った。




その後…彼女と、会ってはいない。


その日…いきなり、降りだした激しい雨にうたれながら、俺はとぼとぼと家に帰った。


途中、歩美と会い…びしょ濡れの俺に驚き、傘に入れてくれた。


小さな傘であり、風も強かったこともあり、部活帰りの歩美のブラウスが、雨で透けているのに、気付いた。


(男って…ふられた直後でも…目がいくんだな…)


自分に笑ってしまった。







レコードが終わった。


マスターは、違うCDをかけた。


店内に、R&Bが流れると、俺は店を出た。


「うん?」


すると、まだ雨が降っていた。


傘を持っていなかったが、普通に歩きだそうとする俺の前に、誰かが立った。


「はい」


傘を差し出す歩美に、俺は驚きの顔を向けた。


「また…この店だと思って…」


歩美から傘を受け取り、歩きだす俺。


「そんなに好きなら、家で聴けばいいのに。CD持ってるでしょ」


そんな様子を見て呆れた歩美の質問に、俺は笑い、


「音が違う…レコードと。それにあの音は、薄暗いところが…似合っている」


「ふ〜ん」


それ以上、歩美は訊かない。


俺は、普通の幸せを…手に入れた。


普通に好きな女と結婚することを選択したのだ。


この季節……。


だけど、雨が降る日は…俺の心が、疼いた。




彼女が住んでいたアパート。数年後…大学生になってから、偶然前を通った。


忘れようとしていたが、近くに来ると足が覚えていた。


しかし、アパートはうち壊されており、飲食ビルが建っていた。


その一階のバーで、偶然流れていたジェリー・マリガン。


俺は、あの部屋に貼ってあった…幸せそうな写真を思い出した。


そして、悔しさでいっぱいになった。


(俺はなぜ…彼女と一緒にいれなかったんだ)


雨は、あの時の彼女の涙。


未だに、心濡らす涙。


忘れられない雨ともに流れ落ちても、まだ思い出す。





「先生」


「はい」


長谷川は、鑑識から渡された報告書を目に通しながら、現場を検証していた。


静かな住宅街のアパートの一室で起こった強盗殺人事件は、その猟奇的な内容の為、長谷川が呼ばれたのだ。


「どうですか?怨みなどの」


「その線は、薄いですね…。うん?」


長谷川はほとんど家具もなく、生活感のない部屋の中で、あるものを発見した。


それは、二枚のレコード。テーブルの上に置かれていた。


「あっ!それですか。殺された被害者が襲われた時、ずっと握り締めて離さなかったものですよ。息を引き取っても。ぼろぼろの方は棚の上にあったのですけど。価値があるものかと調べましたが、普通のレコードでしたよ」


「ナイト・ライツ」


長谷川は、ビニールに包まれたレコードを手に取った。


(大切な思い出だったのだろうか?)


しばし見つめた後、慎重にテーブルの上に置いた。





「そういえば、知ってる?つい数時間前、少し向こうで、殺人事件があったそうよ。物騒だよね。まあ~今はあなたがいるから平気だけど」


歩美の言葉に、俺は彼女の手を握った。


「気をつけろよ」


「ありがとう」


歩美は、俺に笑顔を向けた。


(こいつで、よかったんだよ)


たとえ何度思い出しても、過去は過去だ。


過去の思い出を選択したところで、未来につながらない。


「今度、新しいCDを買いにいこうか?音がよくなったらしいんだ…。あの頃より」


俺は歩美に微笑んだ。


もうすぐ、雨が止みそうだ。


End。




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