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二択  作者: 牧村エイリ
15/24

ファイル14 矛盾

「俺は…あいつを誰よりも愛していたのに!」


取調室で頭を抱え号泣する男を、長谷川正流は伊達眼鏡の奥で見下ろしながら、ため息をついた。


(矛盾か…)


長谷川は、目の前に座る男から、視線を天井に向けると、席を立った。


男の名は、西條博人。


そして、妻の名は…西條博子。


一文字違いの夫婦であった。


近所の方の話では、とても中の良い夫婦ということであった。


しかし、妻の博子は死んだ。


狭いアパートの一室で、夫婦が長年一緒に寝ていた…寝室で…彼女は自殺した。


いや、その前に…彼女は、殺人を犯していた。


自殺する数時間前に。






平凡な女であると博子は、自覚していた。 人々が羨むような美貌もなければ、学歴も家系も平凡であった。


だからこそ、身なりは綺麗し、慎み深く生きようと思っていた。


ふと街中を歩いていると、名前は知らないが、白く細い鳥が水面に立っていた。


珍しい鳥でないが、そこには凛とした美しさがあった。他の野鳥のように滅多に鳴かない。その静けさに、博子は心を打たれた。


私にも、あのような美しさがほしい。




数年後、博子は夫となる博人に出会う。


決して二枚目ではないが、誠実さと優しさに、博子は惹かれ、結婚した。


子宝には恵まれなかったが、博子は幸せであった。


そんな日々がいきなり、終わりを告げた。


原因は、博人の浮気であった。


浮気相手の松村絢音は、博子とは全く正反対のよく話す女だった。


慎み深さと美しさと感じた博子と違い、絢音は華やかさこそが女であると思っていた。




「博人さん」


最近は決まって遅い日が多い博人に、博子は訊いた。


「今日も遅くなりますか?」


「あ、ああ…」


博人は鏡の前で、ネクタイを絞めていた。 そばに来た博子の方を見ずに、答えた。


「そうですか…」


博子は少しだけ俯くと、博人から離れようと一歩歩きかけて、足を止めた。


「でしたら、明日は」


「明日も無理だ」


きっぱりと言い放った博人に、何故か博子はもう一言だけきいた。


「来年は…」


「来年のことなんか、わからないよ」


博人はそう言うと、鏡の前から離れ、鞄を手に取り、仕事へと向かった。






「それが、奥さんと交わした最後の会話ですね」


長谷川は席から離れると、灰色の壁を見つめた。


「は、はい」


博人は頭を抱えながら、声を震わせ、


「で、でも、ど、どうして、そんなことをきいてきたのか…」


手で顔を覆った。


「わからない…」


その言葉を聞いた瞬間、長谷川は振り返った。


「それは、わかっているでしょ?世界中の誰よりも!そして、奥さんが知らないと思っていましたか?」


「え」


顔を上げた博人に、長谷川は体を向け、じっと彼の目を数秒見つめてから、言葉を告げた。


「あなたの誕生日でしたね」


「!」


長谷川の言葉に、博人は絶句した。






博人が会社を出た後、博子は行動を起こした。


絢音の家は知っていた。 もう随分前からだ。 彼女の出社時間も…そして、携帯番号も。


不思議と殺意はなかった。


いや、あったのだろう。あったからこそ、殺したのだ。


家の前で、呼び出された絢音も、ドアを開けた瞬間頭を下げ、部屋に上げても正座し、丁寧な口調で話す博子に拍子抜けになった。


男をとられたと怒鳴り込んで来た女もいた。


頭を下げる博子に、絢音は女として負けを認めていると思った。あとは、旦那と別れてくれと頼み込むだけ。


容姿も自分が勝っている。


そう判断した絢音は、こう告げてやろうと思っていた。


(あんたの旦那とは、遊び)


言おうとした次の瞬間、絢音は刺されていた。


罰に言葉はいらない。


絢音の胸に刺さったナイフを見つめながら、博子は一礼をしてから、外に出た。


不思議と一度刺しただけで満足であった。


とどめを刺すつもりにはならなかった。


絢音の家から帰る途中、あの白い鳥を無意識に探したが、見つけることはできなかった。


「ふう〜」


なぜかが体の底から、息が溢れた。


(わたしも、鳴かない)


自分の心を確認した後、博子は家に戻ると、寝室で自らの首を切り、自殺した。


その姿を鑑識から渡された写真で確認した長谷川は、美しさに息を飲んだ。


白い着物を着て、赤い血潮の中で、彼女は勝ち誇ったように口元に笑みをたたえ、死んでいた。




博子は遺書を残さずに死んだ。


刺された絢音も、一命をとりとめた。 傷は思った程深くなかったのだ。



この事件は、旦那の浮気を知り、その相手を刺し、自らも自殺した…恨みからの犯行と処理された。



(違う)


長谷川は写真を見つめながら、確信していた。


「俺でしたら、旦那にも復讐しますよ。ほら、よく言うじゃないか。女は浮気されたら、男より女を憎むと」


写真を見せてくれた鑑識の男の言葉に、長谷川は軽く首を振った。


「それは、違うよ」


長谷川は、写真を返すと、歩き出した。


(事件の形としては、それで間違っていない。しかし…)


長谷川の脳裏に、亡くなった妹…知佳子の言葉がよみがえる。


数年前、居間で一緒にテレビを見ていた時のことだ。


結婚間際の彼氏を、同僚の女に寝取られた彼女の話。


彼女は、女に復讐を果たすが…自分を捨てた男を責めたりしなかった。


「どう見ても、一番悪いのは、男だろ?」


見終わった後、そう感想を告げた長谷川に、知佳子は言った。


「男と女では、感じた方が違うの。こういう場合、女は一番最初プライドを汚されたと思う。同じ女にはね」


知佳子は、リモコンでチャンネルを変えた。


「だけど…男を、許してる訳じゃないわ」


そう言った後、お笑い番組にすぐにはまり、笑い出した。






「プライドか」


長谷川は、取調室で事情聴取を受けている博人に目をやった。


ずっと震えている男。


この男は、今まで通り暮らしていけるのだろうか。


世間から少しの責めは受けるだろう。


(しかし…)


長谷川は目を閉じた。瞼の裏には、博子の笑みが残っていた。


愛情よりも、プライドを選択した彼女。



(男は何を選んだんだ?体か…それとも)


長谷川は、外に控えていた警察に頭を下げると、部屋から出た。


わかっている事実以上のことは何もない。


ただ…感じ方が違うだけ。


(破滅か)



長谷川は目を開け、少し早足で何もない廊下を歩き出した。





終わり。

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