番外編 自由
数十年前まで、世界は自由ではなかった。
いや、真の意味では数年前まで、自由ではなかったかもしれない。
インターネット。
それが、新しい自由を民衆に与えた。
しかし、その為に浮かび上がったのは、さらなる不自由であった。
雑居ビル内にある…とあるバー。
そこに、与党の政治家が飲みに来ていた。
その店は、政治家になる前からの行き付けの店であった。
だからこそ、政治家とそうでないときの裏表を周囲に見せていた。
「何かしてくれとか、いろんな式に電報をくれと頼まれるだけどさ。その度に言われるのは、次も投票しますといいやがるんだよ」
政治家は、手に持っていたグラスをカウンターに置き、
「そんなこと当たり前だろが!いちいち言うことか!」
突然、怒り出した。
時々、テレビに出ているが、その時は満面の笑みを浮かべる彼が、身分で差別する人間とは知られていない。
地元の名家の出身である彼が、どう選挙を勝ち抜いて来たのか、想像はできるであろう。そして、結婚した相手への条件。
まあ…それは、個人的である。
ただ言いたいことは、自分達の未来は、彼らに委ねられているのだ。
そんなことを考えながら、政治家とは少し離れた場所で飲んでいる男は、政治を憂いながらも、少し羨ましく思っていた。
「…マスター。ご馳走」
男のそばに座っていた幾多は、席を立った。
「かしこまりました」
スゥと値段を書いた紙が、来た。
「…」
幾多の隣にいた女は、無言で席を立った。
「こちらを」
会計が終わった幾多に、マスターは名刺を渡そうとしたが、やんわりと断った。
「幾多様」
店を出た瞬間、女が前を歩く幾多にきいた。
「帰られるのですか?」
その言葉に、幾多は軽く肩をすくめ、
「そうさ。だって、意味がないだろ?」
ゆっくりと振り返った。
「政治家ってのは、あんなものさ。そして、そんな政治家を選んだのは、国民…いや、普通の国民ではないか。無関心な国民を利用して、自らのエゴを通してきた支援者達だ。そんなやつらは、殺したいが…政治家を殺しても、社会は変わらないよ。また同じような政治家が、顔を変えて就任するだけさ」
少しため息をつくと、幾多は前を向いた。
「政治家を変えても仕方がないと?」
驚く女に、幾多は話し出した。
「いろんな思想や宗教が、絡む政治の世界。彼らが組織で、投票する。それで、政治は決まる。国民の義務である税金も、社会そのものも!だけど、民衆はそれでもいいと言うように、選挙に行かない。そのことが、どれほどやつらにつけこまれているかを知らない」
幾多は、フッと笑い、
「多くの人間は、本当の自由とは何かを知らない。今が、どれ程恵まれた時代かということをね。。政治に無関心でも、ある程度不自由なく生活できる」
雑居ビルから出ると、人々で溢れた町並みを見つめた。
「自由とは、知識や情報を得れることだ。その為には最低でも、学校で理解力を学ぶ必要がある。しかし、多くのガキがそれを放棄、放棄することが自由と思っている。いや、違う!自ら無知になってどうする?自ら、奴隷に戻ってどうする。逆に、受験という偏った知識を得るものは、社会の支配階層に入れるが…彼らも、真の意味で自由は知らない。この国自体が、自由を知らないのさ。なぜならば、民衆が自らの手で勝ち取ったことがないからさ。その癖、生まれながら当然の権利と思っている」
幾多はため息をつくと、人波を避けるように歩き出した。
「この国は、国としてのあり方も、国民としての権利も、人間としての自由も放棄している。近い内に滅んだとしても、仕方がない。選択しなかったんだからな」
「い、幾多様!?」
ずっと話を聞いていた女は、繁華街を越えても、幾多が足を止めないことに気付いた。
15分くらい歩くと、国道に出た。
さらに信号を渡ると、寺があった。
人気のない寂れた寺だと思っていたが、境内の端が駐車場になっていた。
「宗教も金儲けさ」
駐車場と反対側の門から中に入り、坂道を歩くと墓地が見えた。
「幾多様!?」
驚く女に、幾多は墓地を真っ直ぐ目指しながら言った。
「夜に墓参りをしてはいけないという決まりは、ないだろ?」
墓地に入ると、すぐに幾多は目を細めた。
目的の墓の前に、誰かがいたからだ。
「!?」
夜の静まり返った墓地は、人の足音さえ響く。墓の前にいた男は、幾多達の方を見た。
「あの男は!」
女は思わず、足を止めた。
しかし、幾多は足を止めずに、男のそばまで歩いていく。
「こんなところで会うなんて、奇遇だね。正流」
墓の前にいたのは、長谷川正流だった。
「それは、こっちの台詞だ。お前がどうしてここにいる」
長谷川の鋭い目に、幾多は肩をすくめ、
「君の妹さんには、僕の妹が世話になったからね。せめて、命日くらいは来ないとね」
長谷川に微笑んだ。
「フン!」
長谷川は鼻を鳴らすと、手に持っていた花束を墓の前に置き、そのまま幾多の横を通り過ぎた。
「捕まえないのかい?」
幾多の声に、長谷川は足を止めた。
「妹の墓参りに来たやつを捕まえる気はない。それに、銃を持つ相手に丸腰では勝てない」
長谷川の言葉に、幾多は笑った。
「そんなことはないよ。正流が捕まえたいなら、捕まるよ。ただし、脱獄はするけどね」
「!」
「それに、もうすぐ玉切れなんだ。新しい銃を調達しなくちゃならないし」
幾多の言葉が冗談でないことを、長谷川は知っていた。
「お前は!どこまで、罪を犯すんだ!」
長谷川は振り向き、幾多を睨んだ。
「下らない人間がいるかぎり」
幾多は声をあらげることなく、普通のトーンで当然とばかりに言った。
「お、お前は!何人もの人を殺しているんだ!これ以上、殺人を犯して何をする!まさか、戦争支持者のように、1人を殺したら犯罪者。数万人を殺したら英雄になるとでも言いたいのか!」
「英雄になんて、なりたくもない」
幾多は、顔をしかめ、
「俺はただ、美しい人間が健やかに生きていける世界を望むだけだ。君の妹のような人が、殺されない世界を望んでいる」
視線を長谷川の妹の墓に向けると、悲しげな表情に変わった。
「だから、人を殺すのか!簡単に、命を奪うのか!法に委ねて、裁きを受けるべきだ」
「その法を執行する者が、まともだったらな。まあ…それは論点がずれるな」
幾多は、真っ直ぐに長谷川の目を見つめ、
「俺は、命が平等とは思っていない。人の為、何かの為に生きる命と、他から搾取するやつの命が平等であるはずがない。人は同じではないんだ」
「そんなことはわかっている!」
長谷川は、苛立ちを露にした。
「正流」
幾多は、長谷川を指差し、
「お前は、カードで心の闇を暴き、罪を償うように持っていく。俺は、闇を持つ人間を排除する。償う時間など、数秒でいい。そして、数秒後に、死ぬことが本当の償いになる」
強い口調で言った。
元々、2人の主張は合わない。
それは、長谷川もわかっていた。
だから、長谷川は背を向けた。
「それでも、俺は…俺のやり方を貫く。今は、過去の犯罪者の心理を暴くことしかできないが…彼らがそこで、己の罪を認め、なぜ…罪を犯したのか考えることで、次の過ちは自ら回避できるはず」
長谷川は目を瞑り、
「次は、光が射す方を選べるはずだ」
自分に言い聞かせるように言った後、再び目を開け、歩き出した。
「正流」
「何だ!」
幾多の声に、長谷川は苛立ちながら、足を止めた。
「お前と話しても…」
「どうして、こんな時間に墓参りなんだ?」
想像もしていなかった幾多の質問に一瞬、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった長谷川は、一呼吸置いてから声をあらげた。
「仕方がないだろ!仕事が長引いたんだ!それに、夜に墓参りをしてはいけないという決まりがあるのか!」
その言葉を聞いて、幾多はクスッと笑った。
「ないよ」
「くそが!」
長谷川は前を向くと、歩き出した。
「正流!」
また幾多が名を呼んだが、今度は振り返らなかった。
だけど、気にせずに、幾多は言葉を続けた。
「俺は、光を求めない。光を潰す闇を探し、そいつらを潰す。だから…」
最後の言葉を、幾多は言わなかった。
長谷川が墓地を出たからではなく、言いたくなかったからだ。
(だから…俺を殺せ。止めたければ、お前の手でな)
心の中で続けてから、幾多は自嘲気味に笑った。
(今のは?)
出入口ですれ違った女を、幾多はどこかで見たような気がした。
(確か…高校の)
思いだそうとしていると、携帯が鳴った。
慌てて境内から出ると、車の音に紛れながら、電話に出た。
「何ですって、インターネットの掲示板で政治家の殺人予告?」
長谷川は、眉を寄せた。
ここからそう遠く離れていないバーに、ある政治家がいるらしいが、そのことを呟いた者がいた。
彼は店内で、少し酔いが回り、本音を言い出した政治家の言葉をきき、殺意が沸き起こったらしい。
即座に、警察に情報は知らされていた。
「まったく何でもかんでも、呟くなよ」
もし彼が、精神的なことを言い出した時に、長谷川に診て貰う為に、スケジュールを開けておいてほしいとの電話であった。
「まあ〜今の政治じゃ、そう言いたくなる気持ちもわかるが…」
長谷川は、自宅に帰ることを諦め、事務所で待機することにした。
「幾多様」
墓参りを終え、墓地から出てきた幾多に、女は頭を下げた。
「願わくは、彼女や俺の妹のような犠牲者を出したくはない。しかし、世界は広い」
幾多は、高台になっている墓地から繁華街を見つめ、
「仲間がいるかな?それとも、俺の目的に同調する者を呼び覚まし、自発的に行動を起こさすべきか」
考え込んでしまった自分に、にやりと笑った。
「やはり、人生は選択ばかりだな」
そう言うと、坂を下り出した。
「ただ…無知にはならないよ。やはり、知らせていこう。どれ程、美しくないかをね」
幾多の目に、迷いはない。
「かつて、ジャズの帝王と言われたマイルスディビスは、知識を得ることは自由と言い、学べる場所があるのに学ばない仲間に、なぜだと問いかけた。なぜ、進んで奴隷に戻ると!その発言の背景には、アメリカでの黒人の歴史がある。しかし、日本人だって知るべきだ」
「…」
女は、幾多の横を歩く。
「真実を!教科書でさえ、歪んでいるのに、テレビの報道さえも!自由を破棄してきた為に、日本人はある種の無知という奴隷になっている。近隣諸国が主張することの真実。本当の歴史」
幾多は、境内を出た。
「知るべきだ。いや…選択権はまだ、個人にあるはずだ。どうにかなる前にな」
そして、空を見上げた。
町が明るい為に、星がほとんど見えなかった。
「美しい人々が、暮らせる国になるのだろうか」
幾多は、星に手を伸ばし、
「せめて、少しでも星が輝ける内に、そうなってほしいな。それまで、今が続けばいいがな」
フッと笑った。
「幾多様」
女の携帯が鳴った。どうやら、メールが来たようだ。
犯罪者である幾多は、携帯を持っていなかった。
メールの内容を確認すると、幾多はにやりと笑った。
「いこうか」
そして、再び繁華街に向かって歩き出した。
今の生活、知識を得れる自由。
それが、いつまで続くだろうか。
その保証はない。
なぜならば、君達が自ら勝ち取ったものではないからだ。
なくなったとしても、文句が言えようか。
君達は選択しなかったのだ。
未来を掴む為に、今こそ選ぼう。
しかし、選ばないことも自由だ。
その自由の先に、自由があるかは知らないが…。
終わり。