「スペースビリーバー」――自覚のない常識信仰者。
世の中には、常識なんだけど直接目で見て確認することが難しいことって、沢山ありますよね。例えば火山が噴火した際に流れ出る溶岩流。あれは近づくことすら容易ではない位に熱いことなんてことは常識です。
でも、私たちは溶岩は本当に熱いのかなんてことには疑問を抱かず、当たり前のように信じて生きています。時にはこう、「日本には火山が多いから温泉も多いんだよ」みたいに、溶岩が熱いことを前提とした知識を自慢げに披露したりもします。
そんな「直接目で見て確認できないこと」ですが。まあ、普通の人はそれに逆らって生きたりはしないものですよね。
……まあ、私はフラットアーサーという「地球が丸いなんて、直接目で見て確認できないことは信じない」という姿勢の人のことを、既に語ってしまったのですが。
まあ、彼らは正確には、「どう見ても地面は平らにしか見えない」のに「なぜ地球は丸いなんてことを信じるのか」という考え方の人たちです。なので、「目で見て確認できないこと」に逆らっているのとは微妙に違いますが。それでもまあ、世間一般で常識と思われていることに対して異を唱えていることには違いないと思います。
彼らの視点だと、宇宙のことを信じる人たちは、見てもいないことを信じている人たちということになると思います。そうですね、さしずめ宇宙信仰者、「スペースビリーバー」とでも言ったところでしょうか。
まあ、広大な宇宙の中に太陽系や地球があってそれぞれが周回軌道を取っているという、俗に言う地動説という考え方を信仰扱いするのは、正直微妙だと思います。私もきっと、「お前は宇宙論なんて荒唐無稽なことを信仰している」なんて言われたら良い気はしません。
……ですが、こう思うこともあります。
世の中には「宇宙信者」、スペースビリーバーと呼ばれても仕方のない人たちが、意外とたくさんいるのも事実だよね、と。
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過去に地動説を唱えたガリレオという人は、宗教裁判にかけられ有罪になりました。当時においては、「宗教的な理由で」地動説を一般に広く流布することは認められなかった、だから地動説が正しいと分かっていたのに有罪にされたと、そんな話です。まあ、有名な話ですよね。
確かに、ちょっとひどい話だと思います。自分も同じ立場なら、「それでも地球は丸いんだ」とか言いたくなるかもしれません。
まあ、そもそも彼は、「地球は丸い」ことを「新たな科学的事実として」主張なんてしていません。なのでこれは、単なる私のたわごとなのですが。
コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン。天動説がその役目を終える際に活躍した、地動説を支える数々の発見をした科学者たち。彼らはその科学的知見で、偉大な功績を残しました。そのことに異を唱えるつもりはありません。
彼らが現代の「科学主義」とでも言うべき時代の礎を築いたのは確かだと思いますし、その科学が、宗教を今の形にしたのも確かだと思います。
ですが、彼らは誰一人として、「地球は丸い」なんてことを「新事実」として主張していません。なぜなら、「地球が丸い」という知識は、その当時から既に知識人たちの間で共有され、常識になっていたのですから。
ヨーロッパ、キリスト教圏で信じられていた天動説は、「プトレマイオスの天動説」です。これは、「丸い地球の周りを、太陽を始めとした数多の星々が回っている」という理論です。地球平面説というのは、西洋においては、数百年前に否定された論でしかありませんでした。
――「中世ヨーロッパでは地球平面説が信じられていて、それをコペルニクスやガリレオが打ち破った」というイメージが、今も根強く残っています。ですが、それは誤りです。地動説が地位を得るよりも遥かに早い段階で、地球平面説は否定されています。
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中世ヨーロッパでは地球平面説が信じられていたという誤った言説は、世界中で広く親しまれました。やがて、学問の世界においては否定されるようになりましたが、民間には残り続けます。
そして多分、今でもそのような印象を抱いたまま、物事を語る人がいる人はいるのではないかと思います。
――その人たちは、地球が丸いと「盲信」していると言われても仕方がないと思います。なにせ、明らかな間違いを信じてしまっているのですから。
中世ヨーロッパにおいて、地球が平面だと信じ続けられていたなんて、そんな事実はありません。では何故、そのような風説が流布され、信じられたのでしょうか。
例えばそうですね、同じキリスト教でも、宗派の争いというのがあります。
ガリレオを裁いたのはカトリック教会ですが、そのカトリックを批判する立場にあったプロテスタントから見れば、この裁判はカトリックの愚かさを示す絶好の材料だったかもしれません。
だから、そんな彼らが「カトリックは科学的な物の見方をすることができない」と流布したのかも知れません。
また、宗教に頼らずに科学を推進するような立場の人には、この事件は宗教の愚かさを示す材料と見ることもできるでしょう。宗教というのは科学と相いれない、だから科学を研究するのに宗教に頼ってはいけないという、自分たちが有利になる主張をするのには都合の良い事件だと思います。
そういったことを考えた人が、「宗教的思想は愚かだ」と流布した可能性も十分にあります。
こうした様々な思惑によってなされた主張が結びついて、やがて「中世ヨーロッパは宗教によって暗黒の時代を過ごしてきた」という風説へと進化し広く信じられることになった、そんな可能性だって否定しきれないのです。
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ですが、こんなことを考えてしまう人は、フラットアーサーを笑う資格は無いと思います。
――だって、フラットアーサーの「地球は平面だ。みんなが『地球は丸い』と声をそろえて言うからそう思っているだけだ」という主張と、先のカトリック云々の話は、同じ構造をしていますから。
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私は、フラットアーサーを笑うことはできません。なぜなら、「いつまでも地球平面説を信じた中世ヨーロッパという名の暗黒時代」というのはデマだと思いますし、そのデマは何か思惑があって流布されたという可能性も否定するつもりもないからです。
そして、インターネットで色々と検索して、その考え方は自分だけのものではないことを確認して、自信を深めたのも事実です。
フラットアーサーと同じような考え方をして、フラットアーサーと同じように似たような主張を見つけて自信を持つ。そして、フラットアーサーと同じように常識から外れたことを主張する。彼らと同じことを、私もしているのです。
これでどうして、フラットアーサーを笑うことができるでしょうか。私にその資格が無いのは明らかです。
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まあ、それでも私は、この主張を取り下げることを考えていないのですが。確かに陰謀論めいたことが混ざっているのも事実ですが、それにしたって「中世ヨーロッパでは地球平面説が信じられていた」というのは荒唐無稽にすぎますから。
まあ、天動説と地動説、地球平面説と地球球体説がごっちゃになりやすいのは感覚的にわかりますし、そこを説明するのにカトリック云々という説は必要ないのかも知れません。
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と、ちょっと陰謀論的なことを口走ってしまいましたが。信者かどうかを分けるのは、その主張が正しいか否かではないと思います。用意された答えのままに、自分以外の何かを信じて主張すれば、その人は信者なのだと思います。
フラットアーサーもスペースビリーバーも、その出発点は違えど、同じ「信者」になってしまっていると、私は思います。
――そして、あらゆる人の心の中には、フラットアーサーとスペースビリーバーが常に同居しているのだと。ホントにね、陰謀論はほどほどにした方が良いと思います。
……なお、ガリレオの残した言葉は「それでも地球は動いてる」ですね。まあ、これはちょっと強引だったかなあなんて思いつつ。