「フラットアーサー」――常識から目を背ける人たち。
あたりまえを疑え。私がこの言葉を知ったとき、既にある程度「あたりまえ」とは何かを知っていました。それは、今にして思えば、とても幸運な事だったと思います。
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地球平面説というのをご存じでしょうか。「地球の形状が平面や円盤状である」という前提のもとに組み立てられた宇宙論のことを指す言葉だそうです。……まあ、文化圏にも拠りますが、人間が「地面が丸い」ということに気付いたのは意外と古く、紀元前には既に地球の半径を計算する人もいたりします。もっとも、なかなか気付けなかった文明もありますが。
でもまあ、今では完全に否定された論だというのは間違いないと思います。
――その、すっかり過去の物となったはずの「地球平面説」ですが。最近になって再び論じる人が増えたようだと言ったら、笑うでしょうか。
私が地球平面論者という人たちの存在を知ったのはごく最近、天動説と地動説に関する読み物を書いて公開した時のことです。
その読み物の感想で、地球平面説のことを軽く言及してくれた人がいまして。……その時は正直、まさかそんな過去の遺物となったはずの論が再び広がりを見せつつあるなんて想像してなくてですね。何かこう、高度な理論展開の結果としてそんな仮説が出てきたのかと勘違いしてたのですが。
だってほら、超弦理論とかあるじゃないですか立てば芍薬座れば牡丹。私たちの住んでる宇宙を構成するのは一次元の弦だ、みたいな超絶難解そうな理論。あれと同じような、途方もなく困難で理解するのが難しそうな理論があるのかな、なんて思ったのです。……今にして思えばばかばかしい限りですね。
ホントに、誰が言葉通りの意味で「地球が平たい」なんて論がこの現代社会で盛り上がっているなんて思いますか。ええ、今の時代に地球平面説で盛り上がるような、地球平面論者とでも言うべき人たちがいるなんて、思いもしませんでしたよ、まったく。
……でもそうですね。その存在を知ってしまえばね、「そういった人たちがいる」ことに関しては、理解できなくもないかなぁ、とも思いますが。
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確かに、普段生活していく上で、地球が丸いなんてことは、あまり実感がわかないのはわかります。ですが、地球が丸いなんてことは、普通に学校で学ぶことですよね。彼らは学校で学んだことを忘れてしまったのでしょうか。
残念ながら、そうではないと思います。彼らは、地球は丸いという「答え」をしっかりと理解しているし、「地球は丸くない」という主張はあまり受け入れられないことも十分に理解していると思います。
――その上で、彼らは「地球は平たい」と、そう主張しているのです。
だって、地球が丸いなんて、目で見て確認できないじゃないですか。飛行機で空を飛んで周りを見渡しても地平線は湾曲してないし、地平線の向こうから何かがやってくるところなんて見たこともない。それどころか、地平線の向こうに隠れて見えないはずの風景が見える事すらある。
なのにどうして「地球は丸い」なんて思うのか。皆がそう言うから、そう教えられるからそう信じているだけじゃないのか。
丸みを帯びた大地が生み出す風景を見たことのある人なんてどこにもいない。宇宙から見た地球の写真も月の上を歩く写真も、みんな誰かの嘘かもしれない。それなのに「地球は丸い」と当たり前のように信じるのはおかしいと、彼らはそう思っているのです。
地球は丸いと当たり前に理解している人から見たら、なぜ地球は平たいなんてことを本気で主張できるのか、理解できないでしょう。何かこう、怪しい宗教か何かに見えてもおかしく無いと思います。
……ですが、フラットアーサーたちは、周りの人たちにそう思われるであろうことを十分に理解しています。その上で、地球は丸くなんてないと主張しているのです。
地球は平たく、太陽も月も数多の星も、幾重にも重なった半球状の天球に張り付いているかのように動いている。そんな「見たままの世界」をどうして否定できるのか、と。
だからこそ、彼らは口をそろえて、こう言うのです。
――私たちは地球が丸いという欺瞞に気付いただけだ、と。
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自分は今まで、地球が丸いのをこの目で確認しようとした。でも、どうしても確認することができなかった。そして気がついた。私の周りに、地球が丸いことを確認した人なんて一人もいないことに。みんな、そう教えられたからそう信じているだけだと。
そんなことを考えながら生きてきた人は、やがて自分と同じようなことを考える人と出会います。
今はインターネットという便利な道具があります。いろいろな考え方の人を探し、出会うことができる、そんな時代です。だから、探しさえすれば、自分と同じような考え方の人と出会うことも容易にできると思います。
そうして、その人は自分の抱いていた疑問が、自分だけのものでないことを知り、地球は丸いなんて嘘だ、自分が見たままの世界こそが正しい世界の形だと、確信を深めていきます。
――そうして、地球平面説を信じる人、フラットアーサーは生まれる訳です。
彼らも、「地球は丸い」と教えられて育っています。そして、他の多くの人と同じように、一度は地球は丸いと信じてもいたはずです。……ただ、何かの拍子に「地球は丸い」ことをこの目で見て確認したくなってしまい、それを見ることが叶わなかっただけで。
フラットアーサーは地球が丸いことを知らないのではありません。実のところ、地球が丸いかどうかをそこまで気にしている訳でもないでしょう。ただ、教えられたことをそのまま信じたくないのです。
だから、何とかして地球が丸いことをその目で見て確認しようとした。だけどそれを見ることは叶わなかった。
――だってそうでしょう。「地球は丸かった」とガガーリンが確認したのは1961年、今からほんの数十年前のことなのですから。
それまでずっと、人類は「地球が丸い」ことをその目で見て確認することは叶いませんでした。技術を発展させて、団結し、資源と富を湯水のように使って、ようやく宇宙に行けるようになったのです。
そして今も、市井に住む「普通の人」には、丸い地球を見ることは叶わないままなのです。
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これまでずっと、私たち人類は、「地球は丸い」という事実を受け入れて、この地球上で生きてきました。だから、「地球が丸い」と信じるに足る推論は、本当にたくさんあります。
ですが、それらを全て「嘘」ということにしてしまえば、地球は丸いという事実を受け入れずに生きていくことは、実は容易なことです。
地球は丸いという常識に違を唱えるために地球平面説を引っ張り出してきたのが、フラットアーサーと呼ばれる人たちなのです。
――彼らは、実のところ、「地球は平面だ」と主張したいのではないと思います。彼らは、「地球は丸くない」と主張したいのです。そのためだけに、彼らは地球平面説を引っ張り出してきただけだと思います。
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彼らは、地球は丸いという事実を否定することで、地球が丸いということを発見した人を否定しています。
推論を重ねて宇宙に到達するにまで至った先人たちや、その知識を土台として研究開発し世の中をよりよくしようとする人たち、そしてこの先、同じように生きていくであろう人たちのことも否定しています。
彼らに欠けているのは、科学知識や一般常識ではありません。自分にとって疑わしいと思うことでも考えて受け入れる、そんな「謙虚さ」に欠けているのだと、私は思います。
……なお、ガガーリンの言った言葉は「地球は青かった」です。お間違えの無いようお願いします。