日常の終演
轟音。爆音。それらを背景に高らかな笑い声を、誰が聞いても狂っているとしか言いようのない笑い声を上げながら、一人の男が走っている。肺がはち切れんとばかりに壮絶な呼吸音をさせながら、それでも笑いながら、男は胸元に大事そうに生首を抱えて走っている。
「やっと……!やっと手に入れたぞ……!われらがッ……われらが一族の悲願を達成したぞ……!」
ひゅうひゅうぜぇぜぇと呼吸を繰り返しながら男は走る。首を抱えて、笑い声を上げながら、彼の背後では都市が――東京都が丸まるひとつ、炎に呑まれていた。
*****
『首都破壊事件から十年が経過した今日、関東地方の各地で行われた追悼式では、参加者が全員で黙祷を捧げ――』
どのチャンネルでも今日という日は同じ文言ばかりが流されている。十年前に起こった首都爆破事件。未だに主犯どころか、何一つ真実が明らかになっていない事件。唯一明らかになっているのはその爆破事件によってもたらされた結果――死者1000万人ということだけ。
「もう十年も前なんだね、首都爆破事件……。」
白米を頬いっぱいにして器用に喋る女子高校生――東海愛美は、行儀悪くも視線をモニターに向けたまま、箸を動かし喋りながら次々に皿の中身を空にしていっている。
「行儀が悪いよ、愛美。食べるか見るか、どっちかにしなさい。」
「はぁい。」
キッチンからダイニングテーブルへとエプロンを畳みながら苦笑を浮かべ、愛美の兄――東海衛が姿を現す。愛美の向かいの席へ腰を落とすと、エプロンをテーブルの端へ置き、手を合わせた。
「いただきます。」
「どうぞ召し上がれ!」
「僕が作ったんだけどね……?」
衛の挨拶に元気で的外れな返事を返しながら、愛美は食事を続けようとして、食事は置かれているものの、空席になっている席へと目を向ける。愛美の使っている茶碗よりも一回り大きなそれには、ほかほかと湯気を立てるつやつやの白米。しゃきしゃきのキャベツが添えられた豚肉の生姜焼きは、粒の粗い生姜がごくりと生唾を飲み込んでしまうような食欲をそそる香りを匂わせている。
愛美の皿の生姜焼きはすでにペロリと平らげられ、しかし白米はまだ少し残っていた。生姜焼きには白米が欠かせず、また逆も然り。じゅわりと口内に広がる唾液がこのまま生姜焼きが冷めてしまうことを懸念している。
冷めてしまっては生姜焼きに悪い――愛美はその一心で、兄が目を閉じながら生姜焼きを咀嚼していることを確認すると、そっと箸を伸ばした。
「それは俺の朝御飯だろ。勝手に食おうとしてんな。」
あと三センチで箸先が触れようとしたところで、ダイニングにやってきた愛美の双子の片割れ――東海駿が声を掛ける。ギクリと身体を強張らせた愛美は苦笑いをしてゆっくりと箸を引き戻した。
「や~……ははは。だって起きてこないから、冷めたら勿体無いしな~って……。」
「お前と違って俺は遅刻なんてしたことねぇだろうが。寝坊とかしねぇよ。」
「返す言葉もございません……。」
「まぁまぁ。早く座ってご飯食べちゃいなよ、駿。愛美も、食べ終わったら忘れ物チェックするようにね。また体操着を学校に持っていくのは勘弁だからね。」
「はぁい。」
「いただきます。」
駿がテーブルに着き、両手を合わせて挨拶をし、食事を始める。愛美も止まっていた箸を再度動かし始めた。
モニターはまた追悼式を映し出している。この時期になると当たり前になってきた追悼式は、BGMの様に耳を右から左へとすり抜けていく。1000万人の死者を出した悲惨な事件であっても、十年経てば一部の人間を除いて興味は薄れていく。
東海愛美と東海駿という双子にとっても同じことであった。
今日、この時までは。
唐突に衛の箸が止まる。
「にーちゃん?どうしたの?」
「にーちゃん?」
それに気付いた愛美と駿が揃って顔を上げ、衛を見る。
温厚な兄が俯いて肩を震わせていた。笑っているのだろうか。愛美も駿も、衛が怒りに肩を震わせているなどとは、露ほども思わなかった。
呼び鈴が鳴る。聞きなれた呼び鈴の音に、意識を向けた愛美と駿が、兄から目線を逸らし、インターフォンへと視線を向けた。
揃った動きで二人が立ち上がろうとして。
「待ちなさい。」
衛が、今までに聞いたことのない低い声で待ったを掛けた。
その声を聞いてはじめて、愛美と駿は自分達の兄が怒っているのだと知る。記憶にある限り、兄が怒ったことなど一度もない。悪戯をしたり学業の成績が悪かったりしても、苦笑して諌められたことはあれど、怒られたことなどなかった。
そんな兄の声に、双子はびくりと震え、言葉も発せず、動くことも出来なくなる。
「僕が対応する。二人は自室に……いや、駿の部屋に居なさい。学校は今日は休みなさい。いいかい。手洗いに行きたいのならば僕の携帯にワンコールして、僕が掛け直すまで待ちなさい。分かったかい?」
「う、うん……。わかった。」
「……わかった。」
「愛美、駿、食事は持っていっていいよ。トレイがキッチンにあるから使いなさい。いいかい。もう一度念を押すよ。絶対に部屋から出ないように。」
「はぁい。」
「はぁい。」
双子が揃って返事をし、キッチンへトレイをとりに向かおうとした瞬間。
玄関先から爆発音が聞こえ、ダイニングルームから廊下へ繋がるドアに嵌め込まれたガラスが割れた。
双子が驚き、悲鳴を上げる。駿は咄嗟に愛美を庇うように愛美の前へと躍り出た。
そして駿は割れたガラスの向こう側に人影を見る。おおよそ、ゲームの中でしか見たことのないような異形。どす黒くそして赤っぽい肌、天井すれすれという巨体、そして――額からぐにゃりと伸びた歪な角。駿は思わず口から零していた。
「お、鬼……?」
「正解。アレは鬼。正確には鬼種と呼ばれるものだ。」
驚く駿と愛美の前に衛がゆっくりと歩いてやってくる。二人の兄は、まるで驚いた様子も、怖がる様子もなく、異形の説明までしてみせた。
兄は知っているのだ。双子が、いや世界中の誰もがゲームや本の中の生き物であり、現実にはありえない空想の産物である――産物であったはずの異形が、この世に存在していたことを。
兄は一体、何なのだ。双子の脳裏に過ぎった言葉。兄であるはずだ。優しく、両親を早くに亡くしてからは親の代わりとして、双子を護ってきた兄であるはず。
「お前たちだけは関わらせたくなかったんだけどね。関わらせたくないから僕がこうして背負ってきたのに……これは一体どういうことなのか、説明して貰えるかな、大尉。」
鬼の巨体の後ろから、軍服を着た人物がひょい、と顔を出した。軍帽が影を落とす顔は、絵に描いた様な美しい配置でまるで芸術作品が動き出したかのような錯覚を起こす。絶世の美男子の具現化。大尉と呼ばれた美しい男の口が、にんまりと、悪魔のような弧を描いた。
「もうそんな事を言ってる場合じゃあなくなったってことに決まってんだろォ。おにいさまのワガママを通してる場合じゃあなくなったんだよォ。あ~スッキリしたスッキリしたァ!そのご丁寧な顔面が怒りに狂う様を何度も何度も何度も何度も何度も妄想して妄想して妄想して妄想して夜のオカズにしてはセンズリこいてたんだよォ!この目で直接見られるなんて僥倖僥倖ォ!さぁおにいさま?驚いてばかりで今にも漏らしちゃいそうな双子にご説明差し上げたらどうですかァ?お前たちは一族郎党、流刑地に送られるってよォ!」
ビリビリと空気を震わせるような悪態、しかし大尉と呼ばれた男は、そんな悪態を吐く声すらも何処か美しく、歪んでいた。
状況を読み込めない双子は、そろりと兄の顔を伺い見る。
いつだって穏やかだった兄の顔は、怒りに歪んでいた。
東海3兄弟の頑張りをよろしくお願いいたします。