九、よろしく
「はっ。
そうか。志水はそれで良いんだ?」
公平が微かにあごを引く。
「良いんだよ……!」
身体が震える。声も震える。それでも言わなければならないことがある。
「押しつけられたものなんて本当の成長じゃない。僕は、僕が選んだやりかたで成長する! 額田に押しつけられたものなんて、知るか!」
「はは。
良いよ。これから先のお前の人生は、何も自分で決められない人生だ」
「違う、大迫さんに言われたからってだけじゃない!
勝手に人生の指導者面する額田に、心底呆れかえったからだっ。
もう知らない、額田とは、これまでだ……!」
振り返り、駆け足で公平の教室から去った。
廊下を早足で進み、階段を下って踊り場に出る。上ってくる生徒と正面衝突しそうになるが、こちらが先輩だと見て取ると、軽く会釈をして逃げ去って行った。
だんだんと駆け足気味になる。途中でこの学園ができてから間もない頃の卒業生から寄贈されたらしき大きな鏡があり、自分の今の顔を見せつけられそうになったので急ぎ通り抜け、玄関に出る。
靴を外履きに履き替える。早く誰もいないところに行かなければおかしくなってしまいそうである。
校舎をまわり込み、先日に未知に告白しようとして失敗した学園の裏手に出る。
ちょうど日陰になっていて、人々の視線から遮られている。
「畜生!」
壁を殴りつけた。
その拳に冷たい感触が重ねられた。
「よせ。怪我する」
佳の両のてのひらだった。
「大迫、さん……」
この人物に対して自分はどういう表情を向ければ良いのかまったくわからない。佳の尻に敷かれているといえば確かに公平の言う通りではある。
涙が出そうになる。必死にこらえる。公平にああ言ったからにはここで泣いてしまうのはおかしい気がした。
「泣けよ」
佳は壁から玄の拳を引き離した。
「泣けって、泣けるわけない……」
「良いから、周りは見張っててやるから、好きなだけ泣けって」
「どうしてこんなときに優しくするんだよ。
いつもみたいに馬鹿にしたりきつい言いかたしたりしろよ……っ」
「知らねえのか」
佳が玄の手を引いて、壁がL字に折れ曲がった角に押しやってきた。ここならばまず人目に触れることはないだろう。
「あたしはほんとは優しいんだよ」
惚れてしまいそうなほどに柔らかな微笑みを見せてくる。
だから、玄は、泣いてしまった。地面の上に丸くなって、幼児のように泣くしかなかった。
やがて予鈴が鳴るのが聞こえてきて、かなりの時間をここで過ごしたことを知る。
「教室入る前に顔を洗うんだぞ。間違ってもすぐに教室に向かうな」
立ち上がって目元をこすると、佳が念を押してくる。
「わかってるよ」
泣いた後の無様な顔を衆目にさらしてはいけないという気づかいである。
(大迫さんは、ほんとうに、優しいんだ……!)
それに気づいたとき、再び泣いてしまいそうになり、こらえる。
「小説、また読んでやる。
だから、どんどん持ってきなよ」
背中を撫でつつ佳が言った。
「その……、よろしく、お願いします」
「どういたしまして!」
その笑顔につられ、玄も笑う。
「何も間に未知を通す必要はないからな。
直接持って来いよな。
こんなこと言うのもあれだけど、お前の小説、お前なりに真剣にやってるってのは伝わってくるから、だから、自信持てとは言えねえけど、あたしの言うことに傷つく必要はないんだ」
「わかってる。
大迫さんが本気になって読み込んでくれているから、僕も本気になれるんだ」
「なら、良し!
ハハっ」
背中を思いっきり叩かれた。
いつの間にか玄関に来ていたらしい。
「じゃああたしはまっすぐ戻るから、お前は顔洗うの忘れんなよな!
じゃあな!」
佳なりの優しさを見せられ、玄は、
(しっかりしなきゃな……!)
と顔つきを真面目にした。
小説を書きまくって佳に見せまくろう。そう決意した。
そしてその翌日、
「できたよ!」
佳を廊下に呼び寄せ、紙束を突き出した。
「早えなオイ!」