八、試練
言われ、椅子を蹴って立ち上がっていた。
「マジ?」
「大マジ」
佳は腕を組んでいる。
「行けよ」
佳があごをしゃくって公平が消えた方向を示す。
周囲のちらちらとした視線がうるさい。
内輪での会話を続けている風の黒板の傍のグループも、その実こちらに興味があるだろうことは話しかたの間の取りようで伝わってくる。
「行かねえの?」
佳がそう言うが、玄は黙って椅子を直して腰を下ろす。
「……行かない」
「何でよ」
「何かの間違いか、考えがあってのことだろ、額田のことだし……」
「それで良いのかよ」
「良いんだって!」
怒鳴ってしまう。
「ハアン。
わかったわ、これで」
あからさまに馬鹿にしたように鼻で笑ってくる。
いや、実際に馬鹿にしているのだろう。
「何がだよ」
問いながら、なぜ馬鹿にしているのかはありありとわかる。だから、内心、言うな、言うなと制止する。
そんな心の内が伝わるはずもなく、
「テメエの小説にいまいち迫力が欠けるところがあるの、そういう理由なんだな、って」
「……どういうことだよ」
「そういうとこだよ。
ってなわけで、テメエの小説読んでやるのもこれっきりな」
手のひらを佳は紙束の上に叩きつけた。
言われ、玄は再び立ち上がった。立ち上がって、その場から椅子を蹴り倒すようにして教室から出た。
背後から佳が追いかけてくる気配がある。
どうしてついて来るのだろう。面白半分で見物しようとでもいうのだろうか。
(まあいい、これっきりなんだから、好きなだけ楽しんで鑑賞してればいい……!)
自棄な気分で廊下を蹴って、公平のいる教室に突入する。
「額田!」
駆け寄り、椅子に腰かけて弁当をひろげかける公平の前に立ち止まり、疲れているわけでもないのに荒い息に肩を上下させる。
「……聞いたんだな?」
何がとは言わず、公平はにやりと笑った。
「聞いた。
どうして」
「決まってるだろ」
弁当箱を巾着袋にしまい込んでからゆっくりと立ち上がり、公平は、
「志水の成長のためだ」
「僕の成長?」
「ああそうだよ。
女にこっぴどく振られて、そこから這い上がって成長する。そういう筋書きだ。
はっきり言って、志水は幼いからね。ガキだといっても良い。
自分自身を客観的に見つめてみて、そうは思わないか?」
「そんな、ことは、ない……」
公平の放つ不気味な雰囲気に気圧されつつも、あとずさりしそうになるのをこらえて、しかしながら弱々しく応じる。
そんな現に公平はあっさりと、
「あるね。
ほら」
と、玄の斜め後ろのほうを見やった。
佳が怖い顔をして突っ立っている。
「母親には甘え、大迫さんには尻に敷かれ、結局女に振り回されっぱなしで主体性があるようで決定的にない、そういうところが子供だっていうんだよ」
「だまし討ちで押しつけられた試練に成長があるってのか。
ずいぶんテメエに都合の良い考えだなあオイ?」
佳が一歩踏み出して首を傾げさせながら睨みつけている。はらりと顔にかかった黒髪を片手で払いのけつつ、
「切れ、こんな奴なんか。
こんな男との友情なんか、切ってしまえよ。
ひとを見下してなきゃこんな考えできるわけないだろ、それくらいわかってんだろ!」
「僕は……」
「志水のようなやつはな」
公平が今まで見せたことのないようないやらしい笑みを浮かべている。いや、それは自分の勝手な印象か。
「周りが後押ししてやらなきゃ成長しないんだよ。
そうしてやるのが俺たちなりの友情のありかたってやつで、外野がとやかく言うようなことじゃない」
「……っせえな」
玄は、言葉が荒れるのを感じていた。
「志水」
ぎょっとした様子で公平がこちらを振り返る。
「うっせえよ!
何が成長だ、友情だ!」