六、振られたのか
廊下に呼び出した未知に紙束を渡すなり、
「あのね。
そろそろわたしのほうからはっきり言ったほうが良いのかな?」
紙束を前に受け取りもせずに未知は困ったような笑みを浮かべた。
「いや、そういうことじゃないんだ」
玄は未知をしっかりと見つめた。こればかりは勘違いされたくはない。
その視線に気圧されたか未知は手袋に包まれた手で紙束を受け取り、
「どういうこと」
「これは、大迫さんに渡して欲しい。
この前より絶対面白くなってるはずだからって」
「それなら自分で渡したら良いんじゃない」
未知は当然というべきことを言ってくる。
しかし、
「何か直接渡すの、怖くって」
「そう、なんだ。ははは。
じゃあ、渡しとくね」
そう言って未知は教室の中に引っ込んでいった。乾いた笑いにはどんな意味があったのだろう。
自分の教室に戻ると公平が自分の席のあたりで待っている姿があった。
「また白根さんに読ませるの?」
「いや、今度の新作は大迫さんに読んでもらおうと思って」
先日の佳の読み込み攻撃から一週間ほどたち、玄は短編小説を一本書き上げた。
佳の言葉に触発されるものがあってのことである。
あれから新たな主人公像・ヒロイン像が思い浮かび、いてもたってもいられなくなり、一気に完成させた。もちろん誤字脱字誤用のチェックは行なっている。
この作品さえ読ませれば一発で大迫佳ごときは降参の意を示すはずである。這いつくばって先日の非礼を詫びるかもしれない。
「こういうのは勢いが大事なんだ。
冷静になると、あそこがおかしいんじゃ、ここがおかしいんじゃ、とあれこれ気になって引っ込めてしまうからね」
「そ、そうか。
じゃあ、白根さんのことはもういいのか?」
公平はそう言うが、教室内であまりその話題を口にしないで欲しいところではある。
「白根さんは……」
そう言えば、今更ながら気がついたことがある。
「なんかもう、さっきほとんど振っているようなことを言われた気がする……!」
未知が言っていた「はっきり言ったほうが良い」ことというのはそういうことではないか。
「そうなの?」
「でもな」
自分の席に腰を下ろし、
「なあんか、思ってたほど傷ついてないんだよなあ。
何でだろ……」
「さあね……」
公平はあいまいな笑みを浮かべて自分の教室に帰って行った。
その次の休み時間、
「おい!」
佳が教室に怒鳴り込んできた。大股でこちらに近づいてくる。片手には筒状に巻かれた紙束があった。
おかげで教室内が一瞬静まり返って視線がこちらに殺到した。恥ずかしい。
「あたしにこれ読めってか!」
眼前に紙束を突きつけてくる。
「そうだけど……。
今度のは短いよ。多分十五分くらいで読めると思う」
「そういう話してんじゃねえよ!
何なのテメエ。
あたしはな、テメエの心をへし折るために読み込んでやったんだ!
テメエを喜ばせるためじゃねえ!」
「そ、そうだったの?」
と言いつつ、玄は何となく気づいてはいた。未知にこれ以上近づけさせないために暴力的にふるまう一環として行われたのだろう。
それでも、目の前で紙束を破るなりのいやがらせはできたはずなのにそれはしなかったということは、美質とまでは言えないまでも真面目さ、正直さ、優しさといった肯定的な性質があるのではないだろうか。
しかしこちらの心の内を読まれたか、
「とぼけてんじゃねえ!」
佳は紙束を両手でねじり、玄の机に叩きつけた。
さすがに玄は黙り込んだ。下くちびるを噛み、拳を握りしめる。
「何だよ、そんなにあたしに読んで欲しかったってのかよ。ハハ」
乾いた笑い声を上げる佳の挑発にもうなずくしかない。
「そうだよ。でもいいんだ、こんな紙切れ。また何度でもプリントアウトすればいいし」
「何だよ、また読まそうってのかよ」
なぜか先ほどよりも弱気な声音で若干震え気味に佳がねじられた紙束を指さした。
「いや、そういうんじゃないけど……。
額田以外の誰に読んでもらえば良いかわかんないし……」
「お前……。
まあ、友達少なそうとは思ってはいたけどよ」
頭を軽く振って儚げな笑みを佳は浮かべた。
二人とも黙り込んでしまう。
クラスメイトもこちらが気になるのか、会話もなく静まり返っている。受験が大事だと日頃から主張する数名ばかりいる者が問題集を解くペンの音がカリカリと響き渡る。とはいえこちらをまったく気にしていないわけではあるまい。うるさいくらいには思っていそうではある。
口を開いたのは佳が先だった。
「……まあ、また何度でもプリントアウトできるんだよな」
言いつつ佳は視線をそらし、うなじのあたりをぽりぽりと掻いて、
「う、うん」
「じゃあ、明日また持って来いよ。読んでやるから」