五、声に出さないで
「そもそもなんで大迫さんが読んでるんだよ」
昼飯を食べながらで良いと佳が言うから母親の作った弁当を食べつつ、玄はそう疑問を口にする。
何しろ休み時間になるたびに教室に押し掛けてくるのである。
そして、この昼休みにも、玄の前の席の主が今日は風邪で欠席なのを良いことに陣取っている。
「未知んところに行ったものは全部あたしんところに来るシステムになってんだよ」
サンドウィッチを咀嚼しながら佳は紙束の赤線を指先で追いかける。
「誰だよそんなシステム実装したの~」
「そんなことより、えっと、最大の問題はクライマックスのここじゃねえの?」
「何でだよ。情感たっぷりに描写してるじゃないか」
クライマックスこそこの作品で一番自分が自信を持っている箇所である。
佳は苛立たし気に首をかすかに傾げた。はらりと髪の毛が顔にかかり、うっとうしげにそれをサンドウィッチを持つ手で払って、
「だからダメだって言ってんだよ。
何かくどい。ウザい。お前がうっとりと酔いしれながら書いてるのが目に見えるようでムカつく」
「そんなん大迫さんの感性の問題じゃないのか?」
佳のみの感覚で否定されているとしたら不名誉な話である。自分はもっと一般大衆に届くように書いているつもりだった。
「ハアン。
あんた、ちょっと来て、これ読んで」
薄く笑った佳は手近にいた女子を手招きした。
「やめて僕が悪かったから!」
佳の腕を掴んで下ろさせる。
すると佳は鋭く睨みつけてきて、
「触んなよ」
「ご、ごめん」
「とにかくよ」
佳はクライマックスの段落を何度か指先でノックし、
「ここはもっと心理描写を抑えめにしたほうが良くね? 読んでてつらいわ。たとえばこの『私の心を突き抜けほとばしる愛という名の電流はわが身を内側から焼き尽くし』……」
「だから読み上げるのはやめて!」
近くにいた女子数人がこちらを見てプークスクスと笑っている。
「本人が読み上げるのを嫌がるほどのものを未知に見せようとしたってのは……」
半目で佳がこちらを見てくる。追いつめられた気にさせられるので今すぐにやめて欲しい。
「読み上げられる恥ずかしさはまた別の問題だろ!」
「ふうん。
まあいいわ。
とにかく、ここはダメ。
んで、次なんだけど……」
「まだあるの……」
ミニトマトを口に放り込む。酸っぱい味がした。
げんなりしつつ、それでも聞くのを拒むと怒られそうだから我慢して真剣に聞き続ける。
結局、その日一日の休み時間は佳の相手で全部潰れてしまった。
「これ、持って帰れよな」
帰り際に佳が玄関まで追いかけてきて、例の赤字入り紙束をにやにや笑いながら返してきた。誤字脱字誤用一覧もおまけでついてきた。
「いろいろ言ったけど……」
紙束を受け取ると、佳はスカートとブラウスの境目に指先を突っ込んだ。かゆいのだろうか。
佳はしかしながら少し黙り込んで斜め下に視線をやった。
何を言われるのだろう。
が、話の流れとしては、「いろいろ言ったけど、悪くはなかった」というところだろうか。
なにしろ自信作である、それくらいの言葉をもらわなくてはダメージに対する割に合わない。
ようやく顔を上げて、佳は馬鹿にしたような笑みを見せながら、
「結局ぜんぜんダメだな」
玄の肩を数度叩いてからその場を後にした。
「なん、だよ……っ! クソッ」
紙束を振り上げ、叩きつけようとするも、かろうじて踏みとどまった。とどまってしまった。
叩きつけられなかったそれを再び開き、赤い文字を追いかける。
性格に似合わず可愛らしい文字にかえって恐怖すら覚える。事情を知らない者が見ればどんな可愛い女の子が書いたのかと誤解すらしかねないほどである。確かに美少女ではあるのだが、心に獣を飼っていてはそれも台なしだった。
「なんだよ、クソッ」
カバンにしまい、自宅への道を急ぐ。
今日は公平が私用のため一緒には帰れない。
それは良かったのか悪かったのかいまいち判断がつかないところではあった。
苛々する。
今日一日中を使って罵られっぱなしだったのである。
帰り道の間もそのことばかり気になってしかたがない。
カバンから紙束を取り出す。
自分の書いた文章と赤字を追いかける。
「待てよ……、この話のテーマってアレだから、今日言われたあれを……」