三、佳と未知の間には
「どういうつもりだテメエは。
懲りねえ奴だな」
胸倉をつかんでくる佳の指からミシミシという音が響いてきた。
どういうことだろう、未知には佳は呼ばないように釘を刺していたはずなのに。
つかまれた玄は、
「あ、いや……。
白根さんに返事をもらわないと……」
佳のほうがやや背が高いから上から睨み下ろされるかたちになり、ただひたすらうろたえるばかりである。
流れる汗は初夏の空気がもたらすものか、それとも動揺の脂汗か。
しかしながら未知を前にそのような姿をさらし続けるのも恥なので、その気持ちだけでなんとか耐えていた。
「未知にテメエみたいなのが近づいてくるだけで我慢がなんねえんだよ。
消えろよ」
胸倉をつかんだ拳を押してのど元に叩きつけ、手を放してきた。
よろめき、未知のほうを見やると、困ったような微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
その微笑みにどのような意味があるのか計りかねた。
(大迫さんはそういう性格だから我慢して、ってことか?)
思いつくところとしてはそれしかない。
とりあえずまたも態勢が悪く、出直すことにした。今度は呼びとめられなかった。
という話を帰り道に公平にすると、
「まあ、大迫さんはそうだよね」
大迫さん、つまり佳のことを何か知っていそうな口ぶりである。
「どういうことよ?」
「ああ、志水は知らない?」
何か有名な話が佳にはあるのだろうか、珍しいものを見るような目つきでこちらに視線を向けてくる。
「知らない、って、何かまずいことでもあんの?」
「そういうわけじゃないけど……」
と言って公平は、次のような話を始めた。
「白根さんと大迫さんって、もともと接点なかったんだよね。なんだけど……。
前にサッカー部員だった小野和也って男、先輩なんだけど、知ってるか?」
「まあ、なんとなくは……」
ハンサムでものすごくもてるサッカー部員の男で、何か理由があってサッカー部を辞めたらしい、というくらいの話は知っていた。
どうしてそんな男の話が出てくるのだろう。
「小野先輩がな、大迫さんを好きになったらしくって、しつこく何度も猛アタックをかけたらしいんだよ。
凄いことに、小野先輩は、自分に合うのは佳のような美人だけだ、って周囲に言っていたらしくってな」
「ほんと凄えな!」
一度でいいからそのような傲慢な台詞を吐いてみたいものである。
「でな、大迫さんはそんな小野先輩にうんざりしてたらしいんだよ」
「そりゃまあ、そうだろうな……」
まるで雲上人のやりとりではあるが、想像できなくもない。
「とうとう大迫さんマジでブチ切れて、派手に小野先輩のことを罵倒したらしいんだよ。
そしたら……」
公平は間を置いた。
初夏のもたらす暑気による汗が頭から頬を伝って首筋に流れる。
TV番組ならこのままCMに突入しかねないほどの間だった。
「いや、そういう間の演出はいいから、続けてよ」
「ノリの悪い奴だな……。
とにかく、そうしたら、小野先輩もブチ切れて、大迫さんに殴りかかろうとしたらしいんだよな」
「マジで?」
「ああ。
ところがよ、その場面にたまたま近くに白根さんがいたらしくって、殴られそうになった大迫さんと小野先輩の間に割って入って殴られたらしい。
現場は白根さんの鼻血が飛び散って悲惨だったらしいよ」
まるでその現場を見たかのように公平は口にした。
「そんなことがあったんだ……」
「で、それ以来、大迫さんは白根さんに恩を感じて、今度は白根さんを守ろうという感じになっちゃってるらしいんだよ」
「そうか、白根さん、そんな優しいんだ……」
和也の前に毅然と立ち塞がる未知の姿を思い浮かべ、うっとりとしてしまう。
「そういうことみたいよ。
どうでもいいけど志水、少しアホ面になってるぞ」
「マジで? いけね」
顔を両手で挟んで整えるジェスチャーをする。
「でもな、額田」
公平のほうを向いて、
「もっと白根さんのことを好きになっちゃったかも、今の話を聞いてさ」
「志水、すっげえだらしない顔になってるぞ……」
公平が少し苦々しい笑みを浮かべていた。
「でもよ、正攻法じゃこのままじゃ届かないだろ」
「問題はそこなんだよな~」
ため息まじりに言う。
「だったらよ、いっそのこと」
公平がにやりと笑って、
「志水の小説を何か短いやつ選んで白根さんに読んでもらうんだよ。
自分のことわかってもらうにはそれが一番良いだろ?」
「え、それはダメだろ~」
顔が熱くなるのを感じる。
「なんでだ?」
「心の内を文章という形でさらけ出して表現したものを読まれるんだろ?
絶対引かれるって」
「その、『心の内を文章という形でさらけ出して表現した』ってのが良いんじゃないか。志水のことをわかってもらうには最適のアイテムじゃないか?」