8.リムジン
リムジン
そして舞台は地球、物語は始まる……。
「この町も、かなりひどい」
旧式の「フォグランプ」を点けたリムジンが首都に近いK県に入った。首都機能は順次西日本に移されつつあったが、それでも首都圏にまだ多くの国民は生き残っていた。この町に入ったとたん、リムジンの中でため息まじりにそう言ったのは、後部座席に座っている若い男だ。彼はAI(人工知能)の研究においては『日本アカデミア』の第一人者だった。既に日本アカデミアはその機能の大部分が停止していたのだった。町には人の気配はない、政府の避難勧告を聞けた者は疎開でもできたかもしれない。だがこの町の大半の住人はそれを聞くことなく『蒸発』したのに違いない。飴のように溶けた状態のまま、再び固まった車や陸橋がその際の凄まじい高温を伝えていた。その若い男の向いの席には、負傷して隻眼になった軍人がひとり座っていた。
ある大国の大統領が『核攻撃指令書』に署名したことによって、この地球は「AI(人工知能)」を一斉に破壊する「衝撃波」に覆われてしまった。世界中の核はその大半が使用不可能になり、最悪のシナリオ「地球規模の核汚染」は回避された。しかしこの地球の文明社会は、およそ半世紀は後退せざるを得なかったのである。若い男がその軍人に向かってこう尋ねた。
「長官、このリムジンにはAIが組まれていないのですか?」
「ああ、もちろん、最初はAIが組み込まれていたさ。ナビゲーター・システム、衝突事故防止システム、燃料制御システム、わたしが全てとっぱらった……」
銀髪の細身の軍人は、防衛省の長官だった。彼は最近ようやく形が整った髭を左右に整えた。
「お願いだから髭なんて剃ってよ!」
娘には不評だったが、それでも毎朝彼を笑顔で見送ってくれていた。そんな平和な日常が再び戻ってくることを彼はこの少年にもう一度期待するしかない、彼は笑顔でこう尋ねた。
「君の名前はマイト……」
「はい、揚羽舞人です」
「たしかアカデミアの2年生、今は休学していると聞いている。こんな朝早くに呼び出してすまない。そうだ、あいにく車内にはベーグルとハム、それにチーズくらいしかないが……」
「充分です。あとコーヒーさえあれば」
「もちろん、用意してございます、マイト」
「……!!」
彼が言葉を飲んだ訳は、リムジンの運転手がハンドルを握った姿勢のまま、くるりと首だけを180度回転させて喋ったことだった。
「お前、アンドロイドなのか、お前のAIは正常に機能しているのか?」
「私のAIはまだ自動修復中です。ラボで新たなコマンドを書き込まれたのです……」
「ラボ、新しいコマンド、AIが自動修復しているって?」
「そうだ、マイト。彼女は地球上のAIが消滅した後、そのAIを自動修復した貴重な一体だ。彼女は以前『オロス』と呼ばれていた、聖なる場所に眠っていた。わたしが地下の深い洞窟で見つけた」
「長官が彼女を発見されたのですか」
彼は勧められたコーヒーを一口飲むと、そう尋ねた。
「自動修復した彼女はこう名乗った。自分はこの日のためにオロスに残された『インセクトロイド・サクヤ』だと…」
「あの地球規模のパルス障害でも壊れないAI……。オロスが地上にあったのはまだ地球の自転軸が現在のように大きく変わる前のこと、そのAIを一体誰が作ったのでしょうか?」
彼は長官の答えを待っていた、それについては二人をミラー越しに眺めていたサクヤが教えてくれた。
「私は、カグマに作られた『インセクトロイド』、私はアンドロイド達とはまったく違う。インセクトロイドは不老不死の生き物、どう驚いたマイト?」
「インセクトロイド……」
実はインセクトロイドについては、既にマイトはある程度のことは知っていたのである。「日本アカデミア」の資料室に残っていた当時の記述には、こうあった。
「……地軸は傾き、新しい極がようやく固定された。七海は凍り、あるいは干上がってしまった。かつての北極、南極の氷は全て溶け出し、南極大陸は赤道直下の灼熱の大陸に変貌した。恐るべし×××、勇敢な戦士×××、……カグマが作ったインセクトロイドは地球を救ってくれた。しかし、その代償は大きい。この後、永遠にサクヤが不要であることを祈り、オロスの地に我々は消えよう……」




