39.人魚「エヴァ」
人魚「エヴァ」
翌朝コオを迎えに来たのは、垂直に離陸発着できる小型の「ホバー・ジェット」だった。白いジュラルミン製の機体に緑色の帯が二本、尾翼の前部に入っていた。ジェットは一旦、沖に着水してそこからは惰性で桟橋に着岸した。朝六時過ぎの港には魚の買い付けの終わった人がまだ残っていた。コオが倉庫の宿直室から出て来てひとつ「伸び」をした。
「あれが日本への便か、それにしても一体あの女は何者だろう……」
彼が昨日会った「女」はターニャが投げ飛ばした「女」に違いない。昨晩、ハーモニカを彼女から受け取る際に彼はメモを渡した。
「俺がシャーレを持っていることにするんだ」
その意味は話さなかった。そして明日の支度をするためにターニャの家を出たのだった。いつもよりゆっくりと歩き「女」をここまで「連れて」きた。そしてしばらくして明かりを消して待っていた。やがて入り口の扉がゆっくりと開いた。
「さすがに疲れて眠っているはず、シャーレの中身はあなたたちに渡しても役に立たない。これは私たちのもの、返してもらうわ」
そう言いつつ、枕元に置いてあったウエストバッグに黒い影が手を伸ばした。
「残念でした、徹夜は慣れてるもんでね」
その手をコオの右手が掴み、慌てたその黒い影は手を引き寄せた。その力を利用して彼は起き上がり、素早く部屋の明かりをつけた。
「寝たふりをしていたのね、仕方ない」
明かりの中浮かんだ人影は深いフードをかぶった華奢な「女」だった。
「お前は何者だ、ターニャの家を引っ掻き回した黒服たちの仲間か?」
「黒服、知らないね。手荒なことはしたくはないのだけれど」
女は長い紐のようなものを腰から抜いた。それはバスローブの様なタオル生地のコートのベルトだった。それを両手で持ち、数度女がしごくとたちまちそれはトゲの生えた鞭に変わった。
「なあに、殺しはしない。少しビリっとする程度さ、しばらく動けないくらいのね」
鞭がコオの額をめがけて襲った。
「おっと、またまた残念でした。こっちにも道具があるんだぜ」
彼の握りしめていたハーモニカから、長さ30センチほどのブレードが飛び出してその鞭を切り落とした。
「こしゃくな、これならどうだ」
そういうと女の鞭は白金の細い鎖に変わる。
「プラチナ・チェーン!」
彼は後ろに飛び退いてその一撃をかわし、その鎖を握った。
「かかったな、骨までしびれてしまえ!」
しかし女の流した電流は全く効き目がなかった。コオがすかさずその鎖を手繰り寄せ、女に近づいた。女がそれを見て、今度は右膝を曲げて回転させる、回し蹴りだ。
「なかなかいい蹴りだ」
コオは薄い手袋をはめた左肘で、顔面に来た足をブロックした。
「生意気っ!」
もう一方の左足の蹴りが彼の左脇に放たれた。
「おっと」
彼はその足首を左手で掴み、そのまま持ち上げ女をひっくり返す。その時、コートの前がはだけた、その体は黒く光っていた。
「まだやるつもりか、それなら手加減はしないぞっ! 」
「おのれっ、それをどうしても返さないつもりか。お前たちは本当にこの星を創り変えようとしているのか、だけどもこの星にセイレ様がいらっしゃる限りそうはならない。お前たちキョウリュウ族もそのことを忘れてはいないだろうに……」
コオの言葉にひるむことなくその女はまだ戦うつもりだった。
「俺が、キョウリュウ族だと、いいかお前は大きな勘違いをしている。俺は人間だぜ。それに今朝初めてキョウリュウ族とやらに会い、戦ったばかりなんだ」
「ふん、人間とて同じこと。あのお二人を除けば、人間であろうと頼みにはできないことに変わりはない。しかしセイレ様が未だ人間たちを信じている以上、お前たちをこれ以上傷つける訳にはいかないね」
そう言うと、女は鎖を帯に戻し、はだけたコートの前を合わせて締め直した。それを見て、コオはハーモニカのプレードを収めた。
「俺はコオ、奴らにこいつは渡さない。セイレ様とやらは知らないがその人が信じている様に、人間はまだまだ捨てたもんじゃあない」
「どうかしらね、アガルタまで汚し始めた人間は、このまま大きな過ちに気付かないと思うけれどね」
「アガルタ……、君は一体何者なんだ?」
「私はエヴァ、アガルタの人魚」
そういうと女は外に駆け出して行った。後をコオが追う。
「コオ、ターニャの母親は店の食料庫に閉じ込めてある。あなたから教えてあげるといい、それにしてもあなたはよく食べるわね」
そう言い残すとエヴァは海に飛び込んだ。二本の足を包み込むようにコートが収縮し、黒いフィン(ひれ)となりフードが背びれとなった。
「エヴァか、意外といいやつかもしれない……」
海上に一度浮かんだエブァの耳に、心地よい音楽が入った。港を振り返る漆黒の目に「ローレライ」を吹く人間の姿が見えた。
「ターニャ、彼は試験に合格ね。あなたが会わせたかった母親は残念だけど立ち合っていないけど、ハハハッ」
コオが思った通り、エヴァはアーニャと「すり替わって」いた。彼女がターニャの持つシャーレを今後も狙わないように彼は「嘘」をついたのだった。




