37.仲間
仲間
「ここかな、ターニャの家は?」
「えーっと、摩訶。そうでしょう、きっと」
「よし、一つだけ教えといてやろう。いいか、ロシアの女性は家で男の試験をする。まずは出された食事を全部平らげるんだ。一切れも残すなよ、ははははっ。コオ、ターニャは美人だし、ロシアの大会で優勝したこともある柔道の選手だ。手強いぞ」
「長官、俺は別に……」
「すまん、すまん。つい昔を思い出した。ところで君がオロスに行く前に手伝って欲しい事がある。明日朝六時半に飛行機を用意した、私もすぐに戻るつもりだ。また日本で会おう。気をつけるんだぞ、コオ」
彼は、ターニャの家のことを長官に詳しくは話さなかった。しかし長官はこの店のことも、彼女のこともきっと知っていたに違いない。
「残さずに食べろか、まあ簡単なことさ。それに俺はターニャと会えて十分満足だ、それ以上でも以下でもない」
店の前に降ろされたコオは木のドアをノックした。しかし中から返事はない、もう一度ノックしてコオは勢いよく店に入った。暗い店内は静かだった、彼が声をあげた。
「なんだ、これは?」
店の中はメチャクチャ、足の踏み場もない。まるで強盗でも入ったようだ。その時、背後から聞き覚えのある声が不意に聞こえた。
「よお、兄ちゃん。早かったな」
ターニャを頼んだ男だ、包帯を巻いていた。
「これは一体どうしたことだ、ターニャは無事なのかい?」
「もちろん、かすり傷一つありゃしない。お蔭でこっちは病院帰りさ」
灰色のトラックが停車して、荷台から数人の男たちが降りてきた。
「まず、とっとと片付けよう。コオも手伝ってくれ、俺はイワノフ。店がこんなになった訳は、ターニャからゆっくり聞くといい」
コオは、彼女のことを頼んだ男の名をそこで初めて知った。
店内を数人が片付けるのにそれほど時間はかからなかった。片付けが終わった頃、買い出しに行ったターニャが母のアーニャと帰ってきた。
「いらっしゃい。コオ」
アーニャの方が先に入った、ターニャが続いて店に入った。
「ご苦労さんです、コオ」
「あら、ご苦労さんって変でしょう、ターニャ。いらっしゃいでしょう」
「おつとめご苦労さんでございます、って映画で言ってた。ケン・高倉が刑務所から出てきた時の子分の言葉よ。コオも同じようなもんだから、これでいいの」
「まったく、日本映画それも古いヤクザものが好きだってねえ、ターニャったら。本当にごめんなさいね、コオ」
「いえ、まあ似たようなもんですから。ターニャが無事なので安心しました。じゃあ僕はこれで……」
「まさか帰ろうってんじゃないよな、コオ」
「あっ、もうおじさんたら、ウオッカの瓶持ってる……」
「イワノフ、まったくあんたって男は懲りないねぇ。そんなんじゃジェーシカは戻ってこないよ」
「姉さん、今日は義兄さんの代わりに俺が試験してやるんだ。ターニャの叔父としてな、特別の日だ」
ロシア語は得意でないコオは、よくその意味がわからなかった。
「コオ、お前なかなかやるな。いい飲みっぷりだ、よしもう一本行こうか!」
「もうっ、一本づつ開けたでしょ。それに日本じゃお酒は二十歳からなのよ、おじさん知ってる?」
「えっ、そうなのか。コオって幾つだ?」
「俺は十八歳、春からオロスのアカデミアの二年、現在日本アカデミアの一年生、専門は……」
「空対力学、機械工学そしてボクシング……」
アーニャがそう言って緑色のサラダを丸いテーブルに置いた。大皿に盛られたサラダには緑色のマヨネーズがたっぷり「載せられて」いた。イワノフが笑った。
「そうだな、次があるしな。おっと、そうだ今晩は漁に行くんだった、おいみんなそろそろ行くぞ」
「あらあら、そんな体で大丈夫なの。海に落っこちるわよ、あの人みたいに」
「母さん、とっくに知っていたのか……」
片付けに来たのはイワノフの船の乗組員たちだ。酔っ払った船長を抱えて車に運び込むと、荷台に放り上げた。
「いてててっ、なんてことしやがる。仮にも俺は船長だぞっ!」
「コオ、また会おうな。俺たちはいつでもお前の味方だ、また春に会おうな」
「俺たちはこの目で見た。怪物に素手で立ち向かったお前の勇気をしっかりとな」
「ひと暴れの時は、また読んでくれよ。駆けつけるぜ」
「あばよ、あまり無茶するなよ、コオ」
陽気な港の男たちは口々にそう言ってくれた。やがてトラックが走り出した。




