315.エスメラーダ人魚
エスメラーダ人魚
「さあ、先に進みましょう。ここはセイレ様のために立ち寄ったのですから」
ミコも人魚の試練について何か知っているようだった。その時、一行の前に扉が現れた。その扉は内側に開く。明るい部屋がのぞき見えた。
セイレが部屋に進むと、扉が閉じる。あかりに照らされたのはベッドに腰をかけたカルナ・エスメラーダ、『マーラ』の姿だった。そして横には槍を持った人形が置いてある。それは小さな人形だったが、セイレは一瞬どきりとした。まるで生きているように彼女には見えたのだった。
マーラの部屋
「ようこそ、セイレ。私はマーラ、会えてうれしいわ、これは『マーラの精』。あなたの心に反応して人魚の槍を自在に使える様になるわ。ただし、その美しい緑の髪と引き換えになるけれど」
「髪くらいどうってこと無いわ、またすぐ生えるし」
「残念だけど、二度と髪は生えてこない。それでもいいのかしら?」
「生えてこない?」
「人魚の髪は、人魚の生命の力。それを私に預ける事は、アガルタに命を捧げるという事。もしあなたにそれだけの覚悟が無ければ、武器を取り戦う事を止め、傍観者になりなさい。誰もそれを責めはしない」
「マーラ、あなたはそれを捧げたのね。アガルタのために」
彼女は答えなかった。ベッドから上半身を起こしているマーラはかつての自分を思い出していた。彼女も七海の人魚をまとめギバハチと戦った事があったのだ。
(セイレがアガルタの女王として、ふさわしいかどうかはこの試練ではっきりする)
マーラはできれば最後の人魚姫としてセイラには平穏に暮らして欲しかった。カイリュウ族が行方不明の今、アガルタを救えるのは三人のエスメラーダ人魚だろう。香奈により再びアコヤガイに戻された事によって復活したマーラは、その代償に、両足に力が入らなくなっていた。
「考える事も無い、シュラ、ダーマ、ギバ。アガルタの闇を祓うのに私だけ傍観者でいられるはずが無い。マーラ、もちろんこの命預けます」
マーラは微笑むと人形をひとつ残し、消え去っていった。
「セイレ、全てが終わったらまたもとの髪に戻してあげるわ。あなたは私たちの娘だから……」
セイレの長い髪が一瞬輝き四方に飛び散り、その代わりに緑色の髪に変わった。そしてセイレの手には『マーラの槍』が握られた。セイレは次の部屋へと入っていった。
ダルナの部屋
なっぴとミコも奥へ進んだ。進む途中なっぴはミコに尋ねた。
「セイレは誰かと話していたのかしら?」
彼女にはマーラの姿は見えない。ただセイレの髪が一瞬で緑色に変わった事だけは解ったのだった。ミコはこう説明した。
「人魚の精は地上のあなたには見えません。セイレ様の姿が変わったのは、一人目のエスメラーダの力を手に入れた証拠です。さあ次の部屋にはいりましょう」
ミコが扉を開くとそこは青一色の部屋だった。セイレのいる部屋も同じく真っ青だった。
「この部屋にも人魚の精がいるってことなのね、セイレが一人で立っている様にしか見えないけれど」
ミコが笑った。
「はい、この部屋はダルナ様の部屋です。ダルナ様はオロスの術が使えたと聞いております」
「よく来たわね、セイレ。私はダルナ」
セイレは、椅子にかけた人魚に尋ねた。
「あなたは私に何を求めようというの?」
「求める? 求めはしないわ、セイレ。あなたが決める事だから」
ダルナは右手を高く上げた。
「オローシャ・ピリリカ」
雷針がセイレの足下に次々と突き刺さる。それを後ろ飛びでよけるセイレにダルナの呪文が続く。
「オローシャ・カクラーナ」
部屋一面に吹雪が吹き荒れる。
「オローシャ・カムイリカ」
そしてその吹雪がたちどころに凍った。
「雷針、吹雪、そして氷結の呪文よ。私がオロスの巫女『メシナ』に教わったもの。マーラの槍だけでは敵には勝てないでしょう」
「私にその術を伝授してくれるというのダルナ?」
「お望みならね、ただしその美しい声を私に預けなさい。もし、シュラを止められなければあなたはその声を失う。それだけの覚悟があればこの人形に込めたオロスの術を使えるわ、さあどうする?」
「もちろん、その覚悟をしています」
「それでいいのよ、セイレ。ミーシャと息をあわせてオロスの術を使いなさい。かつてのラナ・ポポローナと私の様に……」
その答えに安心してダルナは笑った。彼女が消え去る前に、セイレは彼女に尋ねた。
「その足は?」
「もう以前の様に力が入らなくなってしまった。役目を果たすために『あの方』にもう一度ここに来れるよう、お願いしたからね」
「あの方?」
「あなたも会えるわ、私たちの人魚姫に……」
ダルナは笑いながら消えていった。
なっぴはそんな事があったとは知らない。突然セイレをめがけて轟く雷鳴、雷針が落ちたかと思うと、猛吹雪から氷の固まりが飛び出して来たのだった。何も無い空間から、まるでそれは次元を超えて襲ってくるようだった。
「さあセイレ様は次の部屋に入られますよ」
ミコに促され、なっぴは次の扉を押し開く。そこは白い部屋だった。
「この部屋は?」
「ルシナ様の部屋です。ここから私も一緒に入ります。私たちは心配ありません、なっぴ様はここでお待ちください」
そう言い残し、別の扉からミコはその部屋に入っていった。
ルシナの部屋
「あなたがあのセイレ? 随分大きくなったこと。わたしはルシナ、アガルタ最初の伝承の人魚」
その巫女もセイレをよく知っているようだ。次第にセイレの中にエスメラーダ人魚の力がたまり、彼女が何故産まれたのかも少しずつ解り始めてきた。
「一体、あと何度人魚の試練があるの?」
セイレは後に続いて部屋に入ってきたミコに尋ねた。
「人魚の試練? そうね、私たちはあなたにその心構えがあるか確認をし、それを超えるための力を伝授しているだけ。私たちはそのために、再誕させていただいた、その代償はこの足。この通りすでに力もはいらなくなっている……」
三人の「エスメラーダ人魚」はセイレの為に再誕し、そして消え去ろうとしている。語らずともセイレには解った。ルシナの持つ伝承は元は「アキナ」が受け継ぐものだった。それは聖三神の一人「ツクヨミ」から産まれた「クシナ」が最初のエスメラーダに与えるべきものだったのだ。セイレは一歩進み出た、そしてルシナに言った。
「ルシナ、それを私に伝えるためにエスメラーダ人魚は、ずっと死ねなかったのね。なんて長く辛い事。さあ私がそれを受け止めましょう」
ルシナは微笑みそしてこう言った。
「セイレ、この伝承にはあなたにとって辛い事もあります。しかしそれにとらわれてはいけません。エスメラーダは全ての生命の源、しかしそれと同時に死さえも操れるのです」
話の間にも、次々とセイレの心にルシナからの伝承は続いていた。
「ルシナ、女王の事を私に教えて」
「もちろん、そうするつもりです」
ルシナはこう語った。
「ダーマの行動に不信を感じた香奈様はタケル様をメイフ様に預けると、一度人間界に戻られました。その時里奈様とすり替わったのです。里奈様は精霊として『マンジュリカの玉』の中に隠されたのでした」
セイレはなっぴが持つマンジュリカの玉から産まれた「ナナ」が母の精霊である事を知った。あの力は里奈のものだったのだ。
「そして、悪事を見抜いた香奈様をダーマたちは捕らえたのです。セイレ、あなたをもう一度アコヤガイに戻したのは香奈様ですが、人魚たちのアコヤガイと見分けがつかない様に幾重にも結界を張ったのはあなたの母、里奈様の力です」
香奈にはダーマの古い記憶があった、その記憶をルシナもセレナに伝承した。それを伝授されたあとセイレはつぶやく。
「信じられない、この星にこんな時代があったなんて。ムシビト、ヨミ族、彼らは私たちにとって敵なの……」
ルシナは答えなかった。そして伝承が終わるとこうセレナに伝えた。
「セイレ、その足を預けてもらうわ。ダーマたちを倒せなければ、もう二度とその足で地上を踏む事はできない。その覚悟をここで私に見せてもらいましょう」
今ここでルシナに伝承されたこの星の歴史、もしこれをなっぴが知ったとしても「シュラ」と立ち向かえるのだろうか?しかしセイレはルシナにはっきりこう言った。
「たとえ、相手がマンジュリカーナだとしても、私はアガルタを守るため戦います」
「セイレ様、あなたこそエスメラーダとしてこの星に誕生した本当の人魚姫でございます」
その言葉にミコがセイレに臣下の礼をとった。
「ミコ、あなたはこの歴史を知っていたの?」
ミコは黙っていた。セイレが口調を変えた。
「知っていたのかと尋ねている!」
「はい、以前から」
ルシナは次第に消えていこうとしていた。
「ミコ、エスメラーダに話しなさい。あなたの生い立ちを、本当の人魚の試練がはじまる前に、二人はここで結束しなければなりません」
ルシナが消え去った部屋でミコはついに口を開いた。




