31.待ち合わせの港
待ち合わせの港
「これがあの娘の家か」
ターニャが眠りについた頃を見計らって、先刻の黒服のリーダーが物陰から出てきた。月明かりの中男は黒い手袋のままサングラスを外した。一瞬、男の目が赤く輝いた。
「どれ、あの男が娘に何を話したのか調べてこい」
男は片方の手袋を抜き取ると地面に叩きつけた、たちまちその黒い手袋は黒いヤモリに変わる。居酒屋「摩訶」の壁に張りついてするするとよじ登り、ヤモリはターニャの部屋に侵入した。
「なるほど、明日九時に港で会うのか。どうやらあの娘は偶然男に会っただけのようだ。ゴラゾームの標本は娘のバックの中、ふん、まあいい明日まとめて手に入れよう。あの男、しかし逃げ足の速さは驚異的だな、バゴスを脱走したのもそうだが、一週間でこんなところまで逃げていたとは。やはり人間たちに協力しているのは、アガルタの奴らに違いあるまい。なんと忌々しい奴らだ、それに愚かな。この星をこれほど痛めつけた人間など滅んでしまうべきなのに……」
黒服のリーダーは深く帽子をかぶり直すと、ヤモリを手袋に戻し、もと来た道を歩き出した。ターニャは男との約束を知らぬ間にスキャンされたことも知らず、深く寝入っていた。
翌朝八時には港の混雑はすでに終わっていた。漁港は朝が早い、小さな港の水揚げなど、たいした量でもないがそれでも新鮮な魚を求めて多くの人が集まる。
「今日は人がいないわねえ、あら?」
約束の時間の十五分前には、その港にターニャは来ていた。いつもなら大抵は顔見知りの一人や二人はいるのだが、今日は人影もない。そこに「ハーモニカ」の音が聞こえた。その方向を見ると見慣れない青年がロシアの民謡「ポーリュシュカ・ポーレ」を吹いていた。
「へーえ、うまいものね。他に誰もいないのかしら?」
港をぐるりと見渡すとターニャは腕時計を確認した。約束の時間までまだ五分ある。
「まあ、どうせこれは返すんだし、いいけどね」
彼女はバッグをそっと押さえて中のシャーレを確認した。
「あっ、いけない。木箱を部屋に忘れちゃった」
シャーレが入っていた箱を忘れていることにターニャは気付いたが、もう取りに帰る時間はなかった。
「仕方ない、帰りに家に寄ってもらおうかしら」
そろそろ約束の時間だ、男はまだ現れる気配がない。港にいるのは「ハーモニカ」の彼だけだ。ターニャはその男の方へ歩いて行った。
「ひょっとして八時の約束だったのかも知れない。あの人、ここでずっと練習していたのなら。もしかしたら何か知っているかもしれない」
そうターニャは思い。思い切って彼に声をかけた。
「あの……」
彼はハーモニカを口から離した。しかしその黒い瞳はターニャの後ろを見ていた。
「何を見ているのかしら?」
彼女はそれに気付いて後ろを振り返った。
「キ・キ・キ・キーッ」
猛スピードで黒い車が二人の前で止まった。と同時に後方のドアが開き、昨日の男が後部座席から蹴りおとされた。見ると男の両手はきつく縛られていた。「ハーモニカ」の彼が大声を上げた。
「あっぶねえな、無茶すんなよ、港は車両進入禁止だろ!」
三人の黒服が車から降り、中の一人が男の尻を蹴り飛ばした。そして二人に近づくとこう言った。
「おい、どっちが持ってる。こいつから預かったシャーレを渡してもらおうか」
「へっ、何のことだい。俺のハーモニカの練習を邪魔しやがって、いいからとっとと帰れよ」
「ははははっ、聞いたか、帰れだとよ。こいつ馬鹿だろ」
「おいおい、この俺を馬鹿呼ばわりとはお前たち後悔するぞ」
銀のハーモニカをターニャに預けると、彼は指と首を鳴らして軽くその場でトントンとジャンプをした。
「ほう、ボクシング・ジムにでも通っているのかい、坊っちゃ……」
「まず一人、次はどっちだ?」
黒服の男の話が終わらないうちに顔面を打たれ、あっけなく男は仰け反り倒れた。それを目の当たりにし、ターニャは目を丸くした。しかし次の瞬間彼女にはさらに驚くことが起こった。




