202.書簡
202.
巨大隕石の落下による、大津波を避けるため太平洋を中心に、地球に巨大な『三大結界』が張られた。そしてそれは軍事衛星の地上落下から勃発した『第一の災厄』を防ぐのに功をもたらした。しかし時間を止めた結界の中、その記録は残ってはいない。大津波から守られ、続く『第一の災厄』を免れた各国が、通常の時間軸にシンクロするまで各国のデータからは消失するのである。だが、結界が張られた地域にもかかわらず『時間を失う』ことのないものたちが、わずかではあるが存在していたのである。
「ミーシャ、そろそろ太平洋沿岸の結界は解いても大丈夫ね。放射線のレベルもかなり下がったし」
美奈は娘の美沙にそう言った。
「はい、香奈様がヤマト結界を解くまでは、しばらくの間はオロスで母さんと暮らしなさいとおっしゃりました……」
「そう、香奈らしいわ。じゃあ、早速修行でもしましょうか?」
「はい」
「……はい?」
美奈は当てが外れた、娘から文句の一つでも出るものと思っていた。修行嫌いの自分の影響から、美沙もそれほど巫女修行は好きではないはずだからだ。
「やはり、オロシアーナに覚醒したのは確かなことのようね。おばあさまの名前にもなった『ポポノーラ』の術。その日まで、毎日会得してもらうわよ」
「はい、お母様。その後報告したいことがあります」
「わかりました、オロスまで一息で行くわよ」
「えっ?」
「母ほど早くはないけれど、これがポポノーラの術」
新しい術式を組み、美奈は娘の手を取り、空に舞い上がり太平洋北部の結界を解いた。そして娘を見つめ微笑むと高らかに叫んだ。
「ミーシャ、オロスまで飛ぶわよ、ポポノーラ!」
オロスは広い、大国の中心には核ミサイルが集中し、破壊を尽くし、もはや瓦礫しか残っていなかったが、幸いにも核ミサイルは先年に締結した『世界核条約』により『限定核兵器』以外はすでに解体、処分されていたため、地方都市は無傷だった。オロスにある故郷の村もすっかり平穏を取り戻しているようだった。『ポポノーラの術』の修行が終わり、家に戻った美奈は、娘に手を引かれ二階の部屋に入った。
ベビーベッドの傍の男が立ち上がりお辞儀をした。
「初めまして、美沙の夫のタケルと言います」
「母さん、もう一人紹介するわ」
彼女は慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げ、美奈にその顔を見せた。
「まあ、かわいい!」
「でしょ、でしょ。名前はね『未来』って書いて『ミク』と読むの。どう、いい名前でしょう」
「そうね、あなたにしては上出来ね」
「ミクちゃん、苗字はどうしようかしらねぇ?」
「苗字?」
「そうだ、タケルには苗字なんてないから、私の苗字を使えばいいのかしら?」
「それなら、古い苗字だけれど、あなたたち家族はこれから、おばあさまの苗字を使うといいわ」
「ラナおばあさまの苗字……」
「そう、神の木と書いて『榊』。榊タケル、榊美沙、榊ミク」
「いい感じ、使わせてもらうわ。でも私初めて聞いたわ、おばあさまの苗字のこと」
「私が日本の『オオヒメ神社』という古い神社で聞かされたのは、『榊』は日本を守護する巫女たちの苗字の一つだということ。元は「四条」と呼ばれていたことくらいね」
「それって、すごいことかしら。ピンとこないけれど」
「そうね、おばあさまも私もその話は、詳しく知らない。気が向いたらその神社を訪ねたらいいわ、見せたいものってミクだったのね」
「実はもう一つあるんだけど……」
美沙は陽の落ちたことに気づくと、ミクをベッドに寝かせ、窓のカーテンを閉めた。照明をつけると隣の部屋の戸棚を引いて開けた。中には紙で包まれた細長い円筒があった。彼女が蓋を開け取り出したのは、鮫の皮だった。乾燥で自然に丸まり、ずいぶん硬くなっていたが、霧吹きを二、三度するとその皮は見る間に平らになり、その表面にはっきりと『アガルタ文字』が浮き出てきた。
「何かの文字だわ、私には読めない」
「それは、アガルタのカイリュウにしか読めません。ラナ様は『ラミナ・エスメラーダ』の娘と聞いております。『ラミナ・エスメラーダ』からのラナ様への手紙ではないでしょうか?」
タケルが美奈にそう言った。
「ラナおばあさまの夫、お爺様は確か『シラト』というカイリュウの王子だった。でもこの手紙はつい最近、届いたものなの……」
「タケル、代読してくれる?」
「よしわかった、読ませてくれ」
タケルは頷き、快く代読を引き受けた。
《ラナの父、アマト記す》
アガルタの書簡は差出人から始まるのが慣わしだった。
《さすがにラナもこの世を去っているだろう。この手紙がラナの娘、あるいはその娘の元へ届き、はるか海底の王国、ラミナの故郷『アガルタ』の文字が読めるものとの縁が結ばれていれば、この手紙が真実のものと知れるはずだ。我が妹『メシナ』の元へ『ラナ』を置き去りにしたことは今更詫びようもない。私はラミナがアガルタに戻ったことを知り、家を出て雪原で一人悲しみに暮れていた。そのとき雪崩に巻き込まれ、意識を失ってしまった。私を救ってくれたばかりか、記憶を失くしていた私を快く迎えてくれたのは、オロスの辺境の村の人々だった。ようやく記憶が戻り、ラミナやラナのことを思い出したのは、その間ずっと面倒を見てくれたオサの娘と結ばれてしばらく経ってからのことだ。人魚と『契り』を交わした私は、随分と長生きをした。人魚のように不老不死ではないが、普通の人間の数倍は生きている。この手紙は妻が他界し、娘「アーニャ」が結婚し家を出たのをきっかけに『ラナ』の子孫に記した》
「ミーシャの言うとおり、これは最近書かれたものね。でもよく届いたこと、住所も切手も貼られていないのに……」
その書簡は一羽の「白フクロウ」が届けたものだった。




