2.前兆
前兆
地球の異変に真っ先に気付いたのは、電波望遠鏡でいつも月をのぞいていた少女だった。少女は「日本アカデミア」の『橘 亜矢』と交換留学で日本に来ていた。少女の名は「コレッタ」と言い、宇宙線の研究をしていた。
月と地球は公転周期が一致する、つまり月は常に地球に同じ面を見せている。いわゆる月の「表面」には数々の隕石が衝突した痕「クレーター」が存在していた。その月の「裏側」の新しい写真がアカデミアに届いた。月の裏側にはさらに多くのクレーターと地下に通じる巨大なクレパスがある、その最近の研究資料がコレッタのデスクに山積みされていた。
「全く、亜矢って天才ね。人工衛星にあんなものくっつけちゃって」
彼女は『反射衛星』を遠隔操作しながら、地球から月の裏側を電波望遠鏡で観測していた。
「亜矢は言っていたわ、月が地球を支えている。月がこの星の『母』なんだと」
研究室にはもう一人、『海洋センター』から派遣されていた男がいた。
「ほら、カフェオーレ。そろそろ俺と交代しよう」
「気が利くわね、ケイジ」
「何もおこりゃしないさ、少しばかりの『ヘリウム3』を持ち込んだって。ほらコレッタ、予想通りデータに変化はないぜ」
彼の名は『久我啓示』彼はそう言うと海洋センターの最新データを彼女に手渡した。彼女はそれを受け取り手早く数値を頭に入れ、彼と席を交代した。
「うん、確かに『潮汐力=月の引力による潮の満ち引きの力』のデータには変化がないわ、でもあの宇宙線はいったい何かしら……」
広く知られるように月には大気がなく、風も吹かない。地球からは見えない月の裏には常に宇宙線が降り注いでいた。それをまともに浴びれば地上の生命体ならほとんどが死滅する量だ。『橘亜矢』は月の宇宙線分析用の小型ロボットを『人工衛星』から落下させ、月面に軟着陸させたのだった。小型ロボットのペットネームは『かぐや』と名付けられていた。『かぐや』は宇宙線観測オペレーションの中核をなしていた。『かぐや』から送ってくるデータは、月が浴びる様々な宇宙線のデータだ、その中に唯一外宇宙へと逆に放出されるものがあったのである。それが定期的に強まることをコレッタは発見し、観測を続けているのである。彼女にはその宇宙線がまるで明滅する『灯台』のように思えていた。
「まさかね、月に生命体は存在しないはず。『かぐや』のようなロボットでもいれば別だけど。ハハハッそんなものを作れる生命体ならついでに地球に着陸して、とっくにこの星で暮らしているわね……」
「月最大のクレーター、モスクワの海。このクレパスの中から宇宙線は放出されている。そのサンプルは現在解析中、そろそろ何かしらの報告があるはずだが……」
ケイジが『カグヤ』の船外カメラをかってに操り、そのクレパスに向けた時のことだった。
「何だあの光りは!」
「何やってんの 勝手に触っちゃダメっ!」
クレパスの奥からガスが噴き出し、閃光が辺りを一瞬明るくさせた。
それと同時に、今まで途絶えたことのない『宇宙線』の反応が『かぐや』の送って来るデータ上から消えた。
「何かが、クレパスの中で起こったに違いない。その他のデータは変化がないけれど……」
「月に隕石が衝突するのはよくあるけれど、内部から噴出するガスなんて聞いたことがない。よし、『かぐや』を調査に向かわせよう」
「コレッタ、『かぐや』を向かわせるなんてできるのか?」
「そうね、亜矢を信じましょう」
そう言うと、コレッタは人工衛星にコマンドを送った。
「フォーメーション、ゼロ。『かぐや』セットアップ」
人工衛星のAI(人工知能)はコレッタの声紋をそう複製した。月面に固定された『かぐや』の船体から、『タラップ』の付いた扉が花びらのようにひとつ開いた。子牛ほどの大きさのロボットが、六本のアームを使ってゆっくりと月面に降りた。
「ひょーっ!」
「ケイジ、驚くのはこれからよ」
六本の足、蛇腹、そしてスペクトル別に作られた七色の太陽電池パネル。その姿は見慣れたロボットとは違い、かなり初期型のものだ。しかし彼はその姿に見覚えがあった。
「まるで昆虫のようだな、モデルはカブトムシかな?」
「うーん、惜しいなぁ。フォーメーション、ワン。『かぐや』起動!」