第二十五話 水音と水鏡と
離れで長老が"成竜の儀"を行うことを宣言してから数時間後――
昼間は楽しげに遊ぶ子供たちで溢れていたこの湖畔の広場は、今は"祭りの会場"へと変化していた。
突貫で作られた小さな舞台を中心に、いくつもの屋台が建ち並び――
頭上からはたくさんの提灯が、その優しい明かりを広場に降らせていた。
あちこちに敷かれたござの上では、祭りの準備をしてくれた竜種の若者連中が、酒を片手にワイワイと盛り上がっている。
「フン。だから言ったのじゃ。あやつらは酒を飲む機会さえ与えてやれば、祭りの準備など喜んで買って出るわ。」
俺と並んで歩く長老は、酒盛りを眺めながらそう呟く。
「それでも……ミリィはきっと、喜んでると思うぜ?」
俺がそう返すと、長老はまたフン。と、表面上は不機嫌そうに呟く。
この爺さんだって分かってるハズだ。
今まで村八分にされてたミリィにとって、自分の為に行われるこの祭りがどんなに嬉しい事かを――。
「お~お~! ねぇさん! いい飲みっぷりだねぇ!! さぁ、じゃんじゃん飲んで!!」
「もちろんですわ~!」
視界の端で酒盛りにエリノアが混ざってるのが見えたが……まぁほっとこう。
***
「あ、おねーちゃーん!」
「れてぃねぇ!」
長老と別れてしばし屋台を見て回った後、俺は舞台前に移動した。
最前列のそのござの上には妹たちと、ミリィ以外の幼女たちも揃っている。
「おー。それ買ったのか?」
屋台で売られていたものなのだろう。
幼女たちは焼きそばやら串焼きやら、美味しそうなお祭りグルメをござの上に広げていた。
「いえ! 頂いたのであります!」
「頂いた?」
「うん……。今日遊んでた子たちの……お父さんやお母さんが……くれたの……。」
「ホントはよそ者の妾たちに渡すのはダメらしいのじゃが……『遊んでくれたお礼に、こっそり食べて』と持ってきてくれたのじゃ!」
マジか……。
やっぱりこの街の人たち……根はみんな良い人たちなんだな。
その後、俺は舞台で行われる出し物を見ながら、幼女たちと談笑した。
そしてその演目の最後――
まず壇上に姿を現したのは、長老だった。
長老は、先ほどと変わらぬ険しい表情で、その場に集まったこの街の住人たちの前に立つ。
いくつかの挨拶を述べた後、長老はこの突発の宴の"本題"について話した。
「これから舞台に上がるのは、ミランダ=ウィンチェスターだ。」
そうミリィを紹介した後、長老は目を閉じる。
「これまで儂は……ミランダの力を危険な物として遠ざけ、皆にも関りを持たぬよう指示をしてきた。」
じゃが……、と長老は続ける。
「じゃが……それは誤りだったのやも知れぬ。少なくともミランダは、その力を以て多くの人々を笑顔にしてみせた。この一件は、我々竜種の、他種族との関り方についても、今一度見直さねばならぬことを示しておると、儂は思う。」
そして――瞼を開いた長老は、変わらず険しい表情の中に、だが優しさを感じさせる声で告げた。
「ミランダとの関りを禁ずるという令は、この"竜の舞"を以て取り消す。皆の衆……どうかミランダを、温かく迎えてやってくれ。」
長老が舞台を降りる。
それと同時に、舞台には笛と太鼓の音が響く。
舞台袖から現れたのは――ミリィだ。
巫女装束を思わせるようなその衣装を身に纏ったミリィは、楽器の音色に合わせて舞台の上で踊る。
"竜の舞"――。
竜種が一人前と認められた時、加護を授かった竜神様や、街の人々への感謝を込めて舞うものらしい。
「うわぁ……! ミリィおねーちゃん、きれー……!!」
「すごいの……!!」
妹たちが感嘆の声を上げる。
かく言う俺も――その神秘的な姿に視線を奪われていた。
まるで本物の神の遣いのような――そんな神々しさが、そこにはあった。
やがて笛の音が止み、ミリィが演舞を終える。
舞台を囲む人々は――喝采の拍手を送った。
俺の目には見えた。
舞台上のミリィが、その拍手を受けて、目尻に涙を浮かべている様が――。
***
「そんじゃ、エリノアの事頼むわ。」
「……わかった。」
「任せるのじゃ!」
「了解であります! ……ほら、帰るでありますよ、エリノア殿!」
「うぇっぷ……。ごめんなさいですわぁ……。」
例の如く酔い潰れたエリノアを幼女たちに任せ、俺は一人会場に残った。
幼女たちがこの街の人たちに色々貰ったらしいからな。
祭りの後のゴミ拾いくらいやらないと申し訳無い。
「……よっし! こんなモンか!」
"軍手"と"ビニール袋"を出して、一時間ほどゴミを拾って回った俺は、会場の隅にそれらを固めて置く。
明日になりゃ街の人が片付けてくれるだろう。
俺は祭りの会場だった広場を見回す。
多くの人が帰った祭り会場は、先ほどまでの喧騒が嘘のように、不思議な静寂が降りていた。
そこへ――
「レティちゃん……。」
不意に背後から掛かった声に、俺は振り向く。
そこには――先ほどの舞台衣装を纏ったミリィが居た。
「ミリィ。どうしたんだ?」
「えっとね。帰ろうとしたら、レティちゃんの姿が見えたから……」
それでわざわざ来てくれたのか。
「そっか。お疲れさま。演舞、すげー綺麗だったよ。」
「うん……。ありがと……。」
そう言って、ミリィはもじもじしている。
?
どうしたのだろう?
しばらく無言だったミリィは、やがて躊躇いがちに口を開いた。
「……あのね! もしよかったら、レティちゃんに見て欲しいものがあるの!」
***
ミリィに連れて行かれた先は、湖の畔だった。
昼間はキラキラと太陽の光を反射していた湖面は、今は静かに月明りを映している。
「レティちゃんは、ここから見ててね?」
そう俺に告げたミリィは……
「んしょ、っと。」
突然……靴を脱ぎ始めた。
「え、ちょ、ミリィ!?」
俺が驚いている間に、ミリィは靴下をも脱ぎ去る。
ミリィの美しい脚線が、月明かりの元に晒される。
裸足になったミリィは、そのまま湖へと進む。
「ひゃぅっ……!」
湖に足を踏み入れた瞬間、水温の冷たさにミリィが声を上げる。
「お、おい、ミリィ。風邪ひいちゃうぞ……?」
魔族領は人間領に比べ南に位置している為、多少は暖かいのかもしれないが……それでも水遊びにはまだ早い。
流石に止めに入ろうとした俺に、だがミリィは、
「ううん。大丈夫だよ。」
そう言って、ちゃぷちゃぷと湖へと足を進めた。
よく目を凝らして見れば、ミリィが立つその場所は、湖の底を石畳が覆っていた。
ちょうどミリィの足首くらいまでが水に浸かった状態だ。
これなら裸足でも怪我はしないだろうが……だが、やはりミリィの意図はわからなかった。
困惑する俺に、ミリィが告げる。
「じゃあ……見ててね。」
そう言ってミリィが始めたのは――
先程、舞台上で見せた"竜の舞"だった。
(お……おぉ……!)
湖で舞っている為、時折パシャリと上がる水飛沫が、月光を反射してキラリと煌めく。
提灯の明かりも無い。
笛や太鼓の音色も無い。
観客は俺一人だけ。
月光と、水音だけの舞台。
なのに――
(すげぇ……綺麗だ……。)
先程客席で見ていた時よりも、その魅力は増していた。
その理由はおそらく、ミリィの表情だろう。
"笑顔"――。
先程の演舞でもミリィの微笑みは見られたが、今はその時より更に魅力的な表情だ。
クルリと回る際に流し目と共に向けられるその蠱惑的な笑みは、いつもミリィを見ている俺でさえドキリとさせられる。
やがてミリィが演舞を終える。
気付けば俺は、半ば無意識にパチパチと手を叩いて拍手を送っていた。
まだ少し息を切らした様子のミリィは、ちゃぷちゃぷと湖から上がり、俺の隣に座る。
「レティちゃん。どうだった?」
「あぁ……すげぇ綺麗だった。湖の妖精さんかと思っちまったよ。」
そう返すと、ミリィは微笑んだ。
「"竜の舞"は、感謝を伝える舞だから……レティちゃんにだけ、特別な舞を見て欲しかったの。」
「ミリィ……。」
そっか……。
それでわざわざもう一度演舞を見せてくれたのか……。
「ねぇ、レティちゃん。最初に会ったときのこと……覚えてる?」
ミリィは湖の向こうに視線を向けて問う。
俺はその記憶を思い返す。
ミリィと最初に会った時――。
人間領の王城で、ミリィは魔族であることが知られ、幽閉されていた。
「あぁ。あの時は大変だったな。ミリィを連れ出す筈が、俺まで捕まっちまって……。」
俺がそう言うと、ミリィは少しだけ目を細めた。
「実はね……あの時わたし、捕まったままでもいいかなーって思ってたんだよ?」
思わぬ言葉に驚く俺を他所に、ミリィは続ける。
「魔族領に居た頃も、人間領に移ってからも、わたし、ずっと一人だったから……。もしお城から出られても、会いたい人も、帰る場所も無かったし……。わたしはきっと、ずっと一人ぼっちなんだろーなぁって思ってた。」
寂しそうというよりは、諦めたような表情でそう語ったミリィは――
「……でもね、」
と、明るい声で告げる。
「レティちゃんに助けてもらって、シャルちゃんやロロちゃんやグリムちゃん、アイリスちゃんやコロネちゃん……! たっくさん、お友だちが出来たの!!」
ミリィの瞳は、星空を映す湖の水面のように、キラキラと輝いていた。
「こんなわたしに、たくさんのお友だちを作ってくれて、今日はこの街の人たちとも仲良しにしてくれて……レティちゃんには、どれだけ感謝しても足りないよ……!」
そう言ってミリィは、俺に熱い視線を向ける。
「ねぇ、レティちゃん……。わたし、レティちゃんの事……大好きだよ?」
急な言葉に、俺の心臓は跳ね上がる。
ちょ!? ミリィ!?
まさか……この流れは……!!?
「だからね……お願いがあるの……。」
頬を染め、恥じらいながらも必死に思いを伝えようとするミリィ。
ちょ、まっ……!!
待って!!
まだ心の準備がっ……!!
「わたしを……レティちゃんの……」
ゴクリ、と唾を飲んで次の言葉を待つ俺に、ミリィは――
「レティちゃんの……"親友"にして欲しいのっ!!」
そう告げた。
……Oh。
また告白じゃないのか……。
ロロの時といい、思わせぶりすぎるぞウチの幼女たちは……。
「ダメ……かな……?」
しかしドキドキしながら返答を待つミリィに、ガッカリした顔は見せられない。
俺は自身を落ち着けるようにコホンと咳払いを一つしてから、ミリィに優しく告げる。
「ん~……ミリィ。二つ"訂正"があるんだけど……いいか?」
「えっ!? う、うん……。」
返事を待っていたミリィは、ちょっと戸惑いながらも、俺の言葉を待つ。
「まず一つ目な。さっきミリィは、俺が『お友だちを作ってくれた』って言ったよな?」
「う、うん……。」
「それな、間違いだ。」
「えっ!?」
驚くミリィに、俺は言葉を続ける。
「確かにみんなにミリィを紹介したのは俺だ。けどな……俺に友だちを"作ってやる"力なんて無い。友だちになったのは……ミリィ自身だろ?」
「そ、そうなの……かな?」
「そうだよ。ミリィが優しくて良い子だったから、みんなもすぐに打ち解けられたんだ。この街の人たちだって同じだ。俺はきっかけを作っただけ。ミリィ自身が認められてなきゃ、こんな風に受け入れてくれなかった筈だぞ?」
そうだ。
俺がやったのは、障害を取り除いただけ。
結局みんなと仲良くなれたのは、ミリィ自身によるものだ。
「俺はな、"友だちになる"って、相手の心を自分の心に"映す"事だと思ってる。」
「心を……"映す"?」
「そう。こんな風にな。」
疑問符を浮かべるミリィの隣で、俺は湖の水面を覗き込む。
水面には俺と、俺に倣って水面を覗いたミリィの顔が映る。
「その相手が泣いてたら、自分も悲しい気持ちになる。その相手が笑ってたら、自分も嬉しい気持ちになる。……相手の気持ちを、思いやり、慮る気持ちを持つ事。それが出来るのが友だちだろ?」
そう言って、水面に映ったミリィと目を合わせる。
「ミリィが持ってる"優しさ"は……友だちを作るのに一番大切なモノだ。」
そう。
優しいミリィには十分、その資格があったのだ。
「だからな……胸を張っていいぞ。みんな、そんなミリィが好きだから、友だちになってくれたんだ。」
その言葉に、ミリィはしばし考えるように俯いて……
「……そっか。……嬉しい。……とっても、嬉しいな。」
そう呟くように口にして、噛み締めるように微笑んだ。
ちょっとだけ涙の滲んだその表情を見て、俺はミリィの頭を優しく撫でてやった。
「……それじゃ、もう一つの"訂正"って?」
「ん? そんなの決まってるだろ?」
滲んだ涙をぐしぐしと拭ったミリィに、俺は笑顔で答える。
「俺はミリィを……ずっと前から大切でかけがえのない"親友"だと思ってるって事だよ。」
そう口にすると、ミリィはせっかく拭った涙をまた瞳に貯めて――俺に抱き着いた。
「うわぁぁあん!! レティちゃぁあああああああん!!」
おーよしよし、とミリィの頭を俺は撫でる。
祭りが終わって静寂の満ちていた会場に、ミリィの声だけがしばし響いていた。




