第九話 夜這いなんてダメですよ?
――深夜。
先代魔王の娘三人が住む屋敷に、一つの人影が音もなく入り込んだ。
人影は人さらいを専門とする裏稼業の人間だ。
『この屋敷に住む魔族の娘三人を捕えよ。』
男は命じられた目的を遂行する為、足音を立てず屋敷を歩き、階段を上る。
魔族と聞いて躊躇したものの、相手は年端もいかぬ小娘三匹だ。
("力"も碌に使えない魔族など、人間よりもやりやすい。)
侍女の魔族も一匹いるとは聞いているが……種族は【サキュバス】だ。
戦闘は不得手のはず。
階段を上った先、寝室の扉に男は到達する。
簡単な仕事だ。
扉を開け、眠っている小娘どもに薬を飲ませ、眠らせたまま依頼主に届けて終わり。
逃げたり助けを呼ぼうにも、ここは街はずれ。近くに民家は無い。
これで報酬はたんまり……ここ最近で一番の稼ぎになるだろう。
(まぁ仮に戦闘になっても、俺が後れを取るとは思えんが……)
念には念を、と。
魔法耐性付きのローブに、斬撃耐性付きの防具。
そして腰には研ぎ澄まされたダガー。
決して手を抜かない仕事への姿勢は、男がその道のプロである証明であった。
よし! と男が銅製のドアノブに手を掛けた瞬間、微かな違和感。
(……? 何だ? 濡れて……?)
次の瞬間、ドアノブに触れた右手から、男の全身を衝撃が駆け抜けた。
「がぁあああああああああああ!!!??」
(何だ!!? 何をされた!?!?)
(雷撃魔法!!? 馬鹿な!! 小娘に扱える威力じゃねぇぞ!!)
(そもそも魔族は"呪術"しか使えないんじゃねぇのか!?)
(それにどうやって俺の存在を確認した!?)
(足音は完全に殺し、姿は闇に紛れて見えないはず!!)
先ほどの衝撃で、身体が麻痺して動かない。
その場に倒れこんだ男の前方。
手を掛けていた部屋のドアがキィ、と音を立てて開いた。
***
「ふぅ。上手くいったっぽいな。」
俺は寝室のドアの前で倒れこんだ男をつま先で小突く。
俺の手には"ゴム手袋"が嵌められ、右手には"スタンガン"を握っている。
そして頭には"暗視スコープ"だ。
……うーん。幼女のする格好じゃねぇな。
「だ、大丈夫ですの……?」
隣の部屋から、ランタンを持ったエリノアが顔を出す。
ちょっ、まぶしい!
俺は暗視スコープを外し、エリノアに返事をする。
「とりあえずなー。あ、コイツ縛っとこうぜ。」
男を縛るのはエリノアに任せ、俺は男の腰のダガーを取り上げる。
「しっかし、ホントに襲ってくるとはなー。」
あくまで警戒はしておこう、くらいのつもりで今夜は寝ずに構えていたのだが……。
勧誘して断られた日の夜に襲撃するって、ちょっとせっかちすぎやしませんかね?
「よしっ!これで簡単には外れないはずですわ。」
エリノアが縛り上げたのを確認して、俺は襲撃者の頬をダガーの腹でぺちぺちする。
「おにーさーん。しゃべれるー?」
「うぅ……な、何を、した……?」
おにーさんの問いには答えず、俺は言葉を続ける。
「だめじゃないかー。幼女に夜這いかけるなんて。おまわりさん呼んじゃうよー?」
ぺちぺち。ぺちぺちぺち。
「執行猶予とか以前に、幼女にイタズラしようとしたなんて知られたら社会復帰できなくるよー?……つーか」
ベ チ ン !!
「俺の妹に手ェ出すって事は、自殺志願者ってことでイイんだよなァ!?」
最後に男の目の前の床にドンッ! とダガーを突き立てる。
男は動けない体を小刻みに震わせ、顔面蒼白だ。
……まぁ脅し文句はこんなトコでいいかな。
「つーわけで、だ。全部喋れ。」
「うぅ……わか、らん。……俺は……ただ、依頼された……だけ……だ」
イラッ。
「あぁ!? 依頼者は!? 目的は!? つーかテメェもソイツラの一員なんじゃねえのか!?」
「ち、違う……! 俺は……攫うだけの雇われだ! 信じてくれ……!」
……オイオイ、マジか。
これ拷問しなきゃダメなやつか?
ハァ、しょうがねぇ……気は乗らんが、まずアレを潰して……
「あの……この方、嘘は言ってませんわ。」
俺が拷問の手順を考えていると、エリノアが口を挟んだ。
あ、そっか。
嘘が見えるんだっけ。
「えー? じゃあホントにただの下請けなのか?」
俺は男の股間に置いていた右足をどける。
「そうみたいですわ。」
襲撃者の男からは、エリノアが救いの天使に見えたことだろう。
……悪魔だけどな。
俺は男に目線を向ける。
「なぁエリノア。コイツ相手に"血の盟約"って出来る?」
「それは……無理ですわ。」
「なんで?」
「"血の盟約"にはお互いの"信頼"が必要なんです。それも"心からの信頼"が、ですわ。例え命の掛かった状況でも、強引なやり方では盟約は結べませんわ。」
なるほど。
あ!
てことはエリノアはレティお嬢さまを"心から信頼"してた、ってことか。
お嬢さま、侍女に恵まれたな。
……幼女好きなのが玉にキズだが。
「あ、口封じ程度でしたら別の呪術で代用できますわよ? 対象者の同意は必要ですけれど。」
お! ナイス!
「じゃあそれ頼む。」
俺は男に向き直る。
「ねぇ、おにーさん。」
「ヒッ! ひゃいッ!?」
おー、びびっとる。
「"今夜の事は誰にも伝えない"って誓える?」
「ち、誓う! 依頼者にも二度と会わねぇ!」
「おっけ。じゃあエリノア、頼む。」
「わかりましたわ。」
エリノアは了承すると、床に刺さったダガーを拾い上げる。
そして男の手を取り、(この時男の頬がほんのり染まっていたのは無視した) 右手の甲にうっすらと切り傷を創った。
エリノアはそこに自分の右手をかざし、目を閉じて何事かを呟いた。
すると淡い光が現れ、傷口に吸い込まれるようにして消えた。
「ふぅ。終わりましたわ。」
おーぅ。簡単。
「妙に抵抗が少なかったのですぐ終わりましたわ。普通、敵対者相手にはもっと時間が掛かるんですけど……。」
儀式が終わった後も、男はエリノアに熱っぽい視線を向けていた。
それはまるで恋する乙女のようで……
あれ? もしかして"血の盟約"でもいけたんじゃね?